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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・14

 地面に横たわった二匹の魔物を前に荒い息を吐きながらも、冒険者は倒れることなく立っている。
 心に抗いがたい恐怖を湧き起こさせる咆哮や、角を向けて突進してくる強力な一撃に、手こずったが、どうにか善戦したと言えるだろう。
 せっかく倒したのだから、荷物に余裕もあるし、肉でも――と、解体用のナイフを握ったはいいのだが、人間に似た顔が気になって、どうにもこうにも食欲が湧かない。そう思うのは『ウルスラグナ』だけではなく、彼らより先んじてこの魔物に遭ったことがある者達も同じだったようだ。後に大公宮に報告しに行った『ウルスラグナ』は、先達がこの魔物を『アクタイオン』――古い神話で、女神の逆鱗に触れて鹿に変えられた人間の名――と呼んでいることを知ることとなる。
 結局、肉は諦める。次に目に付いたのは立派な角だった。戦いの際には人間どもを苦しめた角は、剣を叩きつけても折れないほどに堅い。いい素材になるかもしれない。しかし、あまりにも堅くてなかなか取れず、一匹分を取ったところでくたびれた。ちなみに、肉を取るのには躊躇したのに角は平気で取るのか、と問われれば、「そんなもんだ」と答えるしかない。
 そうしてから、せめて衛士の形見になる品でも持って帰ってやろうとして、ふと気が付いた。
 脈を取った方とは反対の手――陰に隠れてよく見えなかった方の手には、羊皮紙が握られていた。垂れ落ちた血にまみれたそれを広げてみると、中には地図が描きかけのまま残されている。どうやら八階の地図らしい。間違っている箇所も少しあるが。
「衛士が、地図を描いてる……?」
 かつて公国の衛士や騎士を動員していた時代ならともかく、今は冒険者の探索を頼りにしているのが実情だったはずだ。それが、また自ら探索し、樹海の様相を探ろうとしている。
「今更、外部の冒険者はいらん、というわけか?」
「いやナジク、そりゃ飛躍しすぎじゃねぇか?」
 普通に考えれば、単に『樹海の知識をなるべく多面から知りたい』がゆえの行動だろう。そもそも遺された地図の間違いようからすれば、冒険者を廃して探索を続けようとしても、行き詰まりそうな気がする。もっとも、間違った地図を描く衛士ばかりではないだろうが。
「なんにしても、お仕事なら、届けてあげないといけませんえ」
「そうねぇ」
 女性陣の言うとおりだ。ここで行き会ったのも何かの縁、生命を賭して成した仕事の成果を打ち捨てるのも薄情だろう。
「せめて、アンタのやり遂げようとした証は、届けてやるよ」
 エルナクハは短い祈りの言葉をつぶやきながら、地図を畳んで自分のザックに収めようとした。その動作が止まったのは、地図の上に気になる書き込みがしてあったからだ。閉じかけた地図を慌てて広げ、その書き込みを確認する。場所は――現在地から少し南東に位置する地点。書き込みは――不自然に枯れた木々。
 崖の上から見えた、色の抜けを思い出す。位置的には合致する。やはり、あの朽木なのか。
 見たことのない魔物との戦いで消耗したこともあるから、サラマンドラの羽毛を届ける前に倒れないよう、ひとまず帰ろうと思っていたところだった。だが、件の朽木の存在の可能性が跳ね上がったところで、確認しなければ、という気持ちが湧き上がる。
「……周囲に魔物の気配はなさそうだ」
 エルナクハの考えを読んだか、ナジクが囁いた。
「そか」
 朽木がある場所には、衛士の地図を信用するなら、約十分。その位の間に、新たな魔物と対面する可能性は低いだろう。仮にあったとしても一度くらいと思われる。
 それに最近、ある技のコツを掴んできたところだ。力尽くで退路を開き、大概の魔物からは逃げられる、パラディンの護衛技『全力逃走』。七階で手痛い目に遭ってから、いざというときのために研鑽を始めたものだ。それを使えば、ひとまず逃げてから糸を使って街に戻ることもできる。ちなみに、普段の逃走時に使わないのは、気力を消耗することに加えて――なりふり構わず逃げるために、探索していた地点から大きく離れてしまうこともままあり、探索作業中の使用には向かないからだ。まさに危機時の奥の手である。
 ともかく、結論としては、「行けるところまで行ってみよう」ということに尽きる。
 景気づけの軽口を叩きながら、冒険者達は歩を進めた。再び低木の茂みを掻き分け、目的地を目指す。
