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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・13

 そうして、束の間の休息に突入すること、しばし。
「……そろそろ、まずい」
 北の方に油断なく視線を投げかけていたナジクが、警告の声を発した。磁軸計の反応も、サラマンドラが木立を回り込んできつつあることを示している。
「あと五分んー」
「羽毛を探す時間も要る」
「ああん」
 しかし焼き殺されるわけにもいかない。未練がましいマルメリも含めて、冒険者達は立ち上がる。
 やや早足で、サラマンドラがおびき出す前にいたあたりまで足を運んだ。
 大公宮から預かった地図のとおりに、西の方に道が続いている。
 いや、道に見えるが、間違いなくサラマンドラの巣だろう。下草を整えて居心地のいい場所を作ろうとした跡が明らかにわかる。紅の葉も、絨毯のように敷き詰めてある。
 だが、奇妙なことがある。巣の中には白っぽい灰が所々に降り積もっていたのである。
 炎で周囲の木々を燃やしたのか、とも思えたが、どうも勝手が違うようだ。灰は、単純に何かを燃やした後にできたとは思えないほどに緻密だったのだ。粉と言ってしまってもおかしくはあるまい。
「あ、あれ、見てくんなまし」
 焔華が何かに気が付いて指差した。見ると、入口にほど近い隅の方、降り積もる灰の上に、何かふわふわしたものが堆積している。近付くと、それは重なり合った羽毛状のものだった。
「サラマンドラの羽毛?」
 堆積した灰とほぼ同じ色合いで、あやうく見過ごすところだったが、これで依頼は解決だ。冒険者達はそそくさと手を伸ばす。しかし、指先が触れるか触れないかのところで、その羽毛は儚く崩れ去ってしまったではないか。崩れた後の羽毛は、粒子となって、下の灰の上に降り積もる。同化してしまい、もう、灰と羽毛の区別はつかない。
「ちょ……!?」
 虚しく宙をさまよう指を引き戻し、冒険者達は愕然とした。
 周囲に降り積もる灰は、サラマンドラが脱皮した後の羽毛(らしきもの)が崩れた成れの果てだったようだ。こんなに儚いのでは、とうてい持って帰れない。それとも、崩れ去った後の灰を持ち帰ればいいということか。
「なんか、秘薬の材料、って思えないよな」
 ありありとした落胆を声に含ませ、アベイが肩を落とした。
「でも、他にないよな。とりあえず持って帰って調べてみるか」
 メディックは小瓶に灰を回収し始めたが、彼と同じような思いを他の冒険者達も抱いていた。見た目で判断しても仕方なかろうが、どうも、『あらゆる病を癒す』という大上段な口上と、目の前にある灰とが、上手く結びつかない。
「いや、でもなぁ……」
 エルナクハは妻のことを思い起こした。正確には妻ではなく、錬金術師としてのセンノルレのことをだ。
 アルケミストは、どうしたらそうなるのだ、としか思えない方法で、素材を精製し、術式に使っているではないか。
 メディックとアルケミストの技術の系統は、逆しまに辿っていけば同じ根に行き着く、と聞いた気がする。だったら、アルケミスト達にも調べてもらえば、医学的にも納得いく何かがわかるかもしれない。
 しかし、古き記憶に記された素材は、あくまでも『羽毛』だ。灰だけ持って帰っても徒労になる可能性も、またある。もう少し調べてみなくてはならない。
 ひとまず、手分けして探してみることにした。サラマンドラの動向を掴むために、ナジクに磁軸計を見てもらって、残りの四人は、白い灰がそこかしこに積もる巣の中を捜索し始めたのであった。
 這いつくばって地面を探し回る冒険者達の頭上から、騒がしい鳥の声がこだまして降り注ぐ。サラマンドラの怒気に当てられているのかもしれない。ばさばさという羽ばたきの音と共に、羽根や羽毛がはらはらと落ちてくる。
「ややこしいなぁ」と、奥まったところを探しつつエルナクハはぼやいた。
 この分だと、灰にならない羽毛を見付けて喜び勇んだとしても、実はただの鳥の羽毛でした、というがっかりもあり得るだろう。そもそも、自分達はサラマンドラの羽毛の色さえ知らないのだ。炎の精霊の名を冠されているくらいなのだから、赤、と決めつけたいところだが、しかしサラマンドラ自身はといえば緑色だったりする
 とりあえずは、羽毛と見れば片っ端から拾い上げてみた。こうなったら質より量である。サラマンドラが戻ってくるまでに手当たり次第集めて、検証は街に帰ったら行えばいい。眼鏡に適わなかったらまた明日出直し――。
「……およ?」
