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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・4

 その日の夜、明け方からの探索に出なかった者達を中心として組んだ探索班が、闇に沈んだ樹海に足を踏み入れた。
 いつも通り、磁軸を使って第二階層に跳躍する。
 余談になるが、かつて磁軸の柱を聖騎士フロースガルから教えてもらった後、わき起こった疑問があった。エトリアでの場合、樹海入口側から各樹海磁軸に飛ぶための起点である光柱は共通で、触れたことのある跳躍先の光景が、光の中に緩やかに切り替わりながら映し出されたものだった。ひるがえってハイ・ラガードの磁軸の柱の場合、光の中には何の光景も見えなかった。それが何を意味するのかが謎だったのだ。
 が、五階で二本目の磁軸の柱を起動したとき、ようやく理解できた。磁軸の柱は一本しか起動できないのである。三階の柱にしか触れていなかった者と、五階の柱に触れた者、両方を揃えて樹海入り口に赴いても、後から触れた者の方が優先されるのか、五階にしか飛ぶことができなかった。
 行き先が常に一ヶ所ならば、光景を映し出して行き先を示す必要はない、と、磁軸機構の発明者は考えたのだろう。あるいは磁軸の流れそのものの性質で、跳躍先の光景が見えないのかもしれない。
 そして、樹海磁軸が起動した今、樹海入り口の起点はどうなっているかといえば。
 どうやら、『柱』と『磁軸』の起点は共通になっているようで、うっすらとした第二階層の光景を抱いた紫色の光柱と、何も移さない黄金色の光柱が、緩やかに切り替わりながら立ち上っている。
 起点の光柱が紫色に変わったとき、『ウルスラグナ』は光の中に飛び込み、磁軸の流れに乗って第二階層に辿り着いたのである。
 前衛にティレンとオルセルタ、後衛にフィプトとパラスとアベイという配置の彼らは、樹海磁軸のすぐ南にある丁字路を西へ向かった区間の探索を当初の目的としていた。しかし、その道がさほど行かずして行き止まりであると判明したため、結局、『昼の部』と同じ道を辿ることになったのである。
「せっかくだから、フィー兄にも直にアレを見てもらおうか」
 とは、アベイの弁。
「アレ、とは、妙な枯れ方をしてるっていう木々ですか?」
「ああ」
 環になっているかもしれないと思われる区域に踏み込む丁字路の傍で、例の、磁軸計に捕捉されない『敵対者』をやり過ごす。アベイを除けば、昼の探索から戻ってきた者達から話を訊いただけだったが、いざ実際に目の当たりにすると、気配がどうのこうのというより先に、その姿の奇妙さに声が出ない。
「なんていうか、『樹海ではなんでもあり』ってわかってても、蹴りたくなるわね」とはオルセルタの言葉。
 もちろん『敵対者』は油断ならない強敵、そんなことはしないが。
 それはともかくとして、現在の探索班一同も、昼の探索班と同様に、自らの気配が希薄な魔物を直に目にし、それが磁軸計に捉えられないことを実感し、近くにいるならば注意していれば存在を感知することはできる、ということを思い知った。今後、誰が探索班として樹海に入ったとしても、磁軸計に捕捉されない『敵対者』に翻弄されることは少なくなくなるだろう。実力行使はまだ叶わないとしても、『恐怖』を感知し、把握できる脅威へと落とし込むことは、冒険者が生き残るためには重要なことだ。
 件の魔物が目の前を通り過ぎた後、一同は丁字路を東へ辿る。
 この区間が環になっていることを実証するため、そして、実証が正しければ、立ち枯れの木々のある場所へと向かうには、東から向かった方が早いからである。
 しばらくは、時折現れるキノコやトカゲと矛を交える以外は、軽く話をしつつ、それでも油断なく歩を進める。防御に優れたエルナクハがいない分、前衛の負担は大きいが、フィプトの術式やパラスの呪詛が補助となり、つつがなく戦いを切り抜けることができていた。
