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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・7

 次の日の夕刻、私塾の中庭に設置された物を見た者は、一体何が始まるのかと思っただろう。
 コの字型に積んだ煉瓦の上に渡された、大きな金網である。その直下にはもう一枚の金網が付随していて、そちらには炭と薪が乗せられている。火がつけば上の金網にも熱が伝わるだろう。
 傍には食堂から運んできた角卓が、二台くっつけられた状態で設置してあり、その上に載っているのは、何枚もの皿に山積みにされた肉や野菜、傍らにあるのは何種類もの酒瓶。
 肉は、昨日狩ってきて、低温貯蔵壷で保存していた、角鹿の肉である。他にも、この日、『昼の部』探索班が全力で狩ってきた、エリマキトカゲや猪の肉もある。野菜も、街で買い求めてきた他に、迷宮で見付けたものもいくらか混ざっていた。
 言うまでもなく焼肉パーティの様相であった。
 狙ったわけではないのだが、本日は十五日、私塾は休みだ。生徒に気兼ねする必要はない。
 フィプトが薪に火を――錬金籠手を持ち出すほどではないので、火打ち石を使って――点け、赤熱した網の上にセンノルレが肉を落とす。じゅう、という音と共に香ばしい匂いが広がると、誰からともなく歓声が上がった。
「野菜もちゃんと食うんだぞー」とはアベイの言である。
 そのアベイの忠告を、生物学的な問題で聞けない者もいる。獣であるハディードだ。
 そのハディードは、ティレンの足下にぺっとりとくっついたまま、怯えたような目で煉瓦積みを見つめている。樹海の獣は、『外』の獣に比べれば火を恐れない傾向があるが、やはり初めての経験、尻尾を巻いて逃げないだけ勇気があるというべきところだろう。
 エルナクハはそんなハディードに、生肉の一片を差し出してやった。
「ほら、食えよ」
 ティレンと親しげな人間、つまり自分に害意のある相手ではない、ということを学んできたのか、牙を剥くことはなかったが、それでもハディードは身を強ばらせる。すがり付かれているティレンは、口に運んでいた焼肉を呑み込むと、獣の子の背を、とんとん、と優しく叩いた。
「食べても平気」
「ほら」
 ティレンの促しと、食べ物の誘惑に惹かれたのとで、ハディードは生肉に口を伸ばす。あくまでも四肢はティレンの傍から離さないのが、微笑ましいのか勇気が足りないのか評価に苦しむところである。
 伸ばした口吻が生肉に届き、ようやくハディードはご馳走にありつくことができた。
「よくできましたえー」
 たおやかに微笑むのは焔華であった。しかし、彼女の表情をよく見ると、どことなく引きつっているのが判っただろう。常日頃の、凛として佇む彼女らしくなく、折を見ては身体をもぞもぞと動かしている。あくまでもたとえだが、背中に放り込まれた毛虫を追い出した後、まだいるのではないか、と身体をうごめかせて追い出そうとしているようにも見えた。
「……まだかゆいか?」とアベイが心配そうに口を開く。
 焔華は苦笑いめいた表情を浮かべ、こっくりと頷いた。
 むー、とうなりながら、アベイは考え込む。
「調剤ミスったかなぁ……」
「樹海の植物やから、効きにくいのかもしれませんし」
 ぬしさんのせいじゃないえ、と言いたげに手を軽く振りながら、なおも苦笑いの表情で焔華は答えた。
 事情を知らなければ何のことやら判らない会話だが、焔華はこの日の探索時に、ひどい目に遭ったのだった。
 鍛錬を兼ねて六階を再探索中に、なぜか木の枝に引っかかっている麻袋を見付けたのである。中身も残っているようだった。どこの冒険者のものかは判らない、だが、置き去りにしている以上は、見付けた者の所有物になるというのが、樹海探索の不文律。
 ナジクが取りに行こうとするのを制したのは、焔華だった。
「わちは小さいときなぁ、『マシラのほのちゃん』と呼ばれてましたえ」
 胸を張って宣すると、焔華は樹幹に手をかけた。と思うが早いか、するすると登っていく。東方の民族衣装は、そのようなことをするには向かないように見えるものだが、ブシドーの娘は意に介さず、あっという間に太い枝まで上り詰めた。
