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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・16

 八階の上り階段は、件の朽木が発見された場所のすぐ近くにあり、『ウルスラグナ』は思ったより早く九階へと踏み込んだ。
 しかし、この階は階段が大変に多く、何度も八階と行き来しなければ進めない構造になっていた。面倒なことこの上ないが、文句を言っても仕方がない。
「……あ、銃だわ」
 その日、八階の最南東の区域に踏み込んだ冒険者は、ひとつの『宝箱』を発見した。焔華の代わりに昼の探索に入ったオルセルタが、その中から引きずり出したものを言い当てる。
 『宝箱』と呼ばれる、前時代製の(らしい)謎のオブジェ。エトリアのものと同じく、どうして樹海に点在しているのかは謎だが、現代の物品が入っている理由は大別して二つ。
 ひとつは冒険者が不要になった品物を捨てておく。単に捨てるのはもったいないし、売るために運び続けるのも面倒だと思うと、宝箱に入れておいて後輩の役にでも立つようにするらしい。
 もうひとつは、樹海の生き物が、非業に倒れた冒険者の骸の一部を餌として得て、ひとまずの貯蔵場所として選んだ宝箱の中に運び込んだときに、装備や、硬直して手から離れない武器も、そのまま運び込まれ、結果として宝箱の中に残ったというものである。
 今回は後者だったらしく、銃を引き出したときに、引き金に引っかかったままだった指の骨がぽろぽろと落ちて、一同を驚かせたものだった。これまでにもよくあったことだが、何度あっても簡単に慣れるものではない。
「だけど、こんな銃ごと骸を運ぶなんて、小動物の仕業じゃねぇよな」
 腕輪や指輪の類だけが残った、というのとは訳が違う。
 簡易的な獣避けを張った野営地を築き、冒険者達はひとまず休息する。
 手に入れた銃は、横に並んだ二つの銃口を持つものだった。長さも一メートルを少し超える。小動物では運べないだろう。
 せっかく手に入れた武器だが、銃を扱える者は『ウルスラグナ』にはいない。元の持ち主には悪いが、持ち帰って交易所に引き取ってもらうしかないだろう。持ち主の素性が判れば、形見として故郷に送る選択も採れるのだが、残念ながらさっぱりである。仕方ないから、生者の生活の足しになることを許してもらうとして。
 その代わりに、というのもなんだが、神官兄妹が死者に祈りを手向ける。その傍で、ナジクが銃の細かい汚れを落としながら、溜息を吐いた。
「……銃は、好かん」
「どうしてぇ?」とマルメリが問う。
 同じ飛び道具だろうに、と言いそうになったのだが、止めた。ナジクの顔に苦渋の徴が現れていたのだ。戦火を逃れてきた時に、銃にまつわる嫌な思い出があったのだろう。
 彼らの部族を襲ったものは銃に限らず、剣、斧、鞭、術式……もちろん弓矢だってあっただろうに、なぜ銃だけ、と思わなくもなかったが、マルメリには、そして他の仲間達にも、何となく判る気がした。
 銃は馴染みの薄い武器である。
 その威力についての風聞は他国にも流れるが、実体を見る者は稀だ。その武器を操る者達を多数見られるのは、ハイ・ラガード近辺ぐらいだった。というのは、銃を作るには高度な技術力が必要で、現状でその技術は、国家単位でいうならハイ・ラガードにしかない。あとは研究熱心な個人工房が細々と試作する程度である。
 もしも空飛ぶ城が実在し、ハイ・ラガードの父祖がその住人だという話が本当なら、銃というものも彼らがもたらした技術なのかもしれない。