 そして、問題の灰色に枯れた木々がある区間へ続く、脇道に辿り着いた。
 後方でパラスが喜声を上げたのは、彼女が記している迷宮地図の道が見事に繋がったからだろう。今まで歩いてきた道が予想通り環になっていることが証明されたのである。
 一同は脇道に入り込み、一路、立ち枯れの木々の下に向かった。
 樹海が闇に包まれている中、冒険者達が携える灯の中に浮かぶ、鮮烈な赤の広がり。そのただ中に現れる、生命なき灰色。
「これは……また……」
 フィプトは絶句した。
 彼自身には樹医の真似事はできないが、植物の病に関する知識は若干ながらある。しかし、目の前にある事態は、彼の知識外のものだった。
 立ち枯れた木々に、彼は、生命の循環から弾かれてしまった印象を抱いた。言ってみればエルナクハと同じ感慨に行き着いたわけなのだが、もともとハイ・ラガード人であるせいか、フィプトの思考はその先に続いた。
 ――まさか、このまま広がって、世界樹そのものを病に巻き込んでしまわないだろうか。
 幼い頃から、世界樹を神樹として見てきたフィプトには、信じられない話だった。数百年続くハイ・ラガードの歴史の勃興期から、この国をずっと見守ってきた世界樹が、病に朽ち果てるなんて。そもそも、『世界樹計画』とやらを考えた前時代の賢者達は、そういった病の対策を取らなかったのだろうか。否、取ったはずだ。数千年はかかる大計画の途中で、地球を再生するはずの木々が病で全滅したら、笑うこともできない話だ。
 ――ああ、しかし、すでに世界樹の『役目』が済んでいたとしたら、枯れ行くのも生命の宿命なのかもしれない。事実、世界樹には次々と虚穴が開き、それを世界樹の上に生えた木々が癒していっているような状態だ。だとしても、こんな『終わり』はありなのか? ただの病ならまだしも、こんな、得体の知れない状態になって枯れていくなんて。
 考えすぎかもしれない。この病は、あくまでも、迷宮にある『普通の木々』に感染するものであり、世界樹そのものには蚊に刺されたほどの被害すら与えないのかもしれない。それでも、放っておくのは大ごとだ。樹海内の産物はハイ・ラガードの貴重な資源。樹海の木々が枯れたら、それらにも大きな影響が出るだろう。
「……とりあえず、資料を採取しましょう」
 フィプトにはそう声を出すことしかできなかった。
 迷宮内でぽかんと立ちすくんでいても、意味はない。だったら、木片のひとつでも持ち帰って、ちゃんと調べた方がいくらか建設的だ。
「朝のうちに取って帰ってくりゃよかったかぁ」
 アベイがばつが悪そうに肩をすくめた。フィプトは首を振り、病の木の枝にナイフを入れながら返す。
「いいえ、こういう状態をちゃんと目にできてよかったです。資料だけだと、判ることに限りがありますから」
「そう言ってもらえると、気が楽になるけどな」
 軽く言葉を交わす間にも、切り取られた枝は、試験管の中に収まり、フィプトのウエストポーチにしまわれる。余談だが、フィプトは樹海の草花を資料として持って帰ることが今までにもあり、試験管などはそのために常備しているのであった。
「なんか、やなかんじ」
 立ち枯れの木々をまじまじと見つめていたティレンが、ぼそりとつぶやいた。エトリア樹海で生まれ育った少年にも、本能のどこかで、この事態に不穏なものを感じているのだろうか。
 女性二人もそれは同じようで、うそ寒げに互いの顔を見合わせている。
「なんていうか、呪いっぽいよね」とパラスが口にした。
「呪い、ですか?」
「ああ、本当に呪いってわけじゃないよ、フィーにいさん」
 呪術師の娘は首を横に振る。