 手が止まった。目の前の地面、白い灰に半ば埋もれるように、ひとかたまりの羽毛がある。羽毛の核の中に七色の炎が灯り、その柔らかな光が外側に漏れだしているような、不思議な輝きを持っていた。震える指先で慎重に掘り出し、掌に載せると、ほのかに暖かみさえ感じるような気がした。
 本能的に悟る。これが捜し物、サラマンドラの羽毛であると。
「おい、見付け――」
「来た! サラマンドラだ!」
 喜び勇んだ報告の声は、警告の声に虚しく掻き消された。
 せっかく見付けたのに何だよ、と水を差された気分になったが、刹那の後には気を取り直す。
 巣の入口から、サラマンドラが中を覗き込んできているのだ。その口元から炎を漏らし、喉を撫でられた猫のような声を――もちろん猫とは違って不快の表明だろうが――上げている。追い払ったはずの賊が我が家に押し入っているわけである、不機嫌にもなろう。
 エルナクハは即座に撤退を決意した。捜し物(らしきもの)は既に手に入っているのだ、未練がましく居座る意味もない。仲間達はまだ捜し物発見については知らず、残念そうに眉根を歪めていたが、ここで意固地に居座ってサラマンドラに殺されるのは愚かなことだ。撤退については異論ないはずである。本当は見付けたものを披露して安堵させてやりたいところだったが、そんなことは後でもできる。今はこの場を逃れることが先だ。
「ナジク、糸のセットアップ頼む!」
 ギルドマスターとして退却準備を頼んだのだが、しかし、レンジャーの青年は首を振る。なんだよ、と言いそうになったエルナクハに、ナジクは巣の南の方に広がる木立を指しながら口を開いた。
「皆が羽毛を探している時に、気になったから調べてみた。通れる場所がある。どうする?」
「そっか!」
 糸を用意して転移する方が、安全かつ楽に逃げられる。だが、それ以外にも逃走経路があるということに、エルナクハはいたく興味を惹かれた。
 今日、サラマンドラの巣に来るまでは、極力体力や気力を消耗しないように考えてきた。サラマンドラとの追いかけっこで疲れはしたが、その疲れが取れれば、探索を続行するにはさしたる問題がない程度に活力は残っている。だったら。
「みんな、こっちだ!」
 仲間達を呼び寄せる。匍匐して近付いてくるサラマンドラの、怒りに燃える瞳を、視界の片隅に認めながら。
 すでにナジクは南の木立の傍にいた。そのあたりが、発見した抜け道なのだろう。
「早く!」
 抜け道の先は未知の領域だ。それでも冒険者達は身を投じる。当然、サラマンドラから逃げ切るためだが、その先に何があるのか、という好奇心も否定はできない。
 自分とナジク以外の全員が抜け道に潜り込んだのを確認し、エルナクハはレンジャーの青年に目を向けた。
「オマエも行け」
「いや、お前が先に」
 また、そう来るか。エルナクハは内心うんざりとした。しかし、ここでぐずぐずしている余裕はない。聖騎士は頷いて、ナジクの言うとおりに先に抜け道に入り込んだ。
 ナジクもすぐに後を追ってくるのに、安堵する。
 サラマンドラはすぐ近くまでやってきたのだろう、気温と湿度が明らかに上昇する。抜け道にもその効果が波及し、木々の合間に熱が籠もって蒸し風呂のようだ。
 その異常な空間から一刻も早く離れようと、冒険者達はできる限りの早足で木立の合間を行く。
「炎とか吹かれてきちゃったらどうしようぅ」
 焔華、アベイに続いて先を行くマルメリが震える声を上げた。
「おそらく、それはあるまい」
 殿しんがりを務めるナジクが答える。「自分の巣を破壊しかねないからな。そんな馬鹿な真似はしないだろう」
 樹海の木々に炎は禁物だ。炎を吹く魔物達も、アルケミスト達も、木々の密集地で火を扱うことはしない。そもそも、そんな場所を主戦場にすること自体、互いの動きの自由度の関係上、まずないのだが。
「それも、そうかぁ」
「きゃあ!」
 マルメリが納得するのとほぼ同時に、戦闘を行く焔華が悲鳴を上げた。
「どうした!?」
「皆、止まってくださんし」
 何があったのだろう。冒険者達は行軍速度を緩め、既に立ち止まっている焔華の隣に並ぶ。
 ……焔華が悲鳴を上げるわけだ。
 木立を抜けた先は崖だった。といっても、人の身長より若干高い程度、気を付けて降りれば怪我もしないだろう高さ。ただし、降りてしまえば、引き返すことはできないだろう。もとより、現時点では戻るつもりも必要もないのだが。
「ともかく、降りねばならないな」
 ナジクが荷物の中から長いロープを取り出し、頑丈そうな一本の樹に引っかけ、結んで輪にした。それを使ってナジクは崖を降りていく。下に異常がなかったら知らせてくれるだろう。残された冒険者達も、上からも異常がないかどうか、目前に広がる緋の樹海と、その合間合間にある拓けた地を見据えた。
「……あれ?」