 その場所が見えるまでには、ほぼ想定通りの時間で済んだ。しかし、その後が問題だった。冒険者達の足は明らかに鈍っている。少し歩いては立ち止まり、少し歩いてはまた立ち止まり。すぐそばまで行かなきゃいけないか? と互いに目線で会話し合う。
 はいともいいえとも結論が出ないまま、結局、一行は朽木の傍まで来てしまった。
 たぶん気のせいなのだとは思うが、この朽木の傍では、鳥の鳴く声も聞こえず、風さえも止んでいるように感じられる。初めて朽木を発見したときにも思った、そこだけ異空間に見える、という違和感に拍車が掛かる。たぶんこの気持ちは、何度朽木を見ても、慣れて薄れることなく付きまとうだろう。
「……ひとまず、そろそろツキモリ先生にお知らせした方がいいでしょうし」
 焔華の言うとおりだろう。もとより、サラマンドラの件が片付いたら酒場の親父づてに報告するつもりではいた。これで、見付けた朽木は五箇所。もしもこの『症状』が拡大するものなら、手をこまねいているわけにはいかないだろう。あまり待たせると、ツキモリ医師を後手に回らせることになる。
「ま、サラマンドラの羽毛は、また明日だな」
 はぁ、と溜息を吐きながらアベイが言う。
 そういえば皆に羽毛を手に入れたことを言い忘れていたのだったか。エルナクハはザックの脇ポケットから、革袋を取り出して開けて見せた。内側から虹色を放つ羽毛のひとかたまりが、一同の目を惹く。ひとしきり美しき色の転移を堪能すると、仲間達は、眉根を吊り上げてエルナクハに詰め寄るのだった。
「見付けたんだったら先に言え!」
 いやだから、そんな余裕なかったんだってばよ、と、ギルドマスターは弱々しく反駁した。

 糸を繰り出して迷宮入口に戻る。
 糸による磁軸遡行の出口である、踊り場脇の空間に、一同が帰り着いたとき、階段を挟んで向かい側に見える、樹海磁軸(と磁軸の柱)の起点の空間に、一組の冒険者がいた。ハイ・ラガードで知り合った、付き合いは短いが気が合う連中で、街で出くわしたときに、屋台で軽く一杯――必ずしも酒ではない――交わすこともままある。当然、挨拶ぐらいしてもよかったのだが、タイミングが悪かったのだろう、彼らは立ち上る磁軸に飛び込もうとしているところだったのだ。そのまま『ウルスラグナ』に気付かずに光の中に消えてしまった。
「……ま、しゃーねぇな」
 エルナクハは肩をすくめ、だが気を悪くしたわけでもなく、自分達が本来成すべきことに意識を引き戻した。
 まずは一度私塾に戻って、ちょっとした用事を済ませた後、フロースの宿で一休みだ。樹海探索で汚れ疲れたままの姿で大公宮に参内するわけにもいかない。大臣はもはやそんなところは気にしないかもしれないが、最低限の身だしなみは整えるに越したことはないのだ。それに、単純に自分達が疲れを取りたいということもある。
 それから大公宮に参じて、サラマンドラの羽根を引き渡す。それが終わったら、鋼の棘魚亭で、朽木に関する報告だ。
 という予定の下に、『ウルスラグナ』探索班一同は、今となっては我が家にも等しい私塾への帰路を辿った。
 早朝から探索を始め、帰り着いた今は、常ならば年少組の授業が始まる頃合いである。が、夏休みなので、子供達はいない――と思ったら、私塾の裏庭で、年少組と年長組の入り交じった子供達が十人ほど、固まっている。
「……なんだオマエら、遊びに来たのか?」
 と黒い聖騎士が声を掛けると、「おっすエルナクハ!」と偉そうな態度の子供ガキから、ぺこりと会釈をする十五歳ほどの少年まで、各自それぞれに挨拶を返してきた。
「血が出てる? だいじょうぶ? ねぇ、だいじょうぶ?」
 と、心配げな眼差しを浮かべつつ、さえずる小鳥のように声を上げる小さな女の子達には、
「心配せんでも、大丈夫ですし」
 と焔華がたおやかに答える。嘘でも何でもない。傷そのものはアベイの応急処置であらかた塞がっている。少女達が見た血は、処置直後に包帯の上に滲んできたものに過ぎない。
 ところで子供達はハディードを構いたがっていたようだ。しかし、樹海で拾われた獣の子は、中庭の片隅に設えられた犬小屋から出てこない。中からじっと見つめてきている眼差しに、敵意のようなものは感じられないから、様子を見ているといったところだろう。思えば『彼』を連れてきてからまだ一週間程しか経っていないのだ。
 ちなみに、ハディードの小屋がある場所の傍には、花壇と数本の立木があり、周辺には雑草が繁茂している。その雑草の中に奇妙なものを見付けたマルメリが、それを拾い上げた。紙でできた人形である。いくらかボロボロになっていた。
「……何、これぇ?」
「……む、拾い忘れか」
「なんだぁ、ナジクくんの?」
「僕の、というのは違うが、どっちにしても、もう要らないものだが」
「なんだぁ、じゃ、捨てておくわよぉ」