 ともかくもそういう訳で、ハイ・ラガードには、大公宮公認の『公国砲撃協会』を始めとして、大小いくつものガンナーギルドが存在する。中には他国の内外の諍いに荷担することで益を得るギルドもあるらしい。ナジクの一族を襲ったガンナー達は、そういう手合いの者達だろう。初めて見たときには自分の敵。負の思い出が強くまとわりついてしまうことも致し方あるまい。ハイ・ラガードに集うガンナー個人を敵視したりはしないが、仲間達しかいない場所では、内心がぽろりと転がり落ちることもあるものだ。
 ナジクはもう一度溜息を吐くと、アベイに問いかけた。
「……前時代では、銃はどんな扱いだった?」
「……んー、俺はテレビでしか見たことないけどな」
 テレビというものが、前時代に存在した『映像を映し出す機械』のことだということは、『ウルスラグナ』の者ならば周知のことであった。
「俺の国、シンジュクを中心都市としてた国じゃ、正義の味方が悪人に向かって、光線の出る銃を撃ったりしてたな。でも一般人には縁遠いものだったよなー、まぁ俺が入院してたからってこともあるけど」
「すげぇな! ……他の国じゃ?」
 祈り終えたのだろう、妹と共に戻ってきたエルナクハが先を促す。
 アベイはどことなく悲しげな顔をした。
「いろいろ、だな。今の人間にとっての剣斧弓くらいに身近な国もあったはずだ。あと――その頃の俺くらいの子供が持っているのも、テレビで見たことがあるよ」
「へぇ、前時代にも勇敢な子供もいたもんだ」
「いや――大人が子供をさらってきて、自分達の代わりに戦わせるんだよ、無理矢理」
「――何たる外道どもだ!」
 戦女神の名を持つ聖騎士は怒気を露わにした。戦場で子供が戦うことは、ありえない話ではないが、あくまでも、戦う覚悟を決めた大人の中に、戦う覚悟を決めた子供が混ざっている、というだけの話だ。少なくともエルナクハの価値観では、そうであるべきだった。戦士が自分で戦わず、他者、しかもさらってきた子供を代理としてどうするのか。
「そんな奴らは地母神バルテムの大釜で煮られちまえ!」
 遠い過去の外道達に、ひとしきり呪いの言葉を吐く。パラスにも呪詛を頼みたい気分だ。
 しかし、歴史を覆しようもないことは判っているので、ひとまず怒りを収め、ふと思いを馳せる。
「ヴィズルが銃をエトリアに広めなかったのはよ、そういうコトを考えてかな」
「さあなぁ。銃の作り方がよくわかんなかっただけかもしんない」
 もしもヴィズルがエトリアに銃の技術を伝えていたら、きっとシリカ商店あたりが量産に成功していたに違いない。そして銃士の中心地はハイ・ラガードだけではなかっただろう。
「それはそれとして、そろそろ、オレらのギルドにもガンナーが欲しいな」
 というギルドマスターのつぶやきに、一同は、きょとんと目を見合わせた。
 ハイ・ラガードに来たばかりの頃、縁があったら仲間に加えることがあるかもしれない、と思っていた、未知の技術を持つ者達。しかし、冒険者ギルド無所属の者はなかなか存在せず、彼らがいなくても冒険に支障があるわけでもない以上、いつしか、敢えて探すこともなくなっていた。
 それを、ギルドマスターは積極的に求めるような発言をする。
「今更か? 何故だ?」
「面白そうだから」
 ナジクの問いに、身も蓋もない返答をするエルナクハ。
「いやなに、こんなシロウト目じゃワケわかんねぇ武器を、どうやって使うのか、間近で見てみたかぁねぇか?」
「子供か、兄様は」
 と突っ込むオルセルタはオルセルタで、わくわくと目を輝かせている。もともとこの兄妹は好奇心が強いのである。
 レンジャーの青年は諦め気味に首を振った。
「……まぁ、別段反対する理由もないが。個々のガンナーを恨んでいるわけでもない」
 しかし、問題は、と続く。
「問題は、結局の所、無所属フリーのガンナーが未だにいない、というところだろう」
 彼らのうち、樹海探索に興味がある者達は、大公宮の公募が始まって間もなくハイ・ラガードに集ってしまったからなのだろうか。稀に訪れる、無所属の者達は、ハイ・ラガード外では珍しい彼らに興味を持つギルドに、奪い合いに近い勧誘合戦の末に属することとなっていた。『ウルスラグナ』はそんな場面にとことん縁がないらしい。
