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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・3

 第二階層に踏み込んでから、一時間ほど経っただろうか。樹海磁軸の南にある丁字路を東に曲がってから、曲がりくねった道を辿り、東西に延びる道にぶつかる二つ目の丁字路に着いた一行は、今度は西へと歩を進めた。
 そこまでに二度ほど、魔物との遭遇を経験したものの、現在のところ、致命的な被害はない。
 出くわしたのは、動くキノコと、首下に襟巻のような皮を持つ直立トカゲであった。キノコは毒や麻痺の効果を持つ胞子で冒険者達を苦しめ、トカゲは鋭い爪で防御の弱いところを掻き取りにかかってきたが、焔華の絶大な攻撃力と、エルナクハの堅牢な防御の前では、死をもたらす使者とはなりえなかったのである。
 とはいえ、傷を癒すアベイの精神的な疲れは大きい。あと一戦交えたら、帰還するべきだろう。
 今回はマルメリが磁軸計の反応を見張り、地図を書いている。しばらくは、一度北へ大きく曲がる角があったものの、総じて一本道、地図を書くのも楽だったようである。
 油断はしないものの、軽い雑談を交えながら、冒険者達は再び丁字路に行き着いた。磁軸計の反応からすれば、現在地は迷宮内では北のはずれに位置する。再び西の道を選び、『ウルスラグナ』は再び雑談を交わしながら歩を――。
「!?」
 背後で小さな音がした。足下の小枝を折って歩くような音だった。
 自分達の誰かの足音、そう思えてもおかしくはなかっただろう。が、冒険者の直感は、「そうではない」と判断する。一斉に振り向き、各々の武具を構えた。
 丁字路の交差点、つい先程まで自分達がいた場所に、異形の姿がある。
 そいつは生き物とは到底思えない姿をしていた。棘のある蔓を寄り合わせ、その先端に三つのカボチャを括りつけたような魔物である。これまでに動くサボテンやら眠りの花粉をばらまく歩く花を見た経験がなければ、見なかったことにしようと試みたかもしれない。
 カボチャとは反対側の蔓の先を器用に動かして、じりじりと這うように移動している。先程の音は、その進行方向にあった枝に乗って、折ったためのものだろう。
 だが、これだけの大物が、こんなにも至近距離にいれば、必ずや気配を感じ取れるものを。だというのに、魔物からは全く気配を感じ取れない。マルメリが磁軸計を見ながら目を白黒させているところを見ると、磁軸計上の反応もないようだった。冒険者が足を踏み入れたことのある場所にいる『敵対者』の気配を感知できるはずなのに、だ。
 今までにない事態に冒険者達が呆気にとられている傍を、魔物は悠々と通り過ぎ、東へ曲がって、遠ざかっていった。
「……なんだよ、ありゃア……」
 地域によっては秋の収穫祭時に行われる『カボチャオバケ祭』を具現化したような、魔物の実存を前に、『ウルスラグナ』はしばらく呆然と佇んでいた。
 非実体の存在、いわゆる『幽霊』といわしむものとは、一線を画するようではある。
 ひとつ、先程の魔物には気配はないが、実体はある。
 ひとつ、『幽霊』――という存在が実在するならば、だが――は、風聞を信用するなら、『気配』を持つはずだ。だからこそ人間はその『存在』を信じ、恐れ、怯えるのだから。
「気配を出さない魔物、かいや?」
 焔華がそうつぶやいたが、その顔は、自分の発言に自信がないことを示している。
 確かに人間、訓練次第で気配を消すことができるが、それは『限りなくゼロにする』であって、『一切合切を消し去れる』わけではない。気配読みの達人にかかれば見つけ出されることもあるのだ。
 しかし、先程の魔物は、自発的に気配を消しているのだとすれば、それをほぼ完璧にやってのけている。小枝を折る音がしなければ、『ウルスラグナ』も気が付かないほどに。もし、『ウルスラグナ』が丁字路で行き先に迷い、ぐずぐずしていたら、忍び寄ってきた魔物に血祭りにされていたかもしれない。
 だというのに、だ。
「……あり得ませんえ」
 焔華は表情を改め、言い切った。
「気配を持たないものなど、完全に動かんものしかあり得ませんし。無機物やても、動けば気配を持つものですし」
「……そういうモンか?」
 いくらなんでも、とエルナクハは問い返す。気配を持たない生物はいない、ならまだしも、無機物にも気配がある、は言い過ぎではないか?
 聖騎士の疑問を表情から読みとったか、武士の娘は大きく頷いて答えるのだった。
「確かに無機物は、それ自体の気配は持たんし。やけど、動けば大気を掻き乱す。大気の乱れなら、わちらでも感じることができますえ。それが容易か至難か、の違いしかありませんわ」
「つまり、ヤツの気配……ヤツ自身だけじゃなくて、ヤツの動作も含めたモンは、『限りなくゼロ』かもしんないけど、『一切合切無』じゃねぇ、ってことか」
「そうですし。それが証拠に、わちらは、あの魔物が小枝を折る音で、あの輩に気付きましたえ」
 焔華のその言葉は、それまでで一番、仲間達にもわかりやすい答だったかもしれない。「ああ」「確かに」と、得心する言葉や、軽く手を打ち合わせる音が、そこかしこで発生する。
 焔華は満足げに頷くと、改めてエルナクハに向き直る。
「エルナクハどの、ギルドマスターたるぬしさんに進言しますえ。今さっきの魔物の気配を感じ取れるように、軽く訓練するべきですし。そうでなくては、他に似たような輩がいたとき、うまく気配を感知できないままだと、突然に襲われて、慌てている間に全てが終わることにもなりかねませんわ」
 エルナクハは頷いた。焔華の進言に異論はない。
 ただ、彼自身として不安だったのは、そんなにも無に近い微弱な気配を、自分自身が感知できるようになるのか、というところだ。
 が、樹海探索者としては、それが生死に直結する。やるしか、ないのだ。

