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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・11

 薬泉院の扉を、こんこんと軽くノックする。急患ではないという意思表示だ。
「……コウ兄、今忙しいか?」
「……アベイ君、ですか? 大丈夫ですよ、どうぞ」
 穏やかな声に誘われ、薬泉院の入口ホールに足を踏み入れる。
 かすかに薬の匂いが漂う院内は、アベイの心を過去へと引き戻す。人生の大半は『病院』と共にあった。成長するに従って、『患者』から『医者見習い』へと立場は変わり、ついには『冒険者』となって飛び出すこととなってしまっても、そこはアベイの原風景に間違いなかった。
「一人で、とは、珍しいですね」
「ん、ちょっと兄貴分に愚痴聞いてもらいたくてさ」
「はは、そういえば昔のアベイ君は、愚痴ばかり言ってましたっけ。おんもに出たい、早く出たい、もうすぐ外に出られるようになるよ、って教えてもらったのに、いつになったら出られるの、って」
「そんな昔の話、勘弁してくれよ」
 アベイはコウスケ・ツキモリに頭が上がらない。前時代で得た病によって弱った身体を、そのまま引きずって現代に再誕してしまった彼は、エトリア施薬院での庇護なくして今まで生き延びることは叶わなかっただろう。主に治療に当たったのはキタザキ院長だが、院長が急患に手を取られている間の面倒を見てくれたのは、アベイがエトリアに来たときには既に治療師の修行をしていたツキモリ医師だったのだ。
「昔、っていえば、ご両親は、見つかったんですか?」
 とツキモリは話を振った。施薬院に引き取られた頃のアベイは、行方不明になった両親を求めていたが、それらしい人物はエトリアにはなく、冒険者ギルドの登録帳にも関係しそうな人物の記載はなかったのだった。そもそも、エトリア樹海の地下一階などという場所を子供一人でさまよっていたこと自体が奇妙な話なのだが。
 アベイは少し口ごもる。当時子供だったゆえにあやふやで、成長と共に忘れていった記憶は、エトリア樹海の探索の中で、ある程度は思い出した。しかし、共にいた仲間ならともかく、ツキモリに信じてもらえそうな話ではない。さしあたって真実の一片だけをアベイは告げた。
「うん、ガキの頃の話だから、詳しいとこまでは覚えてないけど……死んでたの、思い出した」
 数千年前の人物が、生身のままで今も生きているとは思えない。自分が現世にある理由と同じ方法を取っていれば、あるいは、とも思ったが、それらしい痕跡は、エトリアにも、樹海にもなかった。
「……そう、ですか」
「……しけた顔するなよコウ兄。俺は大丈夫だからさ!」
 目を伏せるツキモリを元気づけるように、アベイは声を張り上げる。
「ところで、今ここにいる俺の愚痴なんだけどさ」
「はいはい、どうぞ。患者さんが来るまでは聞いてあげますよ」
 ツキモリは応接室にアベイを招き入れた。アンジュという名の助手が、茶を出してくれる。青い色をしたアイスラベンダーティーだ。添えられたレモンを搾り入れてピンク色に変えると、アベイは一口飲んだ。ツキモリも口を付けたが、レモン汁は入れなかったようだ。
 アンジュが部屋を出て行ってからしばらくして、アベイは話を始めた。
「コウ兄は知ってたはずだから、ぶっちゃけるけど――」
 句を継ぐ前に、声をひそめる。
「この国の大公様、治療法が見つからない病気に罹ってるだろ」
「どうしてそれを――!?」
 国家の秘事である。一介の冒険者が何故知っているのか、と、ツキモリの目に動揺が垣間見えたが、『ウルスラグナ』がミッションを受けたと説明すると、薬泉院院長は落ち着きを取り戻した。
「なんだ、そういうことでしたか」
「うん。……それにしても、まだホントかどうか判らないけど、俺たちが探し求める『万能薬』の材料が実在したなんてなぁ……」
 その割にはアベイの顔は浮かない。ツキモリは訝しげに声を掛けた。
「どうしたんです? 全メディックの夢にぐーんと近付く手がかりの実物を、誰よりも早く目にできるというのに」
「喜んでばかりじゃいられないよ」
 アベイは憂いの混ざった溜息を吐く。
「サラマンドラ……あいつは、とんでもなく強いんだ。少なくとも、今の俺たちじゃ敵わない。戦って素材を手に入れてこいっていう話じゃないから、まだいいんだけどさ……」
 卓の上に組んだ手の上に額を伏せる。
「今回は大公宮の依頼だからしょうがないけど……そうじゃなかったら、行かなかった。……そう思うんだけど、やっぱり仲間に頼み込んで行ったかな、とも思う。薬のために、仲間たちをピンチに追い込んじまうなんて馬鹿をやりそうなのに……なのにアイツら、『その程度』とか言うんだぜ。危ないのは自分たちだってのにさ」
