←テキストページに戻る
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・6

 翌日、笛鼠ノ月十四日、『ウルスラグナ』は七階に足を踏み入れた。
 しかし、この階から現れるようになった猪は強敵で、その突進力は防御力に優れたエルナクハをも簡単になぎ倒す威力を誇っていた。もはや戦意を失った者達を抱えながら、探索班達は辛うじて逃げ出し、アベイの手当で事なきを得た後、薬泉院で養生している。
「というわけで」
 大した怪我を負わなかったために回復が早かったアベイは、残りの面子――同じく怪我が軽かったマルメリと、夜の探索に出る一同である――を前に口を開いた。
「ナックが倒れるほどの相手がうろつき回ってる階、このメンバーじゃ、死にに行くようなもんだ。この機会だから、夜の探索のみんなには、第一階層で鍛え直すことを提案する」
「えー」と残念そうに声を上げるのはパラスである。
 その隣に座っていたオルセルタは、同じように残念そうだったが、未練を払うように首を縦に振る。
「そうね、力及ばずに生命を失うよりは、マシだと思うわ。でも、どれくらいまで?」
「そうだな」
 アベイは少しばかり考え込んだ後、ぽん、と諸手を叩いて宣言した。
「狂乱の角鹿どもを軽くひねり潰せるようになるまで、かな」
「あの鹿を、ですか……」
 気乗りしなさそうにつぶやくフィプトの顔は心なしか青い。あるいは彼の頭の中には、三階で目の当たりにした惨禍の記憶が、生々しく蘇ったのだろうか。しかしフィプトはふるふると頭を振り、力の入った声で賛同の意を示した。
「――いいでしょう。確かに、強敵を乗り越える力がなければ、我々の旅は進みません」
「ね、ね、アベイ兄」
 卓から身を乗り出すように、ティレンが口を挟んだ。
「鹿倒したら、みんなで鹿肉パーティ」
「やってもいいと思うぜ」
「やった」
「そん時ゃ、俺にも少しはお裾分けしてくれるんだろうなぁ?」
 さらに『ウルスラグナ』の者ではない何者かの言葉が挟まった。なんのことはない、人数分の飲み物を運んできた、鋼の棘魚亭の親父である。
 冒険者達が話をしていたのは、酒場の中。
 実は『ウルスラグナ』が酒場にいるのは、件の話をするのが主目的ではない。今こうして話しているのは、来たついでである。では何故酒場に来たのかといえば、それはツキモリ医師の言葉を確認するためであった。
 奇妙な枯れ方をした木々を確認するという依頼の話だが、その報酬を酒場に預けたので、調査が済んだら受け取ってほしい、との由。
 昼の探索班を薬泉院にぶち込んだときに、その話を聞き、酒場に確認を取りに来たのである。ツキモリ医師の話を疑ったわけではないが、酒場に持ち込まれる話は大層多い、その噂話に埋もれて忘れられていないか確かめたかったのだった。
「なんでオッサンにお裾分けしなきゃいけないんだよ」
 大口開けて笑いながらアベイは応じた。
「ち、ケチどもめ」
 わざとらしく悪態を吐くと、親父は飲み物を冒険者達の前に置いた。
 ふと声をひそめて、問いかけてくる。
「で、例の、朽ちた木ってのは、どうよ?」
「七階で一ヶ所見付けたのよぉ」
 朝方の探索を思い出しながら、マルメリが答えた。イノシシに出くわして壊滅寸前になったのは、その直後だったのだ。
「これから、第一階層にも枯れた木がないか探しに行くのぉ。ゼグタントさんが見かけたって、昨日言ってたからねぇ」
「ご苦労さんなこったな」
 親父は笑みを浮かべて冒険者達を労ったが、すぐに小難しい顔つきをして首を傾げる。
「しかし、ツキモリの坊主も、何をそんなに気にしてるのかね? 生きとし生けるもの、いつか朽ち果てるのは摂理だろうによ。迷宮の木が枯れてたからっていっても、世界樹が全部枯れちまうワケでもねぇんだし、何の問題があるんだろうな」
 親父の言い分は矛盾している、と、朽ち木を見付けた時のフィプトの仮定を共有している『ウルスラグナ』の誰もが思っただろう。『いずれ朽ち果てるのが摂理』というのは、その世界樹も例外ではないかもしれないのだ。まだ枯れると決まったわけでもないが。
「ま、アイツ、昔から何考えてんのかイマイチ判らねぇところがあるからな」
 自己完結して席を離れていく親父を、『ウルスラグナ』一同の視線が見送った。
「……まあ、しかし、実感できないのも無理もありません」
 と肩をすくめながらフィプトが息を吐いた。
