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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・15

 宿で疲れを癒している間、女将が簡単にだが装備の汚れを落としておいてくれた。それ自体は、手が空いていたらよくやってくれることだったのだが、女将に言わせれば今回はちょっとだけ違うらしい。何が違うのかと問えば、女将は、ウフフフフフと笑ってタネを明かしてくれたのだ。
「今日はね、ウチの娘が手伝ってくれたのさ」
 さすがに見ただけでは判らないこと、どう反応したものか困る一同に、女将は「ついでにコレ食べてみないかい」と皿を差し出す。盛りつけてあったのは厚切りされたパウンドケーキらしきものだ。素直に頂いて口に入れると、バターの香りと蜂蜜の甘さが口に広がる。
「どうだい? フフフ、美味しいだろ? コレもね、娘が作ったんだよ」
 豊満……といっていいのかどうか微妙なのだが豊かには違いない胸を張る。
「我ながら出来の良い娘でね、気立ても良いし、要領も良い、大抵の男はイチコロだろうね!」
「へー、そんなに美人さんか」
 感心したようなアベイの言葉に、にこにこ笑いながら女将は返す。
「そうさ。あたしの若い頃にソックリだものね」
「……………………へ?」
 空気が固まった。
 ちょっと待ってくれ女将の若い頃にソックリって何なんだ!? ああまぁ女将が醜女しこめだと思っているわけではないのだが。それに、あくまでも『若い頃』だ。その頃の女将が今のように恰幅がよかったとは限らない。しかし、どうしても想像できない。想像しようとしても、目の前の女将がそのまま縮小したようなものを思い起こしてしまう。自分達の貧相な想像力に絶望する中、アベイだけが平然と「なるほどなぁ、ドーラおばさんみたいだなぁ」とつぶやいていた。ドーラおばさんって誰だろう?
「おや、アンタたち何だいその顔は」
 女将は目をしばたたかせると、にやりと笑う。
「あたしは今でも充分魅力的だろ? ウフフフフフ!」
「はは、まぁ、な」
 ノーと言えるはずもなく、冒険者は生返事でその場をやり過ごした。もっとも、女将自身も、今の自分が実際にどう見られているかは判っていて、冗談交じりに一連の会話を繰り広げたのだろうが。
 さておき、いつも世話を焼いてくれることには多大な感謝を。冒険者達は女将と娘が整えてくれた装備を再びまとい、疲れの癒えた身体も軽く、大公宮に向かう。
 大臣との面会を望む旨を伝えると、侍従長の案内に従って謁見の間に足を踏み入れる。
「サラマンドラの羽毛を手に入れたから」という謁見理由は、一足先に伝えられていたのだろう。大臣は、安堵と歓喜が入り交じった表情で、冒険者達を出迎えるのであった。
「おぉ、『ウルスラグナ』の者たちか。ご苦労であった、無事に幻獣の羽毛を持ち帰ったようじゃな!」
「おうよ、大変お待たせいたしました、だぜ」
 相変わらず高位の者との謁見に臨んでいるとは思えない態度のエルナクハであったが、ともかくも革袋を取り出し、広げてみせる。
「……どっか、こいつを空けるとこはねぇか?」
「う、うむ、しばし待たれよ」
 大臣は革袋の中を注視していた顔を上げ、何者かを呼ぶ。入室してきた者は、学者であると断定したくなる雰囲気を湛えた壮年の男であった。その手には浅い皿のようなものを捧げ持っていたが、その皿は天鵞絨ビロードを敷いてあったり金縁の装飾がなされていたりと、どう見ても只物ではない。ともあれ冒険者側としては、それに空けろというなら拒否する理由もないことである。エルナクハは革袋を逆しまにして、軽く振った。
 革袋の中に収まっていた羽毛のひとかたまりが、ふわり、と皿の天鵞絨の上に舞い下りた。
 内側から虹色の光を滲ませる羽毛を目の当たりにして、その場にいた誰もが、夢見るように溜息を吐いた。既に見ている『ウルスラグナ』ですらそうなのだ、大公宮の者達には耐えがたいものだっただろう。
