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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・9

 その三日後、笛鼠ノ月十九日。
 七階には棘を持つ下草の繁茂地が点在していた。いくら注意していても装備の隙間から刺さってくるのだ。迂回しようとすれば、強敵とまともに鉢合わせることになる。現状では下草の方がまだまし、と一行は思うことにした。
 そんな道をなんとか踏み越えた先、上り階段付近で、上階から恐ろしい気配が漂ってくるのを察知した。十中八九、サラマンドラのものだろう。そんな事情が分からなければ、足を踏み出すのを躊躇したかもしれないほどに恐ろしい気配。それでも八階に踏み出した先人、かつての衛士達や、先行する冒険者達は、褒め称えられて然るべきだろう。
 そんな先人達を追って、『ウルスラグナ』は八階の地を踏む。
「……ちょっと、気温が上がった気がするな」
 アベイのつぶやきは、その場にいる全員が等しく感じていることでもあった。温度計は携行していないから、正確なところは分からないが、二、三度は上がっている気がする。気温の上昇『だけ』が認識されていたのなら、そんなこともあろう、と、さして気にも留めなかっただろう。しかし。
 サラマンドラは炎の性を備える幻獣。その力が、この階全体の気温を上げているとしたら。
「赤竜にゃ敵わないかもしんねぇけど、相当な力を持ってやがるんだろうな」
 赤竜とは、『偉大なる赤竜』と呼ばれる竜族の魔物である。エトリア樹海の第二階層、亜熱帯の森『太古ノ大密林』の奥に潜み、盾突く者を炎の吐息で消し炭にしてきた、樹海の中でも恐るべき魔。樹海の真の支配者というべきフォレスト・セルを別格とすれば最強である、三竜が一角であった。一度は制した相手だが、今の鈍った腕で――ここまでの探索で多少の勘は戻ってきているとはいえ――勝てるとは、到底思えない。
 サラマンドラの気配は、その赤竜よりは弱く感じる。それは間違いない。が、その二者の強弱を比べる意味は、今の『ウルスラグナ』には、ない。
「こういうの、なんて言ったっけ。軍師危うきに近寄らず、だっけ」
「君子ですし、エルナクハどの」
 焔華が呆れ気味の表情で訂正した。「ま、君子も軍師も、近寄らないにこしたこっちゃないのは、間違いありませんけどな」
「だが、ある程度近付かなければ、目的のものは手に入らない」
 深刻な眼差しを浮かべてナジクが評する。
 大臣から受け取った地図によれば、サラマンドラには縄張りがあるらしい。ある程度近付くと、侵入者を排除するためにやってくるのだ。その縄張りの奥に、細く短い区域がある。おそらくは、という注釈付きだが、それこそがサラマンドラの巣であろう。
 サラマンドラが脱皮した跡があるなら、そこ以外には考えられない。脱皮直後の生命体は概して弱々しい。安全が保証された己の巣があるなら、その中で行っているはずだ。
 つまり、『ウルスラグナ』は、サラマンドラの隙を突いて縄張りの奥へと入り込み、その中から羽毛を手に入れなくてはならない。
「ということは、やはり、何らかの方法でおびき出さなくてはならないか」
 鋭い目で地図上を睨め付けながら、ナジクはつぶやく。頭の中では、その方法を目まぐるしく考え続けているに違いない。
 エルナクハはにんまりと笑うと、宣うた。
「我に秘策あり」
「そういや、昨日の夜、なんかごそごそやってたみたいだけどぉ……?」
 だが、この時点では、黒い聖騎士は『秘策』とやらを明かすことはなかった。
 襲い来る魔物達との戦いを何度か繰り広げながら、一同は問題の区域に近付く。
 目の前に立ちふさがるのは、樹海ではお馴染みの扉であった。
 その付近では、気温の上昇は、すでに『気のせい』では済まされないほどに顕著になっていた。