「気を付けろよ!」
「なあに、鎧で重いぬしさんが登るよりは安全ですし……っとと」
 枝の根元から、麻袋のあるところまで行くまでが大変だった。焔華は何度も足を滑らせかけ、その度に仲間達の肝を氷点下近くまで冷やしたものだ。それでもブシドーの娘は、無事に枝の先端近くまで辿り着き、麻袋を手に取ると、自分が身軽に地面に飛び降りるより先に、下で待つ仲間のところに袋を落とした。
 麻袋の中には、赤木松の木片が入っていた。武具には使えないが、木目の美しさから細工物の材料になる。特にヤニを多く含んだ部位は値打ちものだ。交易所で、かつて衛士隊が第二階層に踏み込んだときに持ち帰ってきたサンプルで作られた、木目模様の見事な椀を見て、誰もが溜息を吐いたものだった。
 その木片は、枯れたものが自然に乾燥したもののようだった。高品質の松細工は、脂を含んだ部位を、年単位の時間を掛けて自然乾燥させてから作られるという。いわば樹海が、面倒な作業をあらかじめやっておいてくれたようなものだろう。
 永久に栄えるように見える樹海迷宮にも、『枯死』はあるのだ。だが、普通の『枯死』は、それがあって当然のものとして、違和感なく受け止められる。
 ……あの奇妙な立ち枯れの木々は、やはり変なのだ。
 そんなアベイの感慨はさておき、エルナクハが焔華に労いの言葉を掛けた。
「お疲れさん、ほのか」
「どういたしましてー」
 思いがけない儲けものだった。それにしても、どうしてまた木の枝なんかに引っかかっていたのか。推測すればきりがなく、意味もないので、深くは考えないことにして、冒険者達はその場を立ち去った。
 ところがである、数分とおかずして、焔華が顔を歪め、着物の合わせ目から手を中に入れた。もぞもぞと動いているのは、どうやら身体を掻いているらしい。
「どうしたの、ほのちゃん?」
 マルメリの問いかけに、ようやく、といった風情で、焔華は応える。
「身体……妙に痒いですし……というか、ぴりぴり痛いくらい……?」
 そう答えるが早いか、焔華はうめいてその場にしゃがみ込み、身体を抱えるように縮めた。慌ててアベイが検診すると、焔華の全身は真っ赤になっていたのだ。どうやら、麻袋を得るために登った木の樹液にかぶれたらしい。
 もちろんアベイは膏薬を処方した。しかし、夜を迎え、今現在の焼肉パーティの段になっても、未だ完全には治っていないのであった。
「なんなら今、薬塗ってやるけど」
「いやですし」
 アベイの申し出を、真朱ノ窟に住まう魔鳥顔負けの反応速度で断る焔華。
「……いや、ここでじゃなくて、ちゃんと俺の部屋でやってやるから、恥ずかしがらなくても」
「今席を立ったら焼肉食いっぱぐれますえ!」
 たおやかでしなやかなブシドーの面影はどこへやら、焔華は自分の皿に大量の焼肉を載せて、縄張りを死守する獣のような鋭い目で周囲を見渡した。あまりに急いで肉を回収したせいか、ほとんど生のようなものまである。
 肉を切り分けたときに、目に見える寄生虫は取り除いたが、もう少し火を通してくれないかな、と、げんなりと思うアベイだった。
 とりあえず、焔華が独り占めしようとしたところでしきれないほど、肉はたくさんある。
 こんがり焼けた鹿肉を食みながら、エルナクハは煙の行方を目で追った。
 香ばしい匂いのする煙が、上方へ昇り、闇に落ちかける朱の空の中で影のようになりつつある世界樹の、枝の合間を通って、さらに上へたなびく。
 世界樹の頂にある天空の城。さすがにそこまでは煙は届かないだろうが――。
「皆さん、何をなさってるんですか?」
 不意に訝しげな声が上がったので、エルナクハを始め、その場にいた者達は皆、声のした方を見た。
 私塾の敷地を囲む塀越しに、一同を見ているのは、衛士の一人であった。ヘルムをかぶっていて声が籠もっているので、どうやら男性らしい(もっとも女性の衛士を見たことはないが)、ということ以上のことはわからない。そして衛士がなぜこんなところにいるのかも――いや、煙が上がっているのを見て、何事かと駆け付けたのかもしれないが。
「焼肉パーティをしていたんですよ」
 私塾の管理責任者として、フィプトがそう説明しながら衛士に近付く。
「火事に見えて紛らわしかったですかね。申し訳ないことをしました」