 大臣は涙を流しそうな表情で、虹色の羽毛を堪能すると、何度も感慨深げに頷いた。
「……見事じゃ、『ウルスラグナ』よ。見事な働きである。そなたらに衛士たちを鍛えてもらいたいくらいじゃ」
「依頼とあらば、いつでも承るぜ」
 真意というより、賞賛の表現に過ぎないかもしれないのだが、エルナクハも無難に返した。
「……あ、あとコイツ。アンタのとこの衛士サンが行き倒れてて……こいつは、形見みたいなもんだ」
「……そうか、感謝しますぞ」
 地図について簡単に事情を訊いたが、やはり大公宮でも樹海を把握しようと、衛士を派遣したものらしい。冒険者の助力も得ようと、酒場を通じて依頼を出したが、それは別の冒険者が受けたそうだ。聞いたギルドの名は、糸で戻ってきたときに見かけた連中のものだった。
 そこで改めて、かねてよりの懸念を大臣に問うてみる。
「ところで大臣さんよ。オレらちょっと心配なことがあってよ」
「報償の件か?」
「はっはっは、そっちは心配ってより期待だな。そうじゃなくて、羽毛のことだがよ」
 羽毛の『消費期限』のことだ。あくまでも推測だが、あの羽毛は、放っておけばいずれ力を失うのではないだろうか。その成れの果てが、サラマンドラの巣の中で見た『羽毛の形をした灰』であり、ちょっとしたことで崩れ去って白い灰粉になってしまった残骸ではないだろうか。迷宮から私塾へ帰り着く間に、探索班一同はそんな懸念を取りまとめ、それゆえに、アルケミスト達に、羽毛のみならず、灰の調査も頼んだのである。
 材料が発見されたからといって、薬がすぐできるかは分からない。いにしえの記録どおりに行っても、必ずしも上手くいくとは限らない。試行錯誤の合間に、羽毛が肝心の力を失ってしまったら、どうすればいいのか。また取りに行けと? 行くこと自体は構わないのだが、今回もなかなか見つからなかった羽毛が、次回も見つかるかどうか。
「その件に関しては、ご心配なさいますな」
 と、羽毛の載った皿を捧げ持つ学者が微笑む。
「記録には、羽毛を保管する方法が記されておりました。永遠に――とまではいかないのでしょうが、一年や二年は保たせることができるそうです」
「それはなによりですえ」
 一同を代表するかのように、焔華が目を細めて安堵の息を吐いた。
 学者が謁見室を立ち去ると、大臣は、冒険者達を失礼にならない程度に眺め回しながら、安堵した様子で口を開く。
「無論、幻獣との戦いはうまく避けたのじゃな?」
「まぁな。今のオレらに勝てる相手じゃ、ない……」
 本当に、本当に、数ヶ月前、エトリアの深層に挑んでいた頃の自分達なら勝てたかもしれないのに。
 悔しげな思いが表層に出ていたのだろうか、大臣がなだめるように言葉を続けた。
「あの魔物には勝てぬとて恥ではない。勝敗を決したいのなら、ゆっくりとでも確実に力をつけ、いずれ再び戦いを挑めばよかよう」
 そうだろうな、と冒険者達は思う。力試しに急いて生命を落とすなどという馬鹿げたことはしたくない。……過去にサラマンドラに挑んで散った者達の復讐? 人生の半ばで散った彼らは確かに哀れだが、その復讐を果たしてやる義理は『ウルスラグナ』にはない。勝算が高ければ無念を晴らしてやってもいいのだが、現時点では、誰かがそれを望み、ミッションとして提示してきたとしても、一も二もなく断るだろう。
 そんな思考を読んだわけではあるまいが、大臣は穏やかに笑んで頷いた。
「今は、あの危険な地域から羽毛を持ち帰ってくれたことで十分じゃ」
 差し出された報酬はキマイラを退治したときのものより重かった。
 片や魔物退治、片や捜し物――といっても、どちらも生命の危険があったことは間違いないし、実際『捜し物』の方が危険な魔物と相対峙した。理性ではそれがわかるのに、感情的にはどことなく納得がいかないものを感じる。