「小生とて、冒険者でなかったら、世界樹が枯れるかも、なんて話は想像も付かなかったでしょう」
 だが、それでいいのかもしれない。その可能性もあるなどということが、ハイ・ラガードの住民の間に広がってしまったら、古来から世界樹を神木として扱ってきた者達は混乱に陥るかもしれないのだから。
 大公宮などに知らせるにしても、ツキモリ医師が相談を持ちかけるという、ノースアカデメイアの判断を待つのがいいだろう。
 今は他言しないに限るのである。

 一旦私塾に戻ってから、一同は樹海へと足を向けた。
 道程の途中まではセンノルレが一緒だった。下腹の膨らみが目立ち始めたアルケミストは、何かを詰めた籠を手に、一同の後から付いてきていた。持とうか、という仲間達の申し出にも静かに首を横に振る。
 やがて薬泉院の前に着くと、センノルレはノブのない扉を軽く叩く。探索班達も並んで反応を待った。
 世界樹の探索に入る前、街の中を軽く回ったときにもやったことだが、薬泉院の扉を叩くということは、中の院長以下メディック達に、急患ではないから慌てなくていい、と知らせることになる。
 やがて、「どうぞ」という女性の声がしたので、『ウルスラグナ』一行は扉を押し開け、薬泉院の中に足を踏み入れたのであった。
「あ、フィプト先生」
 返事をしたものと同じ声が、軽い驚きを孕んで投げかけられた。
 見ると、声の主は金髪のメディックの女性のものであった。女性、といっても、少女に近い年齢だろうか。パラスやアベイに近い年頃と推察される。
「おや、アンジュさんですか」
 フィプトも金髪のメディックに気軽に声を掛けた。
「久しぶりですね。うちに学びに来ていた頃から、もう……何年経ちましたかね」
 どうやら彼女も、過日はフィプトの私塾の生徒だったようである。
「久しぶりって、私はずっと薬泉院にいましたよ?」
 苦笑いに近い表情で、アンジュと呼ばれたメディックは返してきた。
「他の冒険者の方の手当とかで忙しくて、フィプト先生にはなかなか声をおかけできませんでしたけど」
「これは失礼」
「それで今はどんなご用件――ああ、なるほど」
 問いかけたアンジュは、センノルレの様子を見て合点がいったようであった。にこやかに笑むと話を続ける。
「旦那様がたは、極めてお元気ですよ。明日にはまた樹海探索に出られます」
 それまではどこか陰りがあったセンノルレの表情に、ぱっと光が差す。
「本当ですか? ありがとうございます、ありがとうございます……」
「アベイさんの応急処置と、うちの先生の処置がよかったからですよ」
 アンジュは笑みを消さないまま、冒険者一同を奥の部屋に導いた。
 奥にあるいくつかの病室には、回復待ちの冒険者達が収容されている。かすかに聞こえるうめき声が心配を催さなくもないが、本当に重篤な患者は、さらに奥の集中治療室に収容されているはずだ。
 並ぶ病室の中でも、手前側に近いところに、『ウルスラグナ』の怪我人――エルナクハ、焔華、ナジクはいた。各所に巻かれた包帯が痛々しいが、戦闘不能になった最大の原因は、イノシシの突進を食らってショック状態に陥ったことによるものであり、その危機を脱してしまえば、肉体的な怪我の度合いはそれほど大きくなかったのだ。といっても、特にエルナクハなどは、肋骨にヒビの一本や二本は入っているに違いない。
 ところで、センノルレが持参してきた篭の中には、私塾の厨房で焼き上げた菓子と、数種のジャム瓶が入っていた。エルナクハの容態は、ハイ・ラガード探索を始めて以来、類を見ないほど重篤なものだったから、治療のおかげで翌日には復帰できるといっても、今は待つことしかできない彼女としては、大層に心配だったのだろう。様子見に来たかったわけである。
「おいおい、そんな心配そうな顔すんなよ」
 肋骨と右腕をギプスに固められたエルナクハが、苦笑気味に声を上げる。
「せ、聖騎士である貴方のことなど、さほど心配してません! それよりも焔華やナジクの方が心配です」
 夢から覚めたような顔をしてセンノルレは反駁した。エトリア時代の彼女だったら、そんな態度も心底からのものだっただろう。しかし、聖騎士と契を結んだ今となっては、ただ強がっているようにしか見えない。一同は苦笑いしつつも、口とは裏腹にせっせと菓子にジャムを塗り、夫の口元に差し出す、女錬金術師の姿を眺めていた。
 センノルレ、再び我に返り、『夜の部』探索班一同を、困惑と冷徹が入り交じった目で見据える。
