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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・5

「アベイ君のことですから、もう判ってるとは思いますけど、敢えて言わせてもらいますからね」
 薬泉院の院長ツキモリ医師は、叱るというより、悲しそうに見える表情で、口を開いた。
「テリアカを忘れるとは何事ですか。メディックは、仲間達の体調の異変に備えなければならないんですよ。自力で薬品調合ができなければ、代わりの手段が必要です。それを、持っていったのを使い果たした、ならまだしも、忘れた、とは、何事です?」
「……まったくもって、返す言葉がないぜ……」
 アベイは身を縮め、しゅんとしながら頷いた。
 持てる荷物量には限りがあるし、薬品を揃えるには金もいるから、テリアカを無限に持っていけるわけではない。必然的に、探索中に使い果たして足りない、ということはあり得る。しかし、自分の大ポカはそれ以前の問題だ。
 メディックの青年は、ひとしきり反省した後、くるりと後ろに向き直って、頭を下げた。
「すまん、オルタちゃん」
 詫びを入れられたオルセルタは、運び込まれたときには石像のように硬直していたが、治療を受けた今は元気そのものだった。むしろパラスの方が、縫われた傷がしくしく痛む、と訴えてきていたりする。
「わ、わたしは大丈夫よ。だけど、今度から、忘れ物しないように、みんなで気を付けないとね」
 まったくである。冒険者の『忘れ物』は生命に関わる。
 例えばアリアドネの糸。これを忘れてしまえば、迷宮の奥深くから無事で脱出できる可能性は、がっくりと低下する。どれだけ探索慣れした冒険者でも、否、探索慣れしたからこそか、糸をうっかり忘れることは意外と多いのである。
 事実、『ウルスラグナ』も、何度か糸を買い忘れたことがあった。正確に言えば、フロースガルの忠告以来、常にふたつ持つようにしている糸を、補充し忘れ、荷物の中にはひとつしかなかった、ということになる。そのため、実際には無事に街に帰ることはできたのだが、フロースガルの忠告を聞いていなければ、自分達の荷物の中には糸がないはずだったのだ。そんな事態が起こるたびに、冒険者達は肝を冷やし、今は亡きフロースガルに感謝しつつも、シトト交易所で糸をふたつ買い求めるのであった。
 エトリア樹海でも、必要なものを忘れたために危機に陥ったことはある。同じ轍を踏むとは何事だろう。
「ところで、皆さんに伺いたいことがあるんですが」
 ふと何かを思い出した、というような表情で、ツキモリ医師が切り出した。
「大変に個人的な話で恐縮なんですが、今は夜ですので、思い切って伺いたいのです」
 夜ですので、というのは、薬泉院は夜は閉めている(当然、急患は随時受付だ)からであろう。冒険者の治療のために作られた薬泉院だが、昼は一般人にも開放しているのだ。個人的な話だから仕事中に切り出すわけにもいかない、と、この生真面目な院長は思ったに違いない。
 冒険者達に話を聞く気があると見なしたツキモリ医師は、続けて話し始めた。
「……実は、このところ、冒険者の方や衛士隊から、妙な報告が挙がってるんです」
「妙な、報告?」
「あなた方は見た事ありますか? 樹海の所々で樹木が不自然に枯れ、朽ちているというものを」
 『ウルスラグナ』探索班は思わず顔を見合わせた。
 自分達も、その奇妙な事象を目にしてきたばかりなのだ。
 フィプトがウエストポーチをあさって、一本の試験管を引き出した。樹海の中で、立ち枯れた木の枝を納めたものだ。
 ツキモリ医師の目の色が変わる。
「これが、そうなのですか!?」
 石化――文字通りの意味で――したかのような色をし、冷え冷えとした気配を漂わせるその枝を、薬泉院の院長は矯めつ眇めつ観察していた。ようやく気が済んだのか、試験管をフィプトに返しながら、口を開く。
「もしよろしければ、ひとつ、お願いがあるのですが」
 院長の依頼は、他にも同じような枯れ方をした樹を探してほしい、というものであった。