「ただね、なんて言ったらいいのかな。無理矢理こんな状態にされちゃった、っていうか、ただの病気にしちゃ違和感ありまくりだなぁって。私の同業者おなかまがここらへん一帯呪いましたー、って説明した方が納得いっちゃう感じ」
「でもパラスちゃん、樹なんか呪って枯らしても、意味ないじゃない」
「そうでもないよオルタちゃん。作物を呪って枯らすのはカースメーカーの脅しの常套手段のひとつだよ。……まあ、私たちはやったことないけどね。『作物を枯らす何者か』を呪う豊作祈願の呪は、よく頼まれたけど」
「でも、世界樹の迷宮を呪ってもねー」
 苦笑い気味にオルセルタは続ける。
「迷宮が枯れたら冒険者もハイ・ラガードも困るけれど……いちいち迷宮を呪うより、公宮とかを直に呪った方が早い感じ」
「そうなんだよねー。ま、本当に呪いじゃなくて、それっぽい、って話だから」
「何にしろサンプル取ったんだから、帰ってから調べればわかるんじゃないか?」
 アベイの言葉に「それもそうか」と全員が頷いた。
 ともかくも今の『ウルスラグナ』にできることは、朝の探索と同様に、この場を後にすることだけだったのである。

 脇道の出口付近を、例のカボチャの魔物が通り過ぎていくのを、しかと確認してから、冒険者達は探索に戻った。
 環状であることを確認された道を、北回りに辿り、『昼の部』の探索班が到達したところ――小枝を踏む音で例の魔物に気付いたあたりだ――に辿り着いた。
 余談だが、経路の途中にあった抜け道――『昼の部』の際にナジクが気付いた、通れそうな茂みも、きっちりと調査した。これまでにも樹海内でいくつも見かけた、浮遊する箱があり、その中には誰が納めたのか剣が一振り入っていたのだが、それはオルセルタがありがたく使うことにしたのであった。
 さて、ここから先は、未知の区域だ。
 冒険者達は、これまでにも増して警戒を強めながら、紅の道を往く。
 木々の向こうを、数体の鳥が走っていくのが見えた。『外』のダチョウのような鳥だが、夜闇の遠目の中では、それ以上の姿形は判らない。今はまだ敵として出会っていないが、もしも人間に襲いかかってくるような類なら、その脚力は圧倒的な脅威になるだろう。
 ごくり、と誰かが唾を飲み込んだ。
 キノコやトカゲは、遅れを取る相手ではないが、それでも彼らが第一階層に巣くう生物とは段違いの強さを持つのはよく判る。あのダチョウのような鳥は、どれだけの力で自分達を苦しめてくるのだろう。
 鳥の群を遠目に見ながら、途中の脇道に入り込み、二十分ほど進むと、行き止まりに突き当たる。
 そこには、広大な平地が広がっていた。みずみずしい草花が、赤の暴虐から身を守ろうとするかのように群生している。闇によって和らげられているとはいえ、赤ばかりを見てきた冒険者達には、ほっとさせられる光景であった。
 もちろん、目に優しいだけではない。こういったところは採集にも適している。
 群生しているということは、その場が生育に適しているということ。生えている中から質のいい物をより分けられるということだ。人間の益になる物が、他の場所に生えていない、というわけではないが、乏しい資源を探し回るよりは、こういった場所で素直に入手した方がいい。無闇に取り尽くさなければ、生育に適した場のことである、また生えてくる可能性も高いのだった。
 草花の効能に若干の知識がある、アベイとパラスが、仲間達が差し出す灯の中で、群生を吟味し始めた。採集専門レンジャーのゼグタントには及びも付かないが、この群生地でどんな素材が手に入るかを検証する程度の能力は、冒険者にもある。
「見て見て、ミントがあるよ」
「こっちは苦艾ニガヨモギだ。薬に使えるかな」
 それは持って帰ってみないと判らない。ミントも苦ヨモギも、『外』では普通に手に入る代物で、並の薬の材料にはなる。しかし冒険者が求めるのは、もっと効能のいい薬(や武具)の材料になる素材なのだ。そのためには、これらの素材が、既知の物ではなく、新種――樹海固有種である必要がある。余談だが、エトリア樹海産の素材は(今はほとんど手に入らないが)、例えばミントなら『Mentha Etoriae』などという学名を付けられ、『外』のミントとは明確に区別されるとか。