 とりあえず、『ウルスラグナ』は先程の魔物を追うことにした。
 話し合っている間に魔物の姿は遠くへ消え、今はどこを移動しているとも知れない。だが、幸いにも行く先は一本道だ。
 樹海の『敵対者f.o.e』の傾向として、なわばりと定めた(らしい)場所を往復する事が多い。行き止まりに突き当たったら戻ってくるだろう。
 しかし、一本道をどれだけ行っても、魔物が戻ってくる様子がない。
 道が南へ折れ曲がる所に行き着いた一同は、頭を寄せてマルメリが書いた地図のメモを覗き込み、別の可能性を見いだした。
「コイツぁ、道が環になってるかもしんねぇなあ」
 だとしたら、人が歩く速度と同じ程度で移動していたあの魔物を後から追っても、相手が止まらない限りは追いつけない。その仮説を支持するなら、魔物を追おうと思った時点で、それまで来た道を戻るべきだったのである。それだったら、どこかで鉢合わせたはずだ。
 もっとも、まだ明らかでない場所に脇道があり、あの魔物はそちらへ動いている、という可能性もある。
「脇道といえば」とナジクが口を開いた。
「先程、南側に、通れそうな茂みがあった」
「マジか?」
「ああ。あの魔物が通ったような痕跡はなかったが」
「ならいいけど……その茂みも調べんの忘れないようにしねぇとな」
 今は例の魔物の話である。
 南に足を向け、数分ほど歩いたところで、案の定、東の方に脇道が口を開けているのが発見された。件の魔物が、構わず直進したのか、この脇道へと入っていったのか、現状では『ウルスラグナ』には判断のしようがない。
 エルナクハはしばし考え込み、頷く。突然抜いたのは鞘に入ったままの剣である。『ベオウルフ』を弔うときには錫杖代わりに使ったそれを、エルナクハは地面にまっすぐ立て、手放した。倒れないように固定したわけではないから、当然倒れる。黒い聖騎士は満足げに再度頷くと、声を上げた。
大地母神バルテムの神託が下った。こっちだ!」
 倒れた剣の柄が指したのは脇道の方である。
 仲間達も賛同した。というか反対する理由がなかった。「何やってるんですか」と突っ込みたかったのだが、では直進する方に合理的な理由があるかといえば、正直言って、ない。だったら神の御名でもただの棒倒し占いでも、納得できる選択の助けになるなら何でもよかろう。そう思ったのである。

 結論から示すならば、例の魔物は脇道の中には入らなかったようだった。
 しかし、その脇道には、後々の重大事の先駈けともいうべき異変があったのである。
 否、それは、はるか昔から始まっていた異変が、ようやく人間の目に触れるようになったもの。
 全てが終わってから振り返ってみれば、エルナクハの他愛もない行き先決定方法も、確かに大地母神の神託だったのかもしれなかった。