「サラマンドラは奥やいな?」
「おそらくは……だが、入り口両脇のものが何か気になる」
 ナジクの指摘は、大公宮からの地図に記してあるものについてであった。扉から踏み込んだ区間の両脇、部屋の両隅に、色線が記してあるのだ。部屋の奥に記してある、別の色の線が、サラマンドラの縄張りなのは見当が付く。しかし、その縄張りとも繋がっていない、これは、なんなのだろう。
「サラマンドラの子供、だったりしてぇ」
 マルメリの軽口もありえる。だが、とりあえずは確認してみなくては始まらない。
 『ウルスラグナ』は腹をくくると、扉の内部に踏み込んだ。
 光景は、これまで歩いてきた第二階層とさほど変わらない。しかし、この場に踏み込んだからこそ、はっきりとわかる差異がある。
 気配は三つあったのだ。
 ひとつは、正面やや遠くを塞ぐ木立の向こうから漂ってくる。他のふたつとは桁違いのそれは、間違いなくサラマンドラであろう。残りのふたつは、サラマンドラよりは遙かに弱いが、今の自分達では敵うとは思えない気配。位置的には、自分達の両脇。
 まさかマルメリの軽口が真実だったのか、と思いつつ、冒険者達は自分達の両脇を確認した。
 地図上で言えば、まさに件の謎の色線のあたり、その中でも自分達の現在地に一番近いところに、魔物がいた。巨大な爬虫類だが、第一階層に居着いた『襲撃者』とは威厳が違う。まるで竜の一種と見紛うようなその様相は、冒険歴の浅いものなら、腰を抜かしてしまっても不思議ではない。身体の色は燃えさかる炎のよう。その足下の草がところどころ焦げているところを見ると、この魔物にも炎を扱う力があるのかもしれない。
 それが、冒険者の両側に一体ずつである。どらも、感情の見えない目で、じっと人間達を見ている。
 さしもの『ウルスラグナ』も息をひそめ、相手の出方を待つ。地図が正しければ、この二体の縄張りは踏んでいない。しかし、明らかな異物を目の前にして、襲いかからないという選択肢を取るかどうか。そもそも、地図の色線は、そこに入らないから襲われない、ということを保証しているものでもないのだ。
 だが、しばらくの後に、魔物は二体とも、ふいっと顔を背け、身体の向きを変えた。そのまま、のそのそと去っていく。
 どうやら、縄張り荒らしとは思われなかったらしい。あるいは、襲うまでもない、と思われたのか。赤い下草を踏み散らして消えていく炎王達を見送って、冒険者達は、盛大に息を吐いた。
「あれが子供だとしたら、親はどんなんか想像つかねぇな」
 さらに奥へと足を踏み入れる途中で、エルナクハは溜息を吐く。しかし、言葉とは裏腹に、その瞳は未知を目の当たりにする期待に爛々と輝いていた。
「依頼だからしょうがないけど、勘弁してくれよ」とぼやくのはアベイである。
「オマエは、秘薬の材料って聞いて、わくわくしねぇのか?」
「するさ、するけどよ」
 問われて、治療師の青年は弱気気味に首を軽く振った。
「それ取りに行くのに危険があるっていうんなら、二の足踏むぜ、ホントなら」
「らしくねぇな」
「らしくない?」
「治療師の夢みたいなモノを前にして、オマエがその程度のことで尻込みするなんて思わなかったんだがよ」
「その程度だと?」
 アベイの瞳の中に、苛立ちの火花がちらついた。
「降りかかる危険が、『その程度』だと!? ナック、お前はそんな風に考えてるのか!?」
「……おい?」
 突然、態度を変えた仲間に、聖騎士だけではなく皆が戸惑う。
 冒険者とは未知なる危地に挑むものである。ある程度の危険は当然のようにある。それなりに長い、冒険者としての経験で、全員がそれを覚悟しているはずだった。だから、今回の依頼も、『どうにか対応できる危険』であると判断した上で受けた。エルナクハの言う『その程度』とは、そういうことだ。ハイ・ラガードから加わったフィプトならまだしも、アベイがそれを分からないはずはない。
