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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・12

 翌日、笛鼠ノ月二十日。
 『ウルスラグナ』にとっては、戦うわけではないにしろ、今の自分達の力量では計り知れない強敵に再び挑む日である。
 しかし、彼らの意識の及ばない別の地で、後々彼ら自身にも関わってくる、あるひとつの惨事が引き起こされようとしていた。
 それを――彼らはまだ知らない。

「……ええっ、今日も凶相!?」
 パラスは言霊輝石を前に首を傾げていた。
 彼女が占いに手を染めることは、あまりない。実は昨日が、ハイ・ラガードに来てから初めての呪占だった。どうしてそんなことを始めたのかといえば、これまた合理的ではない理由なのだが、『なんとなく胸騒ぎがしたから』である。
 昨日に出た凶相にも胸が掻き乱されたが、全員が無事に戻ってきたことで安堵できた。
 では、今日は? 今日こそ何か起きるのではないだろうか?
 しかしパラスは心配を心の奥底で打ち消した。職業柄、占いも信じる方だが、盲信することは却って危険だと判っていたからだ。この手の占いは指針に過ぎない。よきことが起きるという結果で安堵を、悪しきことが起こるという結果で注意を、それぞれ促すものだ。
 そういう意味では、そもそも、胸騒ぎがしたからという理由で占いに手を染めるのが、間違っているのだろう。自分の心に不安を抱えた状態で結果を見てしまえば、指針に過ぎないそれを過信してしまうことは目に見えている。凶相が出れば動揺してしまうに決まっている。ちなみに『占い師は自分を占えない』というが、それは正確には『自分のことになると雑念が入りやすくなるから結果を正確に読めない』ということである。
「ああっ、もう、私のバカバカバカ」
 パラスは言霊輝石を収納箱に流し込んだ。こんな不安定な状態での占いの結果を真に受けて戦々恐々しているのは、実際に現地で戦う探索班を馬鹿にしているも同然じゃないか。昨日のナジクの内心を読めたわけではないが、『樹海探索などに手を染めていればいつも危険に決まっている』のである。それを「凶相が出たから今日は特に注意しろ」と、探索班に警告できるならともかく、一人で悶々としているだけでは、文字通り机上の空論だ。
 言霊輝石の収納箱の中から別の何かを取り出す。エトリアのはとこから送られてきた記念硬貨だった。それをはじき、机の上で静かに回転するのを見つめながら、パラスは盛大に溜息を吐いた。
「だけど、心配なのは、心配なんだよね……」