「これまで報告してくれた皆さんは、一過性のものとして、気にしていないようです。ただ、僕には、世界樹全体に関わる重大な何かの兆しかもしれない、そんな気がしてならないんです。思い過ごしならいいんですが……。そこで、ノースアカデメイアに調査を依頼したいと思っているのですけど……」
「ノースアカデメイア?」
「ああ、大陸北方のメディック達が協力する、民間の医療研究機関です。今、フィプト先生にサンプルを見せて頂いて、決めました。僕はそこに、この症例の調査を依頼したい。けれど一ヶ所ではサンプルとして心もとありません。ですから、最低でも三ヶ所、症例の確認された場所を知りたいのです。お願いできませんか?」
「別に構わないと思うわ」
 オルセルタが明るい声で答えた。「樹海探索のついでに見付けていけば、そんなに手間でもないと思うもの」
「おれも、別にいいよ」
「個人的にも興味がありますしね」
「いいんじゃないかな?」
「じゃ、決まりかな」
 仲間達の声をアベイが取りまとめて返事をした。
「いいぜ、コウ兄。その頼み、引き受けた」
 この場にいない四人分の意見は聞けていないのだが、とてつもない危険を伴う依頼でもない、特に反対の声は上がるまい。
「お手数おかけします」
 ツキモリ医師は静かに頭を下げると、再び言葉を発した。
「それで、大変勝手な話かと思うんですが、この依頼にあたって、ひとつお願いしたいことがあるんです」
 何事だ、と視線を向ける冒険者達に、ツキモリ医師は申し訳なさそうに話を続けるのであった。
「この依頼は正式な調査依頼にはできません。何の確証もないのに、変な噂にするわけにはいきませんから。ですから、どうか内密に――そうですね、酒場のご主人に話をしておきますから、報告はそちらにしておいて頂けませんか?」

 翌日、笛鼠ノ月十三日。
 ナジクの代わりにゼグタントを編入した『昼の部』探索班は、一路、採集場に向かって出発した。
 昨日の夜の探索班が持ち帰ってきた、ミント草やニガヨモギが、どうやらものになりそうだと判ったからだ。
「――奇妙に立ち枯れた樹、奇妙に立ち枯れた樹、ねぇ……」
 ゼグタントはそうつぶやきながら首をひねっていた。私塾に仮の宿を得て以来、時折、『ウルスラグナ』の食事の席にちゃっかり混じっていることもある、フリーランスのレンジャーは、この日の朝もさりげなく朝食の席に混ざり、その場で交わされた、ツキモリ医師からの依頼の話を聞いたのであった。
 フリーランスとしてあちらこちらのギルドに関わり、樹海の方々を行き来する彼なら、立ち枯れの樹を他の場所で見かけたことがあるかもしれない。そう思った『ウルスラグナ』一同の問いかけには、朝食の席では思い出せなかったようで、いい答は返ってこなかった。
 そして今、彼はまだ律儀にも思い出そうとしてくれているのだ。
 ふと足を止め、ぽん、とゼグタントは両手を打ち合わせた。
「……おお、やっと思い出した」
「マジか?」
「確証はねぇけどな。昨日の依頼は、やっと五階に辿り着いたばかりのヤツらのだったンだがよ、採取手伝ってやったあと、先に進むのちょっと手伝ってやったンだよ。その時に、なんか枯れた樹を見かけたような……」
「どこで見たのよぉ?」
「あー、確か、北西だったよ。正確な位置まではよく覚えてねぇが……おっかないデカトカゲの縄張りを抜けたのは覚えてるぜ」
 五階北西、と、エルナクハは己の頭の片隅に記憶した。第二階層にある(としたら)分は、これからの探索で見付けていけばいいが、すでに探索した第一階層(にもあるとしたら)で探すのは、正直面倒くさい。断片的にでも手がかりがあれば、大変にありがたいのであった。
 それはまたいずれ確かめに行けばいい。今は第二階層の探索と採集が先である。
 採取場にたどり着くと、冒険者達は早速、採集を始めた。といっても、エルナクハと焔華は、質の善し悪しを見極められる知識がないので、魔物の襲撃に備えて周囲を見張っている。
 アベイやマルメリが、ぷちぷちと草花をより分け、やっと数本摘む間に、ゼグタントは手早く採取を行い、素材袋の半分をミントやニガヨモギで満たす。採集専門レンジャーの面目躍如である。
「そろそろ、いいかな」