「……子供のガンナーは嫌だぞ」
 昔テレビで見た現実を思い返して、やるせなくなったのか、アベイがきっぱりと主張する。
「そいつが真の『戦士』なら、子供だろうがオレらがどうこういう筋合いはねぇさ」
「まぁ、そうだけどさ」
 エルナクハの返答に、不承不承といった塩梅でアベイは首を振った。
 マルメリははっきりと声にした主張はしなかったが、考えとしてはエルナクハにやや近いようだった。思えば、おっとりしているような彼女も、勇猛な黒い肌の民の一員であるのだ。
「とりあえず、大まかな汚れは取れたぞ」
 ナジクの報告が一連の会話に終点を打った。
 休憩を取ったことで多少の疲れは取れた。あともう少し、地図を埋めておきたい。手に入れた銃は、比較的手の空いたマルメリが持つことにして、『ウルスラグナ』は探索の続きに取りかかった。

 笛鼠ノ月もあと数日で終わり、その後には天牛に月の支配者の座を明け渡すことになる。その頃には夏も名残を残して消えていき、次第に風は涼しく、まるで今『ウルスラグナ』が挑む第二階層のような季候になっていくだろう。
 これから自分達がやろうとしていることは、変な言い方だが、去りゆく夏と、その夏の間に去ってしまった魂への、鎮魂の演武であるような気が、エルナクハにはしていた。
 すなわち――。
 第一階層三階、終わりなき盛夏の中に鎮座する、角鹿の王を屠るのだ。
 実のところを言えば、単なる力試しである。『仇討ち』めいたことを口にしているし、勝利は衛士達に捧げたいが、どす黒い復讐の念などは、あまり関わらせたくなかった。死んだ衛士と関わりのあったフィプトを、戦闘メンバーに組み込まなかったのは、そのためであった。フィプトも解っていたのだろう、自分が角王との戦いに加えてもらえない不平などは言わず、迫る新学期に備えて授業の準備を黙々と進めていた。
 角王に挑むのは、最近の昼の探索に出ているメンバー、エルナクハ、焔華、マルメリ、アベイ、ナジク。何故この五人なのか、ということに、明確な理由はない。何か倒すべき強敵がいるのなら、それに対抗するパーティを組んで、力試しに挑むべきだっただろう――手負いの『襲撃者』相手にキマイラ退治の前哨戦を繰り広げたように――が、さしあたってそんな脅威もない。だが、戦闘時のバランスが極端に欠けているわけでもないので、現状を維持してみることにしたのだった。苦しい言い訳をするなら、「これも鍛錬の一環」である。
 三階には、樹海入口から徒歩で向かうことにした。第二階層八階にある磁軸の柱を起動させてしまったので、それと引き替えに、第一階層にある磁軸の柱には飛べなくなっている。つまりは三階にある磁軸の柱に飛んで近道しよう、という横着もできないのだ。
「それにしても」とアベイが肩をすくめた。「あいつら、すっかりあそこに居着いちゃったんだなあ」
 もともと第二階層に棲んでいたらしい鹿達は、キマイラに追い立てられるように樹海迷宮を降下し、第一階層の方々に新天地を得た。角王を含めたいくばくかは三階に居を構えた。余程に居心地がいいのだろう、キマイラ亡き今も、元の住処へ帰ろうとする気配はない。結果として、新米冒険者達の道を阻む関門の一つとなっている。
 『ウルスラグナ』は、冒険の合間をぬって、ささやかな看板を作って警告を記しておいた。新米が、自分達の実力も考えない行動の末に骸となるのは自業自得だが、予備知識もないことは同情する。自分達とて、フロースガルという先達の警告あってこそ、最善に近い行動を取れた。それに、一階で、手負いの『襲撃者』の脅威を警告してくれた先輩冒険者もいた。そんなことを思い出したからだ。警告が誰かの行動指針となり、一組でも多くのギルドの役に立てば、御の字である。