「み、見せ物じゃないんです。貴方たちは探索に行くのでしょう? さあ行きなさい、そら行きなさい、今すぐ行きなさい!」
「はいはい、言われなくてもー」
 パラスが探索班全員を代弁するように声を張り上げ、くすくす笑いながら踵を返した。カースメーカーの呪鎖が触れて鳴る音までもが、彼女の笑い声に引きずられ、大層愉快そうに聞こえる。他の探索班達も彼女の後を付いて病室を辞しようとした。
「気を付けろよ。月並みな言葉だがよ」
 エルナクハの言葉は、月並みゆえに真剣みを色濃く帯びていた。今の彼は、仲間達がこれから行くのが第二階層ではないことを、まだ知らない。が、第一階層であろうと第二階層であろうと、気を付けないことはありえない。
 探索班達はギルドマスターの言葉を真摯に受け取って、薬泉院を後にしたのだった。

 木々の合間を縫って、ぽつぽつと樹海に投げかけられる、淡い月光の中、冒険者達は夜の古跡の樹海を往く。
 まだ起動している樹海の柱を通ってきた五階、目的地は北西である。
 ゼグタントがこの階の北西で立ち枯れた樹を見かけたと言っていた。おまけに、北西には鹿の縄張りが一ヶ所ある。目的を果たすためには好都合だ。
 枯れ木がないかどうか注意しながら進むうち、鹿の縄張りに近付いてきたので、一行はさらに注意しながら歩を進める。
「……先手取るのは、ちょっと無理よね」
 縄張りに踏み込む直前、オルセルタが鋭い目で前方を見やりながら、口を開いた。背後を突くことができれば、少しは有利に戦えるのだが、それはかなり難しい。眠りの鈴で眠らせれば簡単だが、今は持ってきていない。というより、そんな小細工なしで相手を叩きのめすのが今の目標だ。
 腹をくくって進もうとする一行だったが、ふと、ティレンが立ち止まった。どうしたのかと無言で問う仲間達に、迷いを宿した目を向ける。
「おれ、また混乱したらどうしよう」
 ティレンは第一階層で角鹿と戦ったときのことを気に病んでいるのだ。
 まだ暦が『笛鼠』に変わったばかりの頃、自分達にキマイラに挑む力があるかを試すために角鹿に挑んだ。その一人であるティレンは、その蹄が醸す怪しいステップに呑み込まれ、思考を掻き乱された。そうして味方を敵と取り違え、アベイやフィプトを凶刃に掛けてしまった。
 それはどうしようもないことで、アベイやフィプトにしては責める気は毛頭ない。だからといってティレンが「ならいいよね」と納得することはないだろう。
 アベイは軽く息を吐くと、、ソードマンの少年の肩を、あやすように、ぽんぽんと叩いた。
「大丈夫だ、俺たちも前みたいに簡単に倒れないよ。ちゃんと回復してやるから」
「ん。たのむ、アベイ兄」
 心配の種は完全に払拭されなかったのだろうが、それでもティレンは素直に頷いた。
 そんな会話をしていたちょうどその頃、『ウルスラグナ』一同の視界から見えるところに、問題の角鹿の姿が現れた。ゆっくりと、しかし鈍重さの欠片もない優美な足取りで、自分の縄張りを侵す不届き者がいないかどうか、見回っている。たぶん『ウルスラグナ』の気配にも気付いているのだろう、だが「それ以上近付かなければ攻撃の意志はない」と言いたげに鼻を鳴らすと、ゆったりと歩を進めようとした。
 しかし、そうは問屋が卸さない。
 冒険者達は銘々に気合いの声を上げながら、鹿に肉薄した。
「無駄殺しはしないわよ、肉も皮もちゃんと糧にしてあげるから!」
「明日は、鹿肉パーティ」
「鍋もいいよね! 私、味噌! 味噌味がいいな!」
 ……いまいち勇猛さには欠けるが、気合いには違いない。
 アベイとフィプトは苦笑いをしながら、鹿に襲いかかる仲間達の後を追った。

「明日は鹿肉、明日は鹿肉、明日は鹿肉パーティー」
 よっぽど嬉しいのか、ティレンが歌のような旋律を付けた声で斧を振るう。
 既に鹿はこときれていた。鼻歌交じりの楽勝、とまではいかないが、よくやったと言えるだろう。その獲物をティレンは大まかに解体しているのである。
 その傍では、オルセルタとアベイがナイフを振るって、部位ごとに肉を切り分けている。
 フィプトとパラスは、その肉を笹の葉でくるんで、牛革の袋にせっせと詰めていた。