 ……そうか、やはりフロースガルのことが引っかかっているのだ。
 自分達の見知った者の死を重く見すぎて、理論的に考えればおかしくもない報酬の差に、その死を軽んじられたような気がしてしまったのだ。
 まったく馬鹿げた考えだ。大臣は別に、フロースガルはじめキマイラに殺された者達を軽んじているわけではないだろう。それに、サラマンドラに殺された者も多い。それらを加味して、危険度と重要度を吟味して報酬を決めただけだ。敢えてそれ以外の報酬の差の理由を挙げるなら、それが国家元首の生命に関わることだという一点だ。それを批判する理由はない。国家元首の生命は時に国家そのもの、その生死に絡むごたごたは、大勢の無辜の民を道連れにしかねない、というのは、依頼を受ける際にも考えたことである。報酬額が増える理由としては、不思議ではない。
 ま、いいさ。
 いろいろと考えた割に、割り切るために心中でつぶやいた締めの言葉は、至極単純だった。自分達はやり遂げた。大公宮から報酬を賜った。それでいい。どうしても気になるなら、報酬の一部で酒なり買って、彼らの御下に供えてやればいいのだ。

 さて、大公宮の依頼を完遂した『ウルスラグナ』は、再び普通の探索に戻る。
 冒険者から酒場づてで朽木の状況を知らされたツキモリ医師は、早速レポートを取りまとめ、ノースアカデメイアへ送付したそうだ。その結果がどう出るかは、しばらく待たなくてはならないだろう。相手の下に手紙が着くまでは、速達にしても時間がかかる。
 速達といえば、サラマンドラの件が解決した三日ほど後に届いた、エトリア正聖騎士からパラスへの手紙が、その扱いであった。普段は普通便で届くはずのそれを前にして、パラスは緊張しつつ封を切る。ただ事ではない雰囲気を感じ、固唾を呑む仲間達に、カースメーカーの少女は溜息ひとつ、かすれた声を上げた。
「オレルスさんが……呪われてるんだって」
「呪われてる……?」
 訝しげに問い返す一同に手紙が回され、事情がはっきりとする。
 どうやら、エトリアの若長オレルスに対して、何者からか『呪詛』が掛けられたらしい。それも、大分前からだという。呪詛自体は致命的ではないが、それがオレルスの体調を崩していたそうだ。大事にするわけにもいかなかったので、これまでパラスへの手紙にも書けなかったらしい。だが、そんな状況も、一ヶ月ほど前にエトリアに呼んだ『アト叔母さん』のおかげでなんとかなりそうだとのことだ。
「……『アト叔母さん』って、誰?」
 と問うオルセルタの言葉は、問い詰めるというより、単に見知らぬ人名が出てきたから口に出た、というだけのことだったのだが、パラスは律儀に答える。
「あ、私のお母さんだよ」
「母ちゃん、だぁ?」
 そりゃカースメーカーとて木の股から生まれたわけでもなく、まして一部の者が固く信じるように混沌がこごってできたわけでもないだろうから、親は存在するだろう。しかし、仲間内で誰かの親の話が出ることは稀だったので、何となく驚きの感情を抱いてしまった。
「うん、でも、お母さんがいろいろやってくれてるなら、ちゃんと呪いも解けるね。よかったよかった」
「あなたのお母様もカースメーカーなのですね」
「うん、うちは代々カースメーカーだからね、今のところは」
 ともかくも、ハイ・ラガードで『ウルスラグナ』が暴れているうちに、エトリアではいつの間にか問題が持ち上がり、そしていつの間にか解決しようとしているらしかった。なんで今まで教えてくれなかったのか、と思わなくもないが、事が国家代表者の去就に関わるとすれば、そう簡単に知らせられるものでもないだろう。どうであれ、解決の目処が立っているのは僥倖である。
「返事書こ。サラマンドラのこと書くんだー。……あ、そうだ」
 自室に戻ろうとしたカースメーカーの少女は、ふと思い立ったか、アルケミスト達に向き直る。
「ねぇ、サラマンドラの羽毛、調べ終わったでしょ。よかったら、もらってもいい?」