 と焔華がまたも声を上げた。何事かと視線を向ける一同に、ブシドーの娘は、前方左よりの方向を指差す。
 広がる樹海の一点、緋の合間に、奇妙に色が抜けた場所がちらちらと見える。
「あれは……ひょっとして……」
 その正体の断定を口にする前に、ロープが不自然な動きをする。崖の下に問題はなかったようだ。
 冒険者達はロープ伝いに崖を降りていった。
「……何かあったのか? 妙な顔をしているが」
 下で待っていたナジクが、仲間達を出迎えるなり、珍しく少し驚いた表情を浮かべる。顔に出ていたのか、と、エルナクハは苦笑いをした。さもありなん、あの朽木のことを思い浮かべると、なんとも嫌な気持ちになる。皆も同じだろう。崖上で気が付いたことを手短に説明すると、ナジクもまた、同じように思ったのか、眉根をしかめた。
「やはり、この階にもあるのか」
「ちらちら見えただけだから、朽木かどうか決まったわけでもねぇけどな」
 しかし、これまで発見した朽木の分布を考えれば、あってもおかしくはない。
 先ほど見た『色の抜け』は、現在地からすれば、南東方面にあるはずだ。ひとまず向かってみよう、と決めた、その時である。
 なにやら悲鳴のようなものを耳にして、冒険者達は緊張を露わにした。
 現在地の南側から聞こえたようだが、遠くて、音の正体は定かではない。
 仮に人間の悲鳴だったとしよう。駆け付けたとしても、その時には手遅れかもしれない。
 かといって、見過ごすわけにもいかないだろう。
 『ウルスラグナ』は駆けだした。途中から鬱蒼と茂る低木に阻まれて、若干速度が落ちたが、それでも可能な限り早く駆け付けようとした努力は讃えられてもよかっただろう。とはいっても、現場に駆け付けた時には、悲鳴を聞いてから十分以上が過ぎている。その顛末を目の当たりにし、エルナクハは舌打ちした。
「やっぱ、ダメだったか……」
 低木の茂みが不自然に切れたその場所は、何かに踏み固められてできたらしい空間だった。その中央に一本だけ、すっくと伸びる樹木がある。その根元にあったのは、ぐったりと座り込む衛士の姿であった。力なく垂れた腕や、投げ出された足は、遠目に見ても、あまりにも不吉だった。
 無駄を承知で、近付いて脈を取るが、やはり手遅れだったようだ。鎧の内部に溜まっているのか、血が、腕に赤い筋を何本も作っていた。
 先ほどの悲鳴の主は、この衛士に間違いないだろう。何かしらの命令で、この地に赴き、生命を落としたのだ。ただ、樹海入り口付近ならまだしも、第二階層で一人きりというのは無謀だ。隊を組んで入ったが、何かしらの事故で一人きりになってしまったのかもしれない。
 使おうと思って出したが間に合わなかったのだろう、磁軸計とアリアドネの糸が、近くに転がっているのを見て、冒険者達はいたたまれなくなって目を伏せた。
「……すぐに離れた方がいい」
 ナジクが警告の声を放つ。
「ここは何かの縄張りのようだ」
「縄張り?」
 ふと、衛士がもたれ掛かる樹の幹に目を向けると、人の頭を越えた場所に、削られたような傷があるのに気が付いた。それは、熊の類が縄張りを示すために樹に付ける傷に似ていなくもなかった。その傷痕から判断するに、熊かどうかはともかくとして、かなりの力を持つ巨大な魔物が付けたものだろう。
 そんな思考は数秒にも満たない短いものだったが、状況の変化に対応するには遅すぎた。
 背後に草ずれの音が響くのを耳にして、振り返ったときには、巨大な魔物が、そこに姿を現していたのだ。
 それは割れた蹄を持つ四足動物の姿をしていた。苔色をした体毛の上に、所々に青い長毛を生やし、青いたてがみをなびかせていた。頭の上には、幾重にも枝分かれした、古木の枝のような角。その角の存在だけで、冒険者達は相手を『鹿』と認識した。だが、その顔は鹿とは似ても似つかない。鹿や馬の類が持つ、縦に細長く伸びた様相ではなく、どちらかといえば猿に似た顔――それは、一瞬、人間の顔を想起させて、冒険者達をぞくりとさせた。
 見たことのない魔物だ。それも前後に一体ずつである。幸いにして『敵対者f.o.e.』のような手に負えない輩ではないようだが、手こずることは間違いないだろう。
 奴らは口を開け、鹿に似た姿からは想像できない牙を剥きだした。片方の角が血に塗れているところを見ると、衛士を殺したのは間違いなくこの魔物達だ。縄張りを侵した者を殺し、今もまた、再び縄張り荒らしを排除しようとしている。
 踏み込んだ人間が悪いと言えば悪い。それでも、ここで殺されるわけにはいかない。戦うしかない。
 『ウルスラグナ』は、それぞれの武具を構えて、魔物達が迫り来るのに備えた。

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