 やや間延びした口調で話を締めると、マルメリは紙人形をくしゃりとまるめて拳の中に納めた。部屋に帰ったらくずかごに放り込むつもりだろう。その様を見ていたエルナクハが小首を傾げてナジクに問うた。
「何だよ、ありゃあ?」
「パラスの呪術人形だ。ちょっと前に訓練に付き合ってもらった」
「アレを的にしてか? アレじゃあんまり訓練にならねぇんじゃねえか?」
「そうでもない。パラスの呪術でよく動く」
「マジ?」 
「ああ、髪の毛を使った呪術――」
 と言いかけたところでナジクの言葉が切れたのは、話題にしてたカースメーカーの少女が入口から飛び出してきたからだ。
「お帰り、みんな!」
 その表情は彼女の常日頃の明るさそのままに見えたが、しかし、どこか引きつったような違和感がある。
 なんとなくだが、昨日、サラマンドラの下から命からがら戻ってきたときに出迎えてきた彼女の様子に、近しいものを感じる。
「……なんか、また悪い徴が出たか?」
「……うん」
 おずおずと尋ねるアベイに、パラスはためらいながら、それでもしっかりと肯定した。
「だがハイ・ラガードよ、オレらは帰ってきた!」
 気まずさを含む空気を吹き飛ばさんかの勢いで、やや戯け気味にエルナクハは言い切る。
「そうだね、無事に帰ってきたよね。うん、お帰り、みんな」
 ようやくパラスは微笑んだ。確かに占いはよくない兆しを示したが、仲間達はそれをくぐり抜けて帰ってきた。占いの囁く結果は傾聴するべきものだが、あくまでも警告、決まり切った未来ではない。判ってはいながらも動揺すると忘れてしまう、当たり前のことを、改めて思い知ったのだった。
 そんな彼女の頭を、くしゃりと掴み撫でると、エルナクハは仲間に先だって私塾の中に踏み込んだ。
 あるいはパラスの様子に感化されて不安を抱いたのだろうか、ティレンやオルセルタならまだしも、あまり出迎えをしないアルケミスト達までもが、入口で固まっている。「大丈夫だってばよ」と、半ば呆れ気味にエルナクハが声を掛けると、やっとそれが嘘ではないと判った、と言わんばかりに胸をなで下ろす。
「でもちょうどいいや、オマエらに頼みがあったんだ」
 アルケミスト達にそう言いながらパラディンが取り出したのは革袋、サラマンドラの羽毛が納められたものである。口を開けて中を見せると、アルケミスト達のみならず、他の二人も、後から入ってきて覗き込んだパラスも、一様に溜息を吐いたのであった。内側から虹色の光を滲ませる羽毛には、有無を言わさず人の心を掴む何かがあるようだった。
「これが、サラマンドラの羽毛、ですか」
「ああ。それで、コイツのことを軽く調べてほしいんだよ」
「大公宮に持っていかなくてはならないのではないんですか?」
 若干咎めるような眼差しを向ける妻に苦笑を返しつつ、黒い肌の青年は、悪戯小僧のような口調で答えた。
「これだけあるんだ、ちょっとくすねたところで問題ねぇだろ」
 それに、かのキタザキ医師さえ根絶できなかった病を治せる可能性がある秘薬『エリクシール』、その材料となるこの羽毛の成分構成がどんなものか、興味ないはずはないだろう。そんなパラディンの言葉に、アルケミスト達は、反論する気も、取り繕う余裕もなく、こくこくと頷くしかなかった。万能薬『エリクシール』は、メディックのみならずアルケミストにとっても至上の夢なのだ。
 フィプトが「シャーレ、シャーレを」とつぶやきながら奥へ戻っていくのを見送り、今度はアベイが革袋を取り出した。
「そっちは何です?」
 とセンノルレを始めとした一同が覗き込むが、その中には細かい白い灰の入った瓶しかない。訝しげなアルケミストにメディックの青年は告げた。
「ちょっと気になることがあってさ。ついでだから、この灰の成分も調べてほしいんだ。できれば、時間が経つと成分がどうなるかも」
「はあ、わかりました」
 意図が掴めずに生返事をするセンノルレだったが、やると答えたからには違えることはあるまい。「こっちは袋ごと持っていっていいから」と渡された革袋を両手で包むように持って、奥へと戻っていく。入れ替わりにガラス製の蓋付き小皿を持ってきたフィプトが、同じく持ってきたピンセットで羽毛の一片を掴むと、ふるふると震えながら小皿に収めた。全身をがくがくと震わせながらまた奥へ戻っていくフィプトだったが、誰も見ていなかったら、震えるのではなく、謎の素材を誰よりも先に調べられる喜びに、奇声を上げながら舞い狂っていたのかもしれない。
 これで『ちょっとした用事』は済んだ。探索班は一路、フロースの宿に向かうのであった。

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