 肉を取り、皮を剥ぎ、胃から腸やら心臓も食用として回収し、ついでに角やタテガミもザックに収める。角やタテガミはさして売り物にはならないが、ものはついでということで持ち帰って、交易所に引き渡すのが常だった。シトトの娘が、引き替えに、なんだかんだと、作ったポプリ袋をくれたり、たくさん買いすぎたから、と果物を分けてくれたりするのだった。最初にリンゴをくれたときは、今回限り、という話だったのにもかかわらず、だ。冒険者としてはそれを期待して持ち込んでいるわけではないのだが。
 オルセルタが残った食べられない内臓や骨をきれいにまとめて、茂みの奥にそっと押し込んだ。ぱん、と両手を合わせて声を張り上げる。
「ごちそうさま。あなたの魂が無事に大地母神の御許に帰れますようにっ」
 あの兄にしてこの妹というか、さすがは元神官候補というか。
「ごちそうさまー」隣でティレンが真似をして手を合わせる。
 樹海で敵を倒すたびにいちいち祈ってなどいられないが、今回は完全にこちらから襲う気で行ったのだ、たまには祈ったっていいじゃないの、というのが、ダークハンターの少女の言い分である。
 もとより、樹海に関わる大概の者は、意識的にか無意識にかの違いはあれど、樹海にそれなりの敬意を持っているものだった。もともとハイ・ラガードの民だった者は、特にその傾向が大きい。魔物に襲われたときはともかく、糧として狩り取った時には、心のどこかで世界樹なり神なりに感謝を捧げるものだ。
 ……神といえば。
 以前フィプトが言っていた。ハイ・ラガードの伝承に曰く、天空の城には神が御座おわし、勇者を求め、地上で死した者達の魂を天空の城に集めている、と。世界樹の上の城に神がいるなら、樹海の生き物の魂の引き取り手はそっちだと思った方がいいんだろうか。そんなことをオルセルタは考えたが、その神が本当に神なのかもわからないので、とりあえずは現状維持、自分達の神に願っておくままにしたのである。
 一息吐いたところで、鹿の縄張りだった区域を後にして、北西の探索にかかる。鹿を倒して自分達の実力を量る、という目的は果たしたが、枯れ木はまだ見つかっていないのだ。時折現れる魔物をいなしながら、冒険者達は奥へ奥へと歩を進めた。
 やがて、北西でも隅の方に近付いていく。木々の隙間から差し込む月の光が増えた中、『ウルスラグナ』は、地響きに似たものを感知した。磁軸計でも、現在地の近くに『敵対者f.o.e』がうごめいているのが判る。地図――羊皮紙に転記した方――を開いて確認すると、近場に大トカゲ『駆け寄る襲撃者』の縄張りがあると記されていた。
 一同は顔を見合わせた。
 襲撃者は角鹿以上の強敵だ。そいつを軽く倒せるなら、自分達の力は間違いなく第二階層でも通用するだろう。しかし、角鹿との戦いで、勝ちはしたものの楽勝とはいえず、体力も気力も消耗した。そんな現状で襲撃者に挑むのは無謀だ。今回は避けるに限る。
 というわけで、冒険者達は襲撃者が遠くに行ったのを確認し、東西に延びる縄張りを横断する。正確に述べるなら、縄張りを西に進み、襲撃者が戻ってくる前に、突き当たって北に折れる道へ抜けたのであった。
「鍛練を積んだら、次の目標はあいつだね」
 襲撃者の吠え猛る声を耳にして、パラスが挑戦的な声を出した。
「あいつ、食えるかな」とはティレンの返し。
「トカゲ案外いけるわよー。鶏肉っぽいけど、もっとしっかりした味してるのよ」
「その経験から行けば、襲撃者も食べられなくはなさそうですね」
「どこかに麻痺毒の袋とかありそうだから、解体するときゃ注意しないとな」
 他の仲間達も乗じて口を出し、冷たい光の中に賑やかな会話が弾けるか、と思いきや。
 一同は前方を見て、一斉に口を閉ざした。
 月の光に照らされた、青い影の中にある森の一角に、それはあった。
 不自然に色を失い、冷え冷えとした木々の一群。
 ゼグタントの目撃証言は、気のせいなどではなかったのだ。
 灰色に朽ちた木々は、やせ細った枝を晒していた。
 その様はまるで、訪問者達に何かを訴えようとしているようだった。
 それは救援か、警告か。
 どちらでも違和感のない、その不気味さ。
「やっぱり不気味だな……」
 顔を引きつらせ、後ずさりしつつ、アベイが言葉を吐き出した。
 他の冒険者達は、すでに彼の数歩後ろまで後ずさっている。
 今の自分達には、何もできない。冒険者達は異常のある場所を地図に書き留めると、そそくさとその場を立ち去った。
 しかし、後ろ髪を引かれるかのように、頭の中には、立ち枯れの樹のことが引っかかり続ける。
 自然に起きたとは思えない、この不気味な現象。原因は何なのだろう。

NEXT→

←テキストページに戻る