「落ち着け、アベイ」
「これが落ち着いていられるか! 第一、お前達が――」
 早口で言いかけて、はたと言葉を切るアベイ。心を落ち着けるために目を閉ざし、深呼吸を数度。やがて、弱々しく笑うと、つぶやくように声を出した。
「……悪い、ちょっとイライラしてたんだ。気にするな――なんて言えないけど、とりあえず、依頼済ましちまおうぜ」
 そんな治療師に、エルナクハは何かを言おうとして、結局やめた。
 彼の言うとおり、今は依頼を済ませる方が先決だ。そのために切られた言葉尻を捉えて、なんやかんやと返すことは、事態を蒸し返すだけになる。
 何か言う必要があるなら、街に戻ってからにする方がいいだろう。
 もちろん、探索が続行できないほどに雰囲気が悪化していたなら、再考する必要があるが。
 ギルドマスターである聖騎士は、ぐるりと仲間達を見渡す。不承不承という態度が見え隠れする者もいるが、さしあたって、今の話を一旦封じることに異論がある者はいないようだ。
「……先、進むぜ」
 黒い聖騎士は、そう声を上げることで、己と仲間達の気分を探索に引き戻した。

 冒険者達がぴたりと足を止めたのは、サラマンドラの縄張りに踏み込む直前であった。
 両脇を挟む木立のうち、右手のものは、扉から正面遠方に見えた木立の側面である。それに身を隠すようにした冒険者達は、首だけを伸ばして、縄張りを窺う。
 この区域の奥部を帯状に占める縄張りの中央に、見たことのない生物がいる。
 炎の精霊の名を付けられたにしては、炎とは程遠い姿をしている魔物であった。所々に灰色の外骨格を備えていながらも、合間に見える皮膚はトカゲのよう。大型の襟に似ていなくもない、後頭部に張り出したものの縁には、いくつかの穴が間隔を空けて開いている。
 纏う気配は、明らかに桁違いの強さを示す。キマイラなどお話にならないだろう。
 先ほど見た二体の魔物とは姿が違うから、あれらとは親子ということは、おそらくない(絶対とは言い切れないが)。
「さて、どうする?」
 しばらく無言で魔物の様子を窺っていた一同に、ナジクが問いかけた。
「囮で誘き寄せるなら、僕が行ってくる」
「おい」
 エルナクハは呆れたように声を上げた。またこのレンジャーは、自分が進んで危険を冒そうとしている。囮作戦自体はエルナクハも考えていたことなのだが、レンジャーの態度には「最悪の場合は奴が僕を喰らっている隙に行け」とすら言い出しそうなものが見え隠れしている。まったくもって自分の生命を軽んじるばかりの男だ。
 だからエルナクハは、わざと陽気に声を張り上げ、ナジクの発言を封殺することにした。
「せっかくのオレの秘策、オマエに動かれちゃ、おじゃんになっちまうだろ」
 背負っていたザックを下ろす。普段もザックは背負っているのだが、この日はことさらに膨らんでいた。だが、聖騎士がそれに重さを感じていた気配はない。単に力があるから、と皆は思っていたのだが、真の理由は違った。
 エルナクハがザックから引っ張り出してきたのは、あまりにも奇妙な物体。一言で述べるならば、羽根の塊である。確かに、嵩のわりには重くないはずだ。
「何ですし、それは?」
「見て判らねぇか? 囮だよ」
 判らない、と聖騎士以外の全員が心の中で突っ込んだ。
 全容を現しても正体がよく掴めない塊を、羽衣のようにエルナクハはまとう。いや、正確には、まとおうとした。
「……あれ?」
 聖騎士は首を傾げる。着られないようである。
「おっかしいなぁ、ちゃんと全身測って作ったのになぁ」
 どうやら鎧分を計算に入れなかったようだ。
 着ようとして広げたために、少しは判ったのだが、どうやら、第二階層に出没するジャイアントモアの羽根を連ねて作ったもののようである。計画では、それを着込んで、モアのように振る舞ってサラマンドラの気を引くつもりだったのだろう。
「おい、エル。それのどこが秘策だ?」