 脇道は、その途中でさらに二股に分かれていた。
 周囲は相も変わらず赤に染め抜かれているのだが、その合間から鮮やかな青がちらちらと見え隠れする。磁軸計の反応から見るに、現在地の付近は迷宮の端。木々の隙間からわずかに見える、『外』の空の色が、美しい色合いを誇っている。
 最初に選んだ先には、蟻塚があり、そこで猪の姿をした生き物が懸命に塚を壊していた。中に溜まっている蜜を求めているらしい。エトリア第五階層、真実の中心地で出会った、黄金の猪を思い出し、冒険者達は慎重になるが、幸いにも、かの猪と目の前の獣は、よく似ているだけで、強さ自体は天地ほどに違うようだ。それでも無駄な争いを避けようと、様子を見ているうちに、猪は蜜を舐め終え、満足して立ち去った。すっかり崩された蟻塚で、冒険者達は蜜のおこぼれに与ったものだった。
 問題はもう片方であった。
 その道は、少し拓けたところで行き止まりになっていた。
 吹き込む風は夏の朝の熱を孕んだものだったが、迷宮内の秋の気候に混ざると、程よい暖気となって、冒険者達を包み込む。
 先程の魔物の姿は、結局、見あたらない。
 引き返そうとした一同だったが、視界の端に違和感を感じ、足を止めた。
 迷宮の紅と、『外』の空の蒼。色相は違えど、共に鮮やかな色彩。なのに。
 一ヶ所だけ、妙な違和感がある。
「……あ!」
 その違和感の正体に、最初に気が付いたのは、マルメリであった。震える黒い腕がゆっくりと上がり、前方を指差す。
 腕の指す方へと視線を移動させた仲間達は、吟遊詩人と等しく、違和感に得心した。
 紅の樹木の中、一本だけ、妙なものがある。
 灰色の樹。色を司る神がその樹にだけ色を与え忘れてしまったような、寒々しい灰色をした樹である。周囲の木々が誇らしげに燃えるような紅葉を広げる中で、灰色の樹は、緑の葉の一枚すらなく、骸骨のごとき様相をさらしているのであった。
 ただ、樹木が一本枯れているだけだ。だというのに、どこか空恐ろしいものを、『ウルスラグナ』は感じた。
 とりあえず近付いてみる。新種の魔物の可能性もあるので、注意しつつ足を運んだ。
 水分のほとんどを失い、石のように枯れ果ててしまった樹だった。用心しつつ、至近まで近付いたが、魔物として反応する気配はない。本当にただの樹か、さすがに死んでしまったかのどちらかだろう。
「珍しいなぁ、樹海で枯れ木に出くわすなんて」
 アベイがうなるが、正確には少々違う。たとえば、エトリア樹海の第四階層に生える木々はほぼ全てが枯れていた。だが、周囲の木々が健やかな中にあって、一本だけがこのような枯れ方をしているというのは、樹海の中ではこれまで見たことがなかったのであった。
 ……いや、一本だけではなかった。
 あまりに違和感がありすぎたので、遠目からは、それらが一本に見えてしまっただけだった。
 その樹を中心として、他にも数本の樹が、同じように枯れている。
「なんだよ、こりゃあ」
 さすがの傲慢不羈たるエルナクハも、背筋に寒いものを感じ取り、そう口にしたきり押し黙る。
 もうちょっと建設的な枯れ方をしないものか。変な表現だが、そんなことを思ってしまう。建設的というのは、つまり、枯れたは枯れたにしても、小動物のいい住処になってます、とか、倒れた枯れ木から次代の双葉が顔を出しました、とか、そういう、生命の螺旋を感じさせる枯れ方のことだ。目の前の灰色の木々からは、そういったものを完全拒否しているような、冷たいものを感じてしまうのである。もっと簡単にいうなら、そこだけ『世界樹の迷宮』ではない、異空間である、という違和感があるのだ。
 いずれにしても、一介の冒険者にどうにかできるものではない。
「……一応、メモ取ったわよぉ。帰ったらノルねぇちゃんやフィプトさんに訊いてみる?」
 暑さに由来するものではない汗を額に浮かべながら、マルメリが声を上げる。
 その言葉が、この場から離れる大義名分を与えてくれたような気がした。
 冒険者達は互いに何度も頷き合うと、枯れた灰色の木々がいきなり動き出したら嫌だ、とでもいうかのように、そろりそろり、と足を運び、その場を後にしたのであった。

 ところで彼らはすっかり忘れていた。
 自分達が、『気配のない魔物』を追っている途中だったということを。
 脇道から本道に最初の一歩を踏み込んだその時、北の方の至近距離に、何かざわりとした音声未満のものを感じ、冒険者達は顔を向ける。
 ちょうど、そちらからは、例のカボチャの魔物がにじり寄ってくるところだった。
「やっべ!」
 エルナクハが押し込むように仲間達を脇道へ戻らせる傍を、魔物は悠然と通り過ぎていく。
 しばらくは魔物が立てる、音とも言い切れない音が、冒険者達の耳に届いていたが、ある程度離れたところで、それもふっつりと途切れた。
 なるほど確かに、かなり近くにいれば、奴の立てる『音』でその存在が分かる。
 目視も可能だ。ちゃんと周囲を見ていれば、接近に気付く。
 だが……。
「磁軸計はどうですかえ?」
「ダメぇ。全然反応しないわぁ」
 焔華の問う傍でマルメリが溜息を吐く。
 磁軸計は、既踏地に存在する強力な魔物の気配を読みとって表示する。それが読みとれないほど、あの魔物自体の気配は微弱なのだ。凡百の雑魚の気配と錯誤しているのかもしれない。
 人間の感覚では、遠くの気配を捉えきれず、磁軸計も頼れない。そういう『敵対者』の存在も念頭に置いておかないと、気が付かない間に至近距離にまで詰め寄られ、手遅れということもあり得る。特に戦闘中は危険だ。目の前の相手に気取られ、『敵対者』の動きを掴む術は磁軸計頼りになる。それが頼れないとしたら……。
「……帰る、か」
 厄介な『敵対者』に、奇妙な立ち枯れの樹。いろいろと厄介事が増えた。一度気分を切り替えようとギルドマスターは思い、それに仲間達全員が賛同したのであった。

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