「オルタちゃんオルタちゃん、帰ったらミントティ飲もう!」
 摘み取った痕から漂うミントの香に刺激されたか、パラスがそんなことを言う。
 しかし、どう見てもそこらの女の子めいたパラスの動きが、不意に止まった。その瞳に宿るのは、敵意を察知した戦士の相。それは他の仲間達にしても例外はなく、冒険者達は武器を取り、錬金籠手の起動機構に手をかけ、呪鈴を掴み、医療鞄の蓋を開ける。
 それにしても、敵意の主は何者なのか。『それ』を目の前にした冒険者達は、その分類に困った。
 『それ』は、どう見ても石像にしか見えなかったからである。
 大きさは人程度。伝説に謳われる、コウモリの翼を持つ悪魔のような容貌。世界に多数の信者を抱える一神教の神域では、番人として設置される、魔除けの石像。『それ』は、簡単に説明せよと請われるならば、そんな形をしていた。けれど石像が、古来から生命を繋いできた生き物のように動くものなのか。
 いや、よくよく思い出せば、『ウルスラグナ』は既にそのような存在に出会ったことがある。エトリア樹海のゴーレム。錬金術の、今では失われた技によって、おそらくは前時代に作られた、動く石像。何故迷宮内に存在するかは不明だが、前時代の技術の『生き残り』ではないか、と推測される。
 目の前の不思議な石像も、その類かもしれない。
 動作原理などは、興味が湧いた者がいずれじっくり調べればいい。今は、この敵からいかにして身を守るか、だ。
 迫りくる不思議な石像は一体。だが初見の相手だ、様子見、などという生やさしいことは言わず、全力で当たるべきだろう。
「ちょっと、剣とか斧とかは、効きにくそうよね」
 とオルセルタ。
「石相手じゃ、属性攻撃が効くかどうかも、謎ですね」
 嘆息しつつフィプトが返す。
「とにかく、全力で、殴るよ」
 ざらり、と足下の地面を踏みにじりながら、ティレンが斧を構える。
「力払いくらいなら、ゴーレムにも効いたから、こいつにも効くと思うけど……」
 やや懐疑的にぼやきながら、パラスが呪鈴を構える。
「みんな、無理するなよ」
 やや後方に下がってアベイが薬品をいくつか掴む。
 オルセルタとティレンは視線を交わし合った。大気を震わせる言葉なき意志が合間を飛び交い、百の言葉を連ねて説明するよりも明確な戦術を伝え合う。やがて、双方同時に正面を向き直り。
 同時に、地を蹴った。
 動き出したのは同時だが、身軽なオルセルタの方が速い。
 剣の刃が灯火を反射し、何かの属性の付与がされているかのように輝く。その白刃が、身を躱そうとする石像の表面を叩く。きぃん、と鋭い音がして、オルセルタは顔をしかめながら飛びずさった。
「……っ、やっぱ、関節狙わないと、きつい、かも」
 腕に伝わった衝撃を耐えながら、ダークハンターの少女は言葉を吐き出した。
 一方、ティレンは石像の前に立ち、気を引いている。その隙に、フィプトが錬金籠手に触媒を仕込んで、反応を発動させた。白化アルベドである彼が得意とする氷の術式が、石像に降りかかるが――しかし、効いている気配がない。些少なダメージくらいは与えたかもしれないが、それはオルセルタの剣が石像に与えた衝撃に比しても微弱なものだろう。
「氷は、だめか……」
 フィプトは歯ぎしりしながら新たな触媒をウエストポーチから探し出す。傍目からは判別しようがないが、それは地電石トルマリン琥珀エレクトロンを砕いて混ぜた術粉である。次は雷を浴びせるつもりなのだ。
 しかし、石像も黙って攻撃を受けたままではいない。