「ああいえ、煙の様子から、危険はないのはわかっていたんですが」
「では、なぜ、こちらに?」
 冒険者達全員が浮かべる疑問を受け止めつつ、衛士はヘルムに手をかけ、外しながら言葉を返した。
「実は、大公宮からの伝言を伝えに参りまして」
「大公宮の?」
 口を揃えた冒険者達は、その話とは別の理由で驚愕した。ヘルムの下から現れたのは、見覚えのある顔だったのである。
「あ、アンタは……」
 忘れもしない。その衛士とは三階で出会った。つまりは――キマイラに呼ばれて上階からやってきた、狂乱した鹿どもの殺戮の園で、唯一生き残った、彼だ。
「確か、バイファー……だったな」
「はい、お久しぶりです。その節は世話になりました」
 かつて私塾の生徒だった衛士バイファーは、笑みを浮かべて軽く会釈を返してきた。
 ざっと近況を聞いたところによると、あの探索以降、彼は公宮付に回されたという。例の一件以来、樹海を前にすると身がすくむ彼を、迷宮巡回役には戻せない、と見なされたのだろう。今日この日に私塾に現れたのは、公宮付の役目ゆえらしい。
「伝言とは、何だい?」
 という、かつての恩師の促しに、バイファーは口を開いた。
「すみません、一介の衛士ですから、詳しい内容までは。ただ、依頼したいことがあるから、明日、顔を出してほしい、という按察大臣からの要請です」
「何でも屋さん大臣サンがねぇ……」
 『ウルスラグナ』一同は顔を見合わせた。
 自分達は新規新鋭のギルドとして認知されている。それは自惚れではない事実として判っていることだった。同時に、自分達より迷宮の先を行くギルドが、いくつもあることも判っている。その優秀なギルドの数々を差し置いて、名指しで自分達に依頼とは、どういうことだろう。
 しかしバイファーは内容を知らないと言った。ここで問うことは無意味だろう。明日、大公宮に行けばいいことだ。
 断ることもできるだろう。だが、そうする意味もない。わざわざご指名頂いたのなら、せいぜい依頼を上手くこなして、お眼鏡に適うとしよう、という計算もある。もっとも、とても自分達の手に負えないようなことなら、一考しなくてはなるまいが。
「わかった、りょーかい」
 と頷くエルナクハの隣で、焼けた肉を皿に少し載せたフィプトが、フォークを添えたそれを衛士に差し出す。
「せっかく来たんだ、よかったら少し食べていかないか?」
「えっ、いいんですか?」
「仕事中によくないなら、無理に勧められないけど」
「ああいえ、仕事に差し障らない程度の休憩は許可されてますが……」
 バイファーは皿とフォークを受け取り、いそいそと肉を口に運びかけたところで、ふと問いを発した。
「この肉、やはり樹海の、ですか?」
「おう、そいつは鹿肉だな。猪やトカゲもあるけど、そっちも食うか?」
「鹿、ですか」
 衛士の朗らかな顔が崩れ、冷たく強ばる。件の惨状を思い出したのだろうか。
「……仲間の仇を取るつもりで、ぱくっといけや」
 エルナクハは強気な言葉で促した。あの惨状からとっとと立ち直れ、とは言えない。だが、死んで肉となった敵に対してまで影を引きずっているような状況は、決してよくはないだろう。
「は、はい」
 衛士の青年は慌てて頷いて、フォークで肉を突き刺し、口に運んだ。もぐもぐもぐ、と咀嚼し、嚥下し、夢を見るように溜息を吐く。
「……美味しい」
「だろ?」
 にまにま笑いながらエルナクハは応じた。
「あんなに恐ろしい獣なのに、なんでこんなに美味しいんだろう」
 泣くような笑うような顔で、衛士の青年は皿に残った肉を平らげる。
 差し出された空の皿を、フィプトが受け取った。
「伝言ありがとう、バイファー君。大公宮には参内すると、大臣閣下に伝えてくれないか」
 恩師の言葉に頷く青年だが、すぐには立ち去ろうとしない。何かまだあるのか、と訝しく思う一同の前で、青年は思いきったように口を開いた。
「……あの、あと八人分の仇、取らせてもらってもいいですか?」
「現金なヤツだなぁ」
 エルナクハは苦笑しながらも、衛士の青年の要望を叶えてやることにしたのだった。

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