 と、冒険者が採取を終わらせようとしたとき。
「お、いいモン見っけ」
 ゼグタントが喜声をあげて草むらに手を伸ばした。
 何を見付けたのか、と注目する皆の前に差し出された、ゼグタントの掌には、ころんとした木の実のようなものが乗せられている。
 否、『ようなもの』ではない。確かに木の実だ。というか、何の変哲もない木の実にしか見えない。
 問うような目で見つめる『ウルスラグナ』一同に、ゼグタントは講師のような顔で告げたのであった。
「こいつぁ、『三色の木の実』って呼ばれるヤツでね。加熱したり冷却したりすると色を変えるのさ。別ギルドのオシゴトをやってた時に、交易所で錬金術師の姉ちゃんにお会いしてね、こういうのを見付けたら是非、交易所に売ってくれ、って言われてたンだよ」
「へえ、何かいいモノの材料になんのかな」
「さぁなぁ、オレは錬金術師じゃねぇからわからねぇよ。まあ、とにかくこの木の実をたくさん手に入れれば、先方も喜ぶだろうぜ」
 だが、さしものゼグタントも、そのひとつしか『三色の木の実』を見付けられなかった。他の者は言わずともがな。
 しゃがんで採集作業ばかりしていると、腰が痛くなり始めた。冒険者達はひとまず採集作業を中止すると、探索の続きに取りかかることにしたのであった。

 曲がりくねった道を進んだり、行き止まりに突き当たって戻ったりした後に、冒険者達は『扉』を見付けた。
 この階層にも、どう考えても人の手が加わったとしか思えない建造物がある以上、扉があるのもおかしくはない。
 この際、扉はどうでもいい。問題はその先である。
 拓けた場所に出た冒険者達は目を見張った。広場に点在する立木の一本の傍に、件のカボチャの魔物がいるのが見えたのである。人間どもには目もくれず、ただ移動しているだけだが、相変わらずの不気味な姿と、やはり磁軸計に反応が現れないことが、冒険者達の心に寒風を吹かす。
「へぇ、こんな魔物もいるンだねぇ……」
 陽気なふりをしたゼグタントの声も、心なしか震えていた。
 いずれにしても今の『ウルスラグナ』の手には負えない魔物、避けるに越したことはない。一行は魔物の進行方向を塞がないように移動し始めた。当面の移動先は西である。
 しかし、西への道は、進むほどに細くなり始め、しまいには南に折れたところで行き止まりが見えてきた。詳しく調べないと何とも言えないが、獣道が見つかる気配もない、ただの突き当たり。カボチャの魔物と出くわす危険はないが、先に進めないのでは無意味だ。だがとりあえず悪あがきして調べてみようか、と思った、その時である。
「これは何ですし?」
 焔華が上げた声に、冒険者達は集い、ブシドーの娘が見付けたものを目の当たりにする。
 それは、木の実であった。
 ゼグタントが「ふうん、木の実だねェ……」と至極普通の反応をしているところを見ると、先ほどの『三色の木の実』のような珍しい代物ではないようだ。というより、それくらいは『ウルスラグナ』の皆も判る。それを何故、焔華がわざわざ目に留め、皆を呼んだのか。
 木の実はひとつだけではなかった。点々と並んで落ちていたのだ。その並び方は明らかに不自然、どう見ても人の手で並べられたとしか思えない。
「……コイツも、柱とかを作ったヤツらの仕業かな?」
「んなわきゃないだろ」
 そんなに昔からあったなら、獣や自然現象によって、こんな配列などとっくに崩れている。どう考えても、ごく最近並べられたとしか思えない。では何者が?
 ……木の実の配列を見ているうちに、並べたものの正体に行き当たるような気がするのだが、どうも、あと一歩のところで確証に至らない。
 知らずのうちに、エルナクハは木の実の配列を追いかけていた。
「待ってよぉ!」
 マルメリの声と共に、四人分の足音が追ってくる。
 木の実の列を追ううちに、エルナクハはこの列が何かの示唆ではないかと思うようになっていた。
 例えば、古典童話で言う、親に捨てられそうになる子供が、帰り道の目印代わりに撒いた小石のように。
 帰りの目印? アリアドネの糸があるのにか?
 否、なかったとしたら?
 そして、目印は目印でも、『帰り』の目印ではないとしたら?