 だからといって、新米冒険者のために角王を退治するわけではない。あくまでも力試しだ。
 キマイラに追い立てられてきたわけだから、キマイラを倒した『ウルスラグナ』にはちょうどいい相手のはずだ。『倒せるか』よりむしろ『余力を残せるか』の方が主眼である。
 第一階層三階、『あの日』には血の色に染まり、濃い血臭を漂わせていた、鹿達の縄張りは、それが泡沫の夢であったかのように、涼やかな光景を広げて、冒険者達を出迎えた。思えば、あの日からもう一月が過ぎたのだ。伸びた草は、渡る風は、一ヶ月前の惨劇にまみれたものと同じものではない。――しかし、まばらに立ち並ぶ木々の一本に、奇妙な染みの跡を見付けて、冒険者達は鼻白んだ。時に風化されない傷痕も、また残っていたのだ。
 角王は、かつて対峙したときと同じような位置で、草を食んでいた。そこが彼の縄張りなのだろう。ぴくぴくと耳を震わせ、顔を上げた角王は、周囲にいるどの鹿よりも立派な角を振りかざし、不届きな侵入者に目を向けた。
「よう、久しぶりだな、王サマ」
 エルナクハは盾を構え、焔華はカタナを抜く。アベイは医療鞄に手をかけ、ナジクは弓に矢をつがえる。そして、マルメリがリュートに指を添え、弦に触れた。かすかな音を立てた弦は、次の瞬間には力強く弾かれ、勇壮な旋律を奏で始めた。
「聞くがよい! 剣の鳴動、盾の軋み、風切る刃は戦の始まりを告げる!」
 吟遊詩人は煽動者である。平時にあっては歌で人の心を動かし、戦に臨んでは歌で兵の士気を操る。どんな英雄の心の奥底にもある『恐れ』を、歌によって揺さぶられた心の琴線が振り落とし、限界以上の力を湧き起こさせる。マルメリの『猛き戦いの舞曲』は、己自身と仲間達の心の中に秘やかに眠る『樹海に対する恐れ』を追い立てた。弦と声が織りなす一節が終わっても、かき立てられた士気はそう簡単に収まらない。
 マルメリはネックの上の指をずらし、次に歌うべき曲に備える。
 その間にも、他の仲間達は行動を開始していた。ナジクが通常よりも強く引き絞った弓弦を解放し、突風のような弓が吠え猛りながら急所を狙う。角王は躱そうとしたが、完全には成功せず、甘んじて腿に鏃を受けることとなった。絶叫を上げ、報復の炎を宿した瞳を、人間どもに向ける。幾重にも枝分かれした角を向けた突進は焔華を狙うが、それを予期していたエルナクハの前衛守備に阻まれた。
「……くっ!」
 盾が軋み、聖騎士が呻く。角王は盾に追突したときの力をそのまま反動としたかのように離れ、エルナクハに守られた焔華の二の腕を大きく抉るように角を突き立てた。着物が裂け、血が飛び散るが、一度盾に阻まれた攻撃は、想定通りの威力を出し得ない。
「この……っ!」
 焔華は鞘に収まったままのカタナを振りかざし、角王は追い払われたかの動きで人間どもから離れ去った。
 冒険者とて、そのまま第二撃を待ちぼうける気はない。焔華がカタナを抜き放ち、上段の構えを取るが早いか、地を蹴って角王に肉薄する。本来の『構え』を省略した『邪道の徒』は、ブシドーの誇りと引き替えに即応力を手に入れたのだ。
「三ノ・卸し焔!」
 気迫と共に技名乗りを上げる。
 激しく振り下ろされる刃が大気との摩擦で白熱し、その名の通り炎をまとう。灼熱の刃は角王の毛皮を焼き、肉に食い込んだ。
 甲高い笛のような悲鳴を上げた鹿の王は、身を翻し、冒険者達から距離を取る。不遜な輩に誅罰を加えようと、燃える瞳で睨み付け、蹄が地を掻く。しかし、突進を目論んで地を蹴ろうとしたまさにその瞬間、角王は再びの悲鳴を上げた。矢が二本、飛来して、首筋に突き刺さったからだ。
 一本はナジクのもの、今一本は、新たな歌を吟じるまでもないと判断したマルメリのものだ。バードは護身程度にだが弓を扱うこともできるのである。
「そりゃあ!」
 エルナクハが駆け寄り、右手に携えた剣を振り下ろす。
 角王はその剣を角で絡めた。パラディンの剣技もまた、護身程度のものに過ぎない。人界にあっては侮れずとも、角王からしてみれば与しやすく見えたのだ。にやり、と口元を歪めたように見えたのは、人間達の気のせいだろうか。
「あーあーあー……!」
 はじき飛ばされた剣を、エルナクハは目で追った。
 気がそれたところに、角王の蹄が迫る。かつてのエルナクハの腕を、盾ごしにも関わらず深く損傷させた一撃だ。まともに喰らえば、一月前の衛士達の惨状を再現することになりかねない。
 ところが、である。黒い聖騎士は、にんまりと笑んだのだ。
「――なーんて、な」
 蹄の前にかざされた盾は、呆けた状態から構えるには間に合わないはずだった。つまりエルナクハは気を反らしてなどいなかったのである。それも、巧妙に盾の角度を操り、盾から伝わる一撃を軽減しようとしている。少なくとも以前ほどの怪我を負うことはないだろう。
「ほのか、頼む!」
「承知ですえ!」
 むしろ不意を突かれたのは角王の方であった。盾に阻まれた蹄が、ようやく地に付こうとした、その瞬間を狙い、ブシドーの娘は再び角王に迫る。しまった、というような表情をした角王の頭上から、赤々と燃える刃の一撃が。
「卸し焔、二ノはふり!」
 皮と肉が焦げる音と匂いがあたりに立ちこめた。
 角王は断末魔の叫びを上げながら、ふらりと身体を傾け、地に伏した。白目を剥きながら痙攣を繰り返すその様子からは、もはや角王が死に向かうしかないことを示していた。
 対する冒険者達は、無傷とまではいかないが、余力を充分に残している。
「やった、な」
 後列からアベイが進み出てきて、前衛の二人の治療に取りかかる。ナジクがふいっと場を離れたのは何故かと思ったら、角王に飛ばされたエルナクハの剣を取りに行っただけのようだった。聖騎士の青年は礼を言いながら剣を受け取り、安堵の息と共に言葉を吐いた。
「いやいや、なんとかなるもんだな」
 手の空いているナジクとマルメリは、こときれた角王を解体にかかり始めた。
「あうぅ、ほのちゃん、これじゃあまり高く買い取ってもらえないわよぉ、毛皮」
「あらら、すまなんし、マールどの」
 皮を剥ぎ、角を外す傍から、火を熾し、肉の幾ばくかを簡単にあぶり始める。香ばしい匂いを孕んだ煙が、上空に茂る枝の合間を通っていった。上昇する間に拡散して、仮に真上の四階に他の冒険者がいたとしても、彼らが三階のささやかな宴に気付くことはないだろう。
「ナジクー、オレの分は麝香草ザータル多めでなー」
 その様を眺めつつ、エルナクハは注文を飛ばすと、ふと表情を改めた。
「……なぁ、これで、このあたりも少しは危険じゃなくなるかな」
「わかりませんえ」
 あっさりと焔華は答えたものである。無下に突き放した言い方をしたかったわけではないが、『そうはならない』可能性を充分に感じ取っていたからだ。
「王がいなくなったことを理解すりゃあ、このあたりの鹿どもが後釜を争うでしょうし。そうして、一番の力を見せつけた鹿が、次の角王になるでしょうし。始めのうちゃあ、わちらが戦った王ほどに強くはないかもしれんけれど、それでも強敵には違いありませんえ」
「やれやれ、平和は長く続かない、か」
 とアベイが溜息混じりに口を挟んだ。
 別段、この区域の安全のために、角鹿を倒したわけではない。だが、結果的に安全になる分には構わなかったし、そうなることを望んでいた節もあった。しかし、ことはそう簡単にはいかないらしい。
 なんであれ、力試しという目的は果たした。しかも、余力を残す、という目標通りに。さしあたって当初の予定通り、この勝利は角王とそのしもべの前に斃れた連中に捧げてやろう、と思うのだ。

 余談だが、彼らはこの後、余勢を駆って、元気な『襲撃者』に挑み、以前の苦戦が嘘のように快勝した。

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