「秘策だぜ? オレが睡眠時間削って一生懸命作ったんだ。戦闘中にもモアの動きを観察してたんだぜ」
「おいコラ、一昨日にぼーっとしててモアに蹴られたのは、そのせいかよ!」
「だから、ぼーっとしてたんじゃねぇって! 観察してたって言っただろ」
「観察などなら、僕に任せればいいんだ。前衛のお前がそんなことしてて、戦線が崩壊したらどうする」
「ちょっと油断しただけで、大丈夫だっただろ!」
「ちょっと待てよ、普段、これでもギルドマスターとしていろいろ考えてるんだぜ、みたいな態度してて、それか!」
 ぎゃあぎゃあと言い争い始める男性陣を目の当たりにして、女性陣は肩をすくめた。
 言葉ほどには深刻なものではなく、どちらかといえば突っ込み合いのようなものだが、普段は軽口を叩いていても油断しないはずの彼らが、すっかりと言い争いに没頭している。どうも、『モアの羽根衣を着込んで囮になる』という、突っ込みどころ満載の計画ネタを目の当たりにして、戦場にいるという緊張感がすっかりと崩壊してしまったようだった。『疑似餌』の振りをして獲物をだます、というのは、狩りの一手段だが、エルナクハが羽根衣を着込んだ想像図は、命懸けの騙し合いコン・ゲームというより、祝祭の宴会芸にしか思えないのである。
 だったらナジクが羽根衣を着込めば万事解決、とは、女性陣も思わなかった
 マルメリはさておき、焔華は、己が死すら容易に受け入れるブシドーとしての鍛錬を積んだものとして、ナジクの行動の裏に、一部の同族が持つものと同じ精神構造、破滅願望のようなものをはっきりと読み取っていた。原因や、そのために彼が以前とは変わったことは、『ウルスラグナ』全員が周知だったが、いざとなれば他人を、そして自分すら代償にしてでも仲間を助ける、という狂信に近いものを抱くようになっていることを掴んでいるのは、焔華とエルナクハぐらいだろう。そんなレンジャーが囮になれば、最悪の場合、自分自身を生き餌にしかねない(とは、エルナクハも考えたことだが)。
「はいはい、痴話ゲンカはそこまでにするし」
 いずれにしても今のままでは話が進まないから、焔華は仲裁を試みる。
 しかし、注目を集めるために彼女が手を打ち鳴らしたその瞬間。
 巨大な角笛をめいっぱい鳴らしたら、響く音はこうではないか、と思えるような、低い音が、あたりに響き渡った。
 巻き起こる大気の震えに、木立が同調して、ざわざわとざわめきだす。
 金属鎧が共鳴して、びりびりと音を立てる。
 さすがの男性陣も、はたと言い争いつっこみあいを止めて、音の正体を掴もうとした。
 言うまでもなく、それはサラマンドラの吠え声だった。
 大口を開けたサラマンドラは、眠そうに目を細めながら次第に口を閉ざしていく。単なるあくびだったようだ。
「……で、エルナクハどの。『秘策』とやらを立案した以上、ぬしさんが行くんですし?」
 すっかり静かになった男性陣の前で、焔華は『エルナクハどの』を強調して言う。口調こそ、馬鹿げた姿になること必至のギルドマスターを揶揄しているようだったが、その実、死地に身を投じたがるナジクへの牽制であった。
 エルナクハの方は、焔華がそこまで考えているとは読み取れなかったものの、最初から自分が行くつもりでいたわけだから、ブシドーの娘の言葉に深く頷いた。
「着れないのは予想外だったけどなー。ま、これでも囮にゃなるだろ」
 聖騎士は羽根の塊を手に持った。見た目は、玉房ポンポンを持った応援者のようだった。まったくもって、これから強敵の目の前に飛び出そうとしているようには思えない格好である。
 冷静に考えれば、そんなものがなくても囮になるには充分なはずなのだが――現にナジクはそのような準備をなにひとつしていない――、もはや誰にも突っ込む気概はなかった。

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