 と、アベイが真剣に悩んでいるというのに、ツキモリは話を聞き終えると、くすくすと笑い出したではないか。
「何がおかしいんだよ、コウ兄」
「あ、すみません。いや、ね。アベイ君も僕と同じこと考えてるんだな、と思ったもので」
「同じ、こと?」
「ええ、冒険者の方々の樹海探索のおかげで、今まで僕たちが知り得なかった原料の研究が進んでいるんですが」
 ツキモリは懐から人差し指くらいの小さなビンを取り出す。中には、薄い緑色をした液体が半分ほど入っていた。
「これ、何だと思います?」
「薬? 何のかは見当つかないけど」
「ついこの間、樹海で発見された植物があるんですが、それから抽出されたエキスですよ。かなり高い解熱作用を持ってます」
「へえ」
「樹海には、まだまだ僕たちの知らない効果を持つ様々な成分の薬草が眠っていると思いますよ」
「そうだな、エトリアでもそうだったからなぁ」
「ええ。ハイ・ラガードも探索が進めば、いろいろなものが発見されて、医術の大きな助けとなるでしょうね」
 そう語るツキモリの表情は、先程のアベイ同様に浮かない。今度は訝しげに思うのはアベイの番だった。
「どうしたんだよ、コウ兄」
「アベイ君が思ってるのと同じなんですよ。新薬の発見には冒険者による樹海開拓が不可欠。傷を治す成分を発見する為に傷を負う方を増やすという、どうしても避けては通れないジレンマがあるんです」
「兄……」
「僕はどうもソレが許せなくて……いつもアベイ君がうらやましいんです」
「俺が、うらやましい?」
 何を言い出すのか、とアベイは目をしばたたかせた。
 ツキモリは緩やかな笑みを浮かべながら目を伏せる。
「僕には樹海に潜る勇気もありませんから、街でこうして冒険者のバックアップをしているんですが」
「ああ、いつも助かってるよ」
「街に戻ってきたときには手遅れになっている冒険者を看取るたびに、思うんですよ。せめて、この人が傷を負ったその時に傍にいられて、応急処置ができたなら。そうしたら、この人は助かったかもしれないのに、って」
 アベイはパラスのことを思い出した。少し前に動く石像と戦ったときのことだ。その戦いで深手を負ったパラスは、放っておけば街に戻るまで保たなかったかもしれない。もちろんアベイが治療を施したのだが、あれだけの傷は、治療を専門的に学んでいる者、つまり『ウルスラグナ』なら自分でなければ、応急処置も叶わなかっただろう。もしも自分がいなかったら、あるいは敵の攻撃で倒れていたら……。
「知った口を、って言われるかもしれないけれど、僕は思うんですよ。君がいるから、君の仲間達は、危機を『その程度』って言えるんじゃないかって」
「……」
「もちろん、本当に手に負えない危機なら身を引くんでしょうけど、君がいる分、君を信頼しているから、多少の危機は問題ない、って思ってるんじゃないかって……もっとも、過信されて大怪我負われたら、メディックとしちゃたまったもんじゃないですけどね」
「……まったくだよ。どうして冒険者って、あんなに危険に身をさらしたがるんだろうな」
 アベイは苦笑する。
 迷宮での苛立ちの原因がようやくわかった。つまりは自分アベイの後ろめたさと勘違いが最大の原因だったのだ。
 今回の探索の目的がメディックの究極の夢である『万能薬の材料』だったことと、エルナクハの「治療師の夢を前にしてその程度のことで尻込みするのか」という言葉のために、つい、仲間達が自分のために危地をを覚悟して探索に挑んでいる、と思ってしまった。ひるがえって、アベイ自身は脆弱だ。一人では敵と戦うことも身を守ることもできない。仲間が誰もいなければ、おそらく数分と樹海に立っていることはできないだろう。自分が何もできないのに、仲間達が自分のために傷つく。その事実が、自意識過剰と劣等感を呼び起こしてしまったのだ。
 冷静に考えれば、馬鹿げた話だ。誰もアベイのためだけに探索などしていない。
 言い換えれば、アベイ自身とて、誰かのために、ひいては自分自身のために探索をしているのだ。
 そして、仲間達が樹海にあるためにも、アベイの力は必要で、逆もまた真なのだ。
 そう考えると、心がすっと軽くなった。
「ありがとう、コウ兄。やっと心の整理が付いた」
「おや、僕の話は憂いを払う役に立ちましたか?」
「おう。コウ兄は心理士カウンセラー見習いを名乗ってもいいと思うぜ」
「残念、見習いですか」
「俺以外にうまくいくか、わかんないからな」