 探索班は再び炎の幻獣にまみえる。
 サラマンドラは、昨日初めて見たときと同じような位置に陣取っていた。
 飼うとしたら個室ひとつ占拠しそうなほどに大きな爬虫類である(それでもエトリアの三竜には遠く及ばない)。それだけの身体を維持するのに食べているのは、やはり肉か、と思えば、首だけを自分の前方にある木立に伸ばし、何やら果物のようなものをくわえては飲み込んでいる。
 その様を、木立の側面に身を隠し、縄張りに踏み込むぎりぎりのところから観察しつつ、冒険者達は互いに頷き合った。
 エルナクハの手にあるのは引き寄せの鈴。初めて使ったときには、失敗が許されない状況のため、至近距離で鳴らしたものだった。素材が街に行き渡り、金さえあれば好きなだけ手に入れられるようになった頃に、いくつか買い込んで、角鹿で実験を試みたことがある。結果、対象を中心にしておおよそ四百メートル弱の範囲内で鳴らせば、その場所に誘き寄せ、少しの間だけ釘付けにできる。眠りの鈴の場合は、効果範囲は同等だが、対象をその居場所でしばらく眠らせることになる。
 では、(サラマンドラにも効果があると仮定して)眠らせて、その隙に巣に潜り込むのはどうだろう。
 否、眠りの鈴の効果そのものは弱い。至近を通れば気配で目覚めさせてしまう。そうなれば、巣に潜り込むどころか、逃げるより先に黒焦げだ。少なくとも、巣の入口から引き離してから眠らせなければ、意味がない。
 エルナクハは鈴を垂らした。静かに揺らすと、からから、ころころ、と素朴な音がする。その音が、樹海の魔物の神経を刺激して、何らかの反応を起こさせるはずなのだ。
 しかし――サラマンドラは反応しない。
「あれ?」
 からんからん、ころんころん、と音が激しくなる。
 さすがにサラマンドラも首を傾げ、音の出所を探るかのように視線をさまよわせたが、その身体は一歩も動かない。
 やはり、と言うべきか、サラマンドラは鈴鉄の音に刺激されない種のようだ。
 冒険者達は顔を見合わせた。想定範囲内のことだから、戸惑ったりはしない。しかし、結局こうなるのか、という感慨が、複雑な表情を彼らに浮かばせたのであった。
「囮は、わちが引き受けますえ」
 ナジクが口を開こうとするよりわずかに先に、焔華が言葉を横取りした。ナジクは臍を噛むような顔で焔華を睨め付ける。そんなレンジャーに、少なくとも表面的には朗らかに、ブシドーの娘は声を掛けた。
「わちだって結構身軽なんですえ。なにせ、『マシラのほのちゃん』ですし」
「今回は樹液にかぶれる程度で済めばいいがな」
 ナジクの声は挑発するかのような響きを帯びていたが、焔華は意に介さない。レンジャーの青年は、そうして脅して、焔華を引き下がらせておいて、自分が囮を引き受けようという魂胆なのだろうが、そうはシトト交易所もシリカ商店も卸さない。
「ブシドーを甘く見るものじゃありませんえ」
 たおやかに笑い、余裕の様を見せる焔華。
 まさにその時である。
 背後から響いた咆哮に、一同は飛び上がった。
 後方には竜のような魔物――先達には『樹海の炎王』と呼ばれている――の縄張りがあった。もちろん、冒険者達は今はそこに足を踏み入れていない。縄張りを侵していない以上、炎王も人間どもに干渉する気はないらしく、日がな縄張り内を歩き回っているだけだったが、それが冒険者の背後から吠え掛かったのである。
 炎王には、人間達に含みがあったわけではなく、たとえば前日のサラマンドラがやったような、あくびかなにかの類だったのかもしれない。が、人間達にその真意を知る意味があるだろうか。
 油断していたわけではないが、意外なところからの意外な横槍に、冒険者達は警戒して飛びすさる。炎王から距離を取って、様子を見るつもりだったのだ。幸いにも炎王は、それ以上の何かを仕掛けてくるつもりはなかったようで、縄張りから離れた人間達を意に介さず、のそのそと去っていく。
 ほう、と安堵の息を吐いた冒険者達は、しかし、付近の温度と湿度が急上昇したことを知った。
 周囲を見回すと、サラマンドラが遠くから自分達を見つめ、襟から湯気を噴き出し、口からは舌のように炎を漏らしていることに気が付く。
 そう、冒険者達は、炎王から距離を取るための咄嗟とっさの行動で、逆にサラマンドラの縄張りを侵してしまったのである。
「は、はは、お邪魔するぜ」
 エルナクハの挨拶も人間相手なら通用しただろうが、魔物には通じるはずもない。
 サラマンドラは、口をくわっと広げて、足を踏み出した。意外と速い。人間の速度は、探索の装備分の重さと、地面の凹凸に対応するために、舗装された地面を走るよりも遅い。だが、サラマンドラは匍匐ほふくという移動方法の関係上、地面の障害を人間ほど気にしない。その上、身体の大きさに由来する歩幅の広さがある。総合すれば、人間の方がほんの少し速い程度である。余程の距離を稼がなければ、引き離すことはできないだろう。
「と、とにかく逃げるぞ! 計画通りにな!」
 この期に及んで誰が囮をするかなどと論議している暇はない。全員が丸ごと囮のようなものなのだ。ただ、昨日に引き続いて二度目の状況、計画を頭の中に留めておく余裕は辛うじてあった。
 サラマンドラの縄張りの半分以上を、扉の方向(東)から遮るように、帯状に南北に繁茂する木立。その向こう側に行くには、両端から回り込む必要がある。昨日と本日、冒険者達がサラマンドラの縄張りに踏み込む前に様子を見ていた場所は、木立の南端側面に当たる。そこからサラマンドラの気を惹きつつ、木立伝いに北上し、北端を回り込んで縄張りに侵入、巣に潜り込む――それが、冒険者達の計画。
 ただ、サラマンドラの縄張りに近付くには、どうしても炎王達の縄張りに踏み込む必要があった。落ち着いていれば、炎王達が背を向けていてこちらには気付かないタイミングを測ることもできるが、今の状況ではそれもままならない。とにかくサラマンドラに追いつかれないように走り続け、行く先の炎王がこちらに顔を向けていないことを祈るしかない。もしも炎王がこちらを見ていたら――万事休す。アリアドネの糸を素早く起動させれば逃げられるだろうが、計画はまたやり直しだ。
 南側の縄張りにいる炎王は、さっき去っていったから、まだ戻ってこないだろう。こっちはいい。
 北は、どうだ?
 祈るような思いで冒険者達は走り続けた。
 左手に見える木立の、北側の終点が見え始めた頃、右手前方に魔物の姿を発見する。
 北側の縄張りに座する炎王だ。冒険者達の方に顔を向けている。一瞬、冒険者達は心の臓を握りつぶされるような感覚を味わった。
 だが、冒険者達は炎王の縄張りに踏み込んでいない。そんな人間達には炎王も興味がないらしく、両者は互いにすれ違うだけに留まった。
 行ける!
 安堵の息を吐きながら、冒険者達はさらに走り続けた。炎王は当分、人間の邪魔になる場所には戻ってこない。
 ようやく、木立を回り込み、サラマンドラの縄張りに入り込むことに成功したとき、一行は息も絶え絶えに地面にへたり込んでしまったのだった。
「まだ油断はできないぞ」
 誰よりも先に息を整えたナジクが、木立を見透かすかのように睨み付けた。
 サラマンドラを撒いて縄張りに入り込んだはいいが、幻獣は当然、戻ってくるだろう。ぐずぐずしていては、戻ってきた家主と顔を合わせることになる。
「もうちょっと、休ませてぇ……」
 すっかりと尻に根を生やした風情のマルメリが、ぜいぜいと息荒く懇願する。さもありなん、四半時間程、緊張にさらされながら走っていたのだ。アベイも、言葉にはしないながら、マルメリ以上に消耗した様子だった。前衛やレンジャーほど身体能力に優れない後衛の者達には、かなり辛い一時だったのだろう。
「――五分。それだけなら待てる」
「ありがたい!」
 アベイが心底安堵した面持ちで言葉を吐き出した。医療鞄の中から出したのは木製の容器である。薬かと思いきや、そうではないようだった。中に入っている何かを、メディックは口に含み、もぐもぐと咀嚼そしゃくする。
「そりゃ何だよ、ユースケ?」
「プラムの蜂蜜漬けだよ。少しは疲れが取れればって思って」
 差し出された容器に、銘々が手を突っ込んで、お裾分けに預かった。

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