 糸を忘れ、重傷を負った冒険者達が、獣に襲われにくいところに身を潜め、誰かに見付けてもらうように木の実で目印を付けたのか。
 木の実の列は、突き当たりで途絶えていた。赤の葉の茂みで塞がれた道は、しかし、その向こうに続いているのかもしれない。エルナクハは固唾を呑みつつ、ゆっくりと茂みに近付いた。
 そのときである。
「きゃあ!」
 後方で女の悲鳴が聞こえた。焔華かマルメリか、あるいは別の何かか。そんなことを考えるまでもなく、エルナクハは弾かれたように振り返り、何が起きたのかを目の当たりにした。
 悲鳴を上げたのはマルメリの方だったようだ。その右足を、二本の若木がきつく挟み込むようにして捉えている。その見事な捕らわれように、エルナクハは一瞬にして状況を把握した。二本の若木の正体だけではなく、木の実の役割も。
「……ああ、そっか、こいつぁ狩りの罠だったんだな」
 どうりで、そこはかとない既視感があったわけだ。餌を撒いて罠まで誘き寄せる狩りは、自分だって何度もやったことがある。
「よかった……重傷を負った冒険者はいなかったんだな……」
 アベイが安堵の表情を浮かべて息を吐いた。彼もまた、ここまでにエルナクハが浮かべていたものと同じ予測を立てて、見知らぬ冒険者達の心配をしていたようである。そんな二人に、罵声の旋律……とは言い切れない音価の塊がぶつけられた。
「重傷者はここにいるわよぉ! アンタ達の目は節穴かあっ!」
 マルメリの足は見事に腫れ上がって、右足が左足の倍近く太く見える。重傷、とまで言えるかどうかはともかく、ひどい怪我には違いない。
「ん……っ、結構、きついわいや……」
「いやぁ、コイツを仕掛けた奴さんは、かなり手練れの狩人だねぇ……」
 せっかく、どこかの誰かが仕掛けた罠である。できれば壊さずに外したかったが、残念ながらそうもいかない。仕方なく、罠に犠牲になってもらうことにした。二本の若木でできた素晴らしい罠は、しばらくの後には、二本の若木の残骸となり、引き替えにマルメリは自由を取り戻したのであった。
 アベイの応急処置を受けながら、マルメリはぶーぶーと文句を垂れ流す。
「狩りをするな、なんて言わないわよぉ。でも、お願いだから、ここに罠があります、って書いておいてよぉ!」
「無茶言うな」
 とエルナクハは答えたが、今回の罠を仕掛けた者がこの場にいたら、ああもあからさまに木の実を並べているのだから察しろ、と言いたいところだろう。
「……ちょうどいい頃合いだし、帰るか?」
 応急処置を終えたアベイが顔を上げ、一同を見渡しながら問いかけた。
 皆の意見を待つ態度だが、その本音は『帰りたい』だと読める。歌による支援を役目とするマルメリは、誰かがしっかり護ってやりさえすれば、今しがた負った怪我がその役割に影響することはない。しかし、メディックの本音としては、街に戻って安静にさせたいはずだ。
 さらに、マルメリのことがなかったとしても、アベイの精神的な疲労は限界に近いのだろう。
 実のところ、エルナクハは悩んだ。他の三人は元気である。ぎりぎりまで樹海を歩いて、少しでも地図を確定させることはできるのではないか、と。
 そこまで考えておいて、だが頭を振る。そんな高望みをしてはいけない。第二階層は、『ウルスラグナ』にとってはまだ危険地帯だ。まして近くには、例の『磁軸計にひっかからない魔物』がいる。
「……そうだな、素材も売らなきゃなんねぇし、帰るか」
 黒い聖騎士は統率者として決断した。
 仲間達がアリアドネの糸を準備しているのを待つ間、エルナクハは少々名残惜しげに周囲を見渡す。いや別にこれが最後の冒険というわけでもないのだが。
「――!?」
 思わず目を凝らす。ばさっ、という翼の音と、鳥の影を、感知した気がしたからだ。しかし、視線の先にはそれらしきものは何一つ捉えられない。
 まあ、樹海にも鳥がいるのだから、翼の音自体は珍しくないのだが。
 ただ、一瞬見たような、あの影は。
 何かの錯覚か、人間のようにも見えたのだ。

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