 とアベイが答えたのは、コウスケ・ツキモリという男が意外と精神的に打たれ弱いところがあることを知っているからだった。下手すれば相手の心理に引きずられて自分も沈んでしまう可能性がある。もっとも、今目の前にいる男はその弱点を既に克服しているのかもしれないが。
 その後しばらく他愛のない会話を交わし、アベイは席を立つ。
「もう帰るんですか?」
「ああ、夕飯までに帰らないと、俺の分食べちゃうって言われてるし」
 アベイは笑みを漏らしながら席を立つ。ツキモリが薬泉院入口まで送ってくれた。
 戸口で振り返り、兄に等しい青年に、別れの挨拶をする。
「今日はほんとにありがとな、コウ兄。おかげで、もやもやが晴れたよ」
「お役に立てて何よりですよ。あとは、樹海では充分に気を付けてくださいね」
「ああ、それじゃな」
 アベイは手を振って踵を返そうとした。その動作が途中で止まったのは、思い出したことがあったからだ。改めてツキモリに向き直ると、『ウルスラグナ』のメディックは口を開く。
「そうだ、コウ兄。例の話だけど」
「例の……?」
「今のところ、四階から七階までで一箇所ずつ、だ。サラマンドラの件が片付いたら、座標とかもちゃんとまとめて、酒場の親父に報告するけど」
「……そんなにも、あちこちに……?」
 それは、以前ツキモリから捜索を依頼された、不自然な朽木のことだった。ここまでの冒険で見つかったものは四箇所。ちなみに四階にあった分は、五階にあったものと同様、他のギルドに採集作業のために雇われたゼグタントが、その最中に目にして、『ウルスラグナ』に情報を提供してくれたものだ。『ウルスラグナ』が第一階層を探索しているときには、そんなものはなかったはずだ。あんなに違和感のある枯れ木、見付けた時点で嫌でも心に引っかかる。同時発生なのか、どこかを中心に拡散したのかは、今の時点では判らないが、仮に拡散したのなら、理論上、八階のどこかにも、あってもおかしくない。アベイは念のため、そのあたりも確認してから報告に上げようと思っていたのだった。
「予想以上に広がっているんですね、こちらも、以前頂いたサンプルでだけでも、検証を進めておくべきか……」
 ツキモリは口元に手を当てて考え込む。こうなった『コウ兄』は、当分、夢と現の狭間をさまよってしまう。院内に戻ろうとする兄貴分に、「どこかにぶつかるなよ」と心配の声を投げかけて、アベイは薬泉院を後にした。

 私塾が視界に見え始めた頃には、太陽が沈もうとしていた。透き通るような朱に染まった西の空には、今日は雲ひとつ見あたらない。しかし、アベイのみならず、この国に関わる皆が知っている。世界樹の上方には常に厚い雲の層がある。街の日照に直に関わることはないのだが、その発生原理は謎だ。世界樹に添って発生した上昇気流の仕業ではないか、という説もあるが、本当のところは判らない。何であれ、その雲の存在ゆえに、空飛ぶ城の実在が外部から証明できないのは明らかだった。
「『すごいや、天空城ラピュタは本当にあったんだ』……」
 幼い頃に見た冒険絵巻の主人公の口まねをしながら、帰り道の残りを辿る。
 思い出したとはいえ所々にほつれのある記憶の中でも、『それ』の印象はひときわ強く残っている。
 中央に大樹を擁した多重階層の城。細部の記憶こそ薄れているが、ハイ・ラガード全域が空に浮いたらこうなるのではないか、という姿をしていた。もし、天上から降りてきた始祖達に、あの物語の記憶が継承されていたのだとしたら、彼らは地上の街を、かの物語に似せて作ったのではないか。そうと思えるほどに。
 お話と判っていても、見ている方がはらはらするような危地を乗り越え、少年達は天空の城を見いだした。
 現実の自分達も同じだ。未知を目の当たりにするには、危地を切り抜けなくてはならない。
 改めて思う。ひとりでは切り抜けられない危地を、共に切り抜けるからこそ、仲間なのだ。
 ひとりで難局にさらされることは、想像するだに、辛い。
 ふと、アベイは、ある男のことを思い起こした。床に伏せることしかできなかったアベイのところに、「君の国の文化は素晴らしいね」と言いながら、あの話の映像記録媒体DVDを持ってきてくれた男のことを。
「なぁ、所長先生……」
 その後は言葉にならなかった。
 もしも空飛ぶ城の住人が前時代人なのだとしたら、どうしてヴィズルは彼らと手を組まなかったのだろう。単純に互いを知らなかっただけかもしれない。けれど、もし、互いを知っていて、手を組んでいたら――地上の再生を見守るヴィズルの、長い長い時の旅も、孤独ではなかっただろうに。

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