 その片腕がティレンを襲う。ソードマンの少年は斧の腹でそれを受け止めた。双方の膂力がぎりぎりと均衡するなか、オルセルタが背後に回って敵の弱点を探ろうとする。
 しかし、石像は、腕の力を抜いた。勢い余って転げそうになるティレンをよそ目に、もう片腕を伸ばしたのだ。
「え?」
 振り下ろされる爪の先には、呪言を唱えるカースメーカーの少女がいた。自分の顔に落ちかかる影に気付いたが、既に遅い。もっと早く気付いたところで、体術に明るくない彼女が避け得ようもない。
 頑丈な爪がパラスの身体を紙のように裂いていった。
 噴き出す血でローブをさらに濃く染めながら、カースメーカーは崩れ落ちる。
「パラスちゃん!」
「俺が助ける! 攻撃に専念しろ!」
 アベイがオルセルタを叱咤しながらパラスに駆け寄った。
 ためらいもなくローブを脱がすと、カースメーカー独特の、『忌帯』と呼ばれる戒めの帯布を申し訳程度に巻いた、裸同然の姿が現れる。その下にある皮膚は、首より上と両前腕を除いて、朱の刺青で覆われている。帯も皮膚も、石像の一撃で無惨に傷つき、血の臭いを濃く漂わせている。
 ここまでの傷は、いかに自己回復力を底上げするネクタルでも、癒しきれない。
 アベイは麻酔用の水薬をパラスに飲み込ませると、傷口にヒールゼリーを塗り込んだ。針と糸、そして己の手もゼリーに潜らせる。ヒールゼリーとは、メディックの間で使われる、止血や消毒の役を果たす薬だ。本格的な処置には欠かせない。
 第一階層での冒険の合間、アベイは、ネクタルに頼らず自分でも瀕死からの蘇生処置ができるように、研究に余念がなかった。樹海探索に常に同行する彼にとって、それは睡眠時間もかなり削るきついものだったが、メディックとしての情熱がその研究を支えたのである。キマイラ戦には間に合わなかったが、昨日――フィプトの見舞いをめぐる騒動があった日の夜に、努力は報われた。ハイ・ラガードで手に入る素材で、樹海での戦闘中でも満足できる時間と精度で、蘇生処理を行う目処が立ったのである。
 とはいえヒールゼリーは彼の研究ではない。古来からメディック達に愛用されていたものだ。その元型が、前時代の『世界樹計画』の副産物であることを、今のアベイは知っている。助けられない生命をひとつでも減らそうと、はるか昔の医師達や科学者達が情熱を傾けた成果が、何千年も後の世にも確かに伝えられているのが、嬉しかった。
「……所長先生、俺に力を貸してくれ……術式、開始!」
 エトリアでも経験があるとはいえ、久しぶりの処置に、アベイが緊張しながら挑もうとしている頃。
 前線では、後衛に手を出させまいとする必死の攻防が続いていた。
 翼を広げて威嚇する石像の動きは、鈍重なことを除けば、なまじの生き物以上に滑らかだった。
 斧を振りかぶろうとするティレンの動きに合わせ、翼を盾のように使い、その曲面で巧妙に威力を削ぎにかかる。ただでさえ効きづらい攻撃が、石の上に火花を一瞬散らすだけで終わってしまうのだ。それでもティレンは諦めず、怯むことなく斧を振るう。
 ほんの一瞬、石像の動きに異常があった。道具も使い続ければ『疲労』する。石像にもそれが当てはまったのだろう。ティレンの瞳はその一瞬を逃さなかった。決死の一撃が敵を捉える。その威力は、構造的な弱点を外れたというのに、衝撃地点を粉砕し、砂礫をばらまいたほどだった。
 関節が砂礫を巻き込んだか、石像の動きが目に見えてぎこちなくなる。
 そこを、ダークハンターの剣が突いた。
 オルセルタが狙ったのは首の根元だった。目の前の石像の駆動中枢がどこにあるかは判らないが、仮にも二足歩行の人型をしている以上、頭部が重要な役割を果たしている可能性が高い。そこに衝撃を与えて、一時的にでも活動不能状態――生物でいう『睡眠』状態に落とし込めないかと思ったのだ。
 残念ながら、そう上手くはいかなかったが、構造上弱いところを突かれた石像の動きがさらに鈍る。
 いける!
 飛びずさり、体勢を立て直したオルセルタは、勝利の光明を見た――そう思った。
 しかし、彼女が実際に見た光は、石像の目の奥に灯ったものであった。石像はオルセルタに顔を向け、口を開けたのである。そこから勢いよく、煙のような何かが吹き出し、オルセルタに浴びせかけられた。
「オルタさん!?」
「オルタ姉」
 フィプトとティレンが名を呼び、パラスの傷の縫合を手早く終えたアベイが声もなく見守る前で、オルセルタは倒れ――はしなかった。ただ、その場に凍り付いたかのように立ちすくむだけだ。
「……『石化』か……っ!」
 アベイが声を押し出すように呻いたとおり、オルセルタは『石化』の状態にあった。
 『石化』というが、実際に身体が石になるわけではない。身体組織が硬化し、五感が鈍り、ぴくりとも動けなくなるだけだ。しかし、自然治癒した例はなく、探索者全員が石化などしたら、生還は絶望的となる。無抵抗のまま魔物に殺される道を免れたとしても、何かの拍子で倒れたときに、打ち所が悪く死に至ることもあるかもしれない。何より、この状態でも意識はあるのだ。長時間放置されれば、確実に気が狂う。
「治せますかっ!?」
「悪い、今は無理だ!」
 フィプトの焦燥混じりの問いかけに、アベイは臍を噛む思いで返した。
 石化をはじめとする状態異常の特効薬として、『テリアカβ』というものがあるが、探索班は不注意にも、その薬の携帯を忘れていた。メディックの治療にも『リフレッシュ』と呼ばれる技術があるが、石化の治療はかなりの高難度、ものにするまでには時間がかかるだろう。そもそもアベイは、蘇生技術を優先して研鑽していたために、状態異常治癒技術はまだ樹海で実用できるものではない。
「コウ兄に頼まないと!」
 アベイのその短い叫びに含まれた、数多の意味を読みとって、フィプトは頷いた。
 コウ兄――ツキモリ医師に治療を頼むためには、帰らなくてはならない。帰るためには、この戦闘を終わらせなくてはならない。戦闘を終わらせるには、逃げるか、敵を倒すかだが、この状態で逃走を選ぶのは分の悪い賭けだ。ならば。
「ティレン君!」
 フィプトの呼びかけに、ソードマンの少年が反応し、石像の正面から退く。
 石像はティレンの後を追おうとし、目をそちらに向けたが、その時には、フィプトの術式は完成していた。
「喰らえっ!」
 術粉の反応によって励起した小規模の雷が、錬金籠手によって増幅され、掌の、魔物の目玉を思わせる噴出口から、紫電となって弾ける。それは狙いを外すことなく石像に絡みつき、そのエネルギーをもって、火も冷気も効果のなさそうな石を冒す。内部を走った電圧が、石像を動かす錬金術式か、あるいは未知の何かか、どちらかに致命的な影響を与えたのだろうか、石像はぐらりと倒れ、もがくように地を掻いた。
 そこにティレンの斧が、とどめとばかりに振り下ろされる。
 砕けた石片がばらばらと散らばり、石像は活動を止めた。
 安堵の息を吐いたのは、男性陣の誰だっただろうか。
「あいたたたた……」
 アベイに処置をされたパラスが、縫合された傷のあるあたりを押さえながら体を起こした。既にローブを羽織っていて、傷痕はよく見えないが、かなり重篤な傷のはずだ。痛み止めが処方してあっても、多少は痛いことには違いあるまい。しかし、パラスの頭からは自分の痛みのことなど吹き飛んでしまった。石化したオルセルタを目の当たりにしたからだ。
「オルタちゃん! ……っあっ! 痛い痛い痛い!」
「大声出すからだ、馬鹿」
 傷口をかかえてうめくパラスに、アベイは駆け寄り、傷が開いたりしなかったか確認する。
 その横ではフィプトがアリアドネの糸の起動準備を行っていた。これ以上の探索は危険きわまりない。一刻も早く帰還して、オルセルタの治療を薬泉院に頼まなくてはならない。パラスの傷も安全なところで再度見直す必要があるだろう。
 現れた磁軸の歪みに、ティレンとフィプトがオルセルタを運び込むのを確認し、二人の姿が消えるのを見ながら、アベイはパラスを肩に担ぎ、溜息を吐いた。
「今度は、状態異常の治療技術も勉強し直さないとなぁ……やることいっぱいだ」
 薬学研究自体は苦ではない。自分はメディック、誰かを癒したいと願ったからその道を選んだ。だが、前途に広がる『やらなくてはいけないこと』があまりにもたくさんあるので、どこから手を付けようかと考えあぐねていたのだった。

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