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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第二階層『常緋ノ樹林』――見よ、かの魔人を!・2

 笛鼠ノ月十二日。
 第一階層の最奥に座するキマイラを撃破し、一日かけてその疲れを癒した『ウルスラグナ』は、ついに第二階層に挑むことにした。
 先鋒を務めるのは、護りに特化したエルナクハと、治癒を担当するアベイ、『攻撃は最大の防御』を自負する焔華、樹海の危機を先んじて察知する能力に長けたナジク、そして、歌声で味方を鼓舞するマルメリである。ちなみに女性陣に関しては、昨日に口にした「あんまり『昼の部』に出てないヤツを入れてやりたい」という話を、ギルドマスターが実行したのであった。
「ハディードも、行ってくるぜ」
 中庭の片隅に設えられた犬小屋で寝そべる、樹海で拾った獣の子に、エルナクハは声をかけた。途端、獣の子は、ぴくりと耳を立てて目を覚ますと、うう、と低い声でうなり、牙を剥く。
 人間に敵意がないというのを悟ったか、牙はすぐに引っ込めたが、その瞳と、尾の動きは、ハディードがまだ警戒していることを如実に現している。
 昨日の今日である、ハディードはまだティレン以外には慣れていない。
「まあ、時間をかけるしかないし」
 と、苦笑いを浮かべて焔華が評した。
 ちょうどその時、生肉を盛りつけた浅皿を持ったティレンがやってきた。
「ハディード、ごはん」
 唯一心を許す相手を認識した獣の子は、きゅうきゅうと鳴き声を上げて甘えにかかる。
 探索班一同は、少年に手を振りながら私塾を後にした。
「ジークが一生懸命、育て方を教えてたよなー」
 私塾の方を振り返りながら、アベイが感心した面持ちで口にした。
 レンジャーの青年は、獣の子を連れ帰ってきた後、ティレンに懇々と狼の育て方を伝授したものであった。曰く、狼の習性を持つ相手には、こちらが上位であることを認識させよ、曰く、己が親であるという愛情をもって接せよ、曰く――万が一、ハディードが私塾の子を害する様な事態が起きたら、ティレン自身の手でけりをつけよ――。
 どちらかというと、育て方よりも、その際の心がけを叩き込んでいたようなものだ。今のところ、ティレンはその教えをしっかりと心に刻みつけているようだった。
 さておき、自分達の今の役目は樹海探索である。
 世界樹の迷宮入り口に辿り着いた探索班一同は、心を切り替えると、内部に入り、五階にある磁軸の柱へと飛んだ。

 一時間ほどを掛けて、百獣の王が支配した魔宮に辿り着いた。
 王が権勢を誇っていた時の、月なき夜の静寂は、冒険者達を圧迫し、その心に恐怖という毒を注ぎ込むかのように広がっていたものだった。だが、夜明けの光の中に広がる光景はどうだろう。下草は貴人を迎える緑の絨毯のように柔らかくそよぎ、朝露が、縫い込まれた宝石の様に光を宿す。広場を取り囲む様に生える木々はそのまま柱にたとえられる。点在する瓦礫の山すら、それが完璧な姿であった日の幻影をほのかに映し出す。
 前々夜の激闘の痕は、他の生き物に食い散らかされたキマイラの屍と、周囲の下草に跳ねた血の痕跡、王が炎を吐いたときに焦げた跡、それくらいだった。
 冒険者達が王の屍に近付くと、その陰から、小さな生き物が顔を出し、慌てふためいて逃げていった。口にくわえていたのは、王の腐肉だろうか。
「王サマも死んじまったら無惨なもんだ」
 漂う腐臭に眉根をしかめながら、エルナクハはつぶやいた。
 この腐臭の元が自然消滅するには数日かかるだろうが、実際には、じきに他の生き物がきれいさっぱり骨だけにすることだろう。
「ねぇ、エルナっちゃん達が持って帰ってきた『おみやげ』って、こいつの尻尾、って言ったわよねぇ?」
「ああ、そうだよ?」とマルメリの問いに答えたのはアベイである。
 戦いの後で、キマイラの身体から持って帰れた素材は、それだけだった。翼は硬くて取れず、他の部位は、ことさら持って帰らずともいいようなものだったのだ。ちなみに今なら根元が腐っているので外れそうな翼だが、翼自体も腐り始めているので意味がないだろう。
 さらに余談だが、キマイラの蛇尾は、その骨と皮を加工されて優秀な弓となり、ナジクの手に納まっている。おかげで探索費用は限りなく空であった。またゼグタントに売却用素材の採集を頼まなくてはなるまい。
 冒険者達はキマイラの屍から意識を外し、その先、魔宮の北のはずれを見た。
 もはやお馴染みとなって、存在自体に疑問を抱かなくなってきた、大きな扉がある。その向こうには、細い道が真っ直ぐに延び、さらに先に、扉ほどではないが見慣れた、かっちりとした石組みの機構があった。階段である。石造りの建造物の内部に設えられた形のそれは、この樹海がハイ・ラガードの人間達に発見されるより遙かに昔から、知恵持つ何者かが、樹海に関わっていたという証左になりうる、人工物。
 ご丁寧にも、それが上りか下りかを示す文様まであるのだ。もちろん、ハイ・ラガードの探索者が設置したものではない。
 目の前の機構に備え付けられている文様は、上りを示している。
 満足げに頷いて、階段に最初の一歩を踏み出そうとした冒険者達は、異変に気が付いて首を傾げた。
「……なんだ、この色……?」
 階段上方の壁が、赤く染まっていた。
 その壁に伸ばした手や武具までもが赤く染まり、しかし、引っ込めたときには元に戻