 羽毛の価値を思えば、ある意味図々しいお願いではある。しかし、フィプトは頷いた。
「構いませんよ」
「ほんと?」
「灰になってしまったものでよければ、ですが」とセンノルレが後を引き継ぐ。
「えー、灰になっちゃった!?」
 パラスはがっくりと肩を落とした。
 サラマンドラの羽毛については、アルケミスト達の懸命の働きで、あらかたは調査済みである。
 彼らの専門用語抜きで簡単に述べるなら、羽毛にはとてつもない力が秘められているという。それは、仮に薬品に仕立てたら、死者をも蘇らせかねないほどの力らしい。
「じゃあ、そいつをアベイに渡して、薬を作ってもらったら、すっげぇ役に立つのが作れそうだな?」
 と、心躍らせるエルナクハに、彼の妻たるアルケミストは、首を否定の形に振りながら答えたものだ。
「取り扱いを誤れば、癒しを通り越して体内を破壊してしまいかねませんよ」
 しばらく考え込んだ後、アベイの技術を貶めるつもりではない、と前置きして、さらに続ける。
「この世界の海洋を埋め尽くすケーキだねを、現実に存在する器具と材料だけで、三日でパンケーキにした上で、全部食べろ――現状で、あの羽毛で薬を作るというのは、そういうことですよ」
 なんでパンケーキがたとえなんだ、と思わなくもないが、つまり、羽毛を薬に仕立てるのは、通常の手段では不可能に極めて近いほどに困難だということだろう。
 そんなこんなのうちに、羽毛は、かねてよりの予想通り、力を失って灰になってしまったそうだ。この予想は、羽根と灰を調べたときに、構成元素の質的一致と量的相違から、ほぼ裏付けが付いていたことである。羽毛の本来の耐久時間は不明だが、少なくとも大公宮に献上した羽毛も、特殊な保管方法がなければ灰と化していただろう。
「その保管方法、訊いときゃよかったかな」
 アベイが残念そうにうなるが、聞いたところで、肝心の薬の精製方法がとてつなく困難では、どうしようもない。大公宮には古文書という指針があるが、冒険者にはないのである。
「『生きた古文書』に頼るのもムリっぽいしなぁ」
「誰が『生きた古文書』だ!」
 冗談はさておき。
 薬の精製方法といえば、アルケミスト達は真剣な顔で、大公宮でも現時点では薬は作れない、という可能性を呈示したものだった。
「万能薬には、必要なものがあるんですよ」
 とフィプトが難しい顔をして口を開く。
「簡単に説明するなら、『硫黄』と『水銀』です。『塩』も必要だと唱える者もいるんですが、さしあたって、ふたつは必要ですね」
「なんだ、硫黄と水銀なんかで万能薬を作れるのね」
 オルセルタの短絡的な結論に、センノルレが首を振って答えた。アルケミストならぬ者には判らなくて当然、と思ってか、浅慮を笑うことはしなかった。
「現実の硫黄と水銀などを使ったら、ただの辰砂ができるだけですよ。……昔はそれが万能薬だと思われていたらしいのですが」
 現実の水銀や、その化合物は、基本的には毒である。太古から不老不死を求める者が、万能薬と勘違いして摂取してきたが、その末路は中毒による死であったと伝えられている。アルケミスト達が語る『硫黄』『水銀』『塩』は、あくまでも象徴的な呼称だ。
 羽毛を調べた結果、その錬金術的属性は『硫黄』に当たるのだという。
「……だとすると、あと、少なくとも、『水銀』に当たる何かが、万能薬を作るには必要ってことなんだ?」
 というパラスの得心に、アルケミスト達は軽く頷く。
「あくまでも、可能性として、なんですが。羽毛だけでも薬になるのかもしれませんが、もしかしたら、と備えておくことは悪くないと思いますよ」
「つまり?」
 エルナクハが問い返すところに、フィプトは結論を述べた。
「『水銀』に当たる何かを持ってきてくれ、というミッションが発令される可能性があります。心構えはしておくに越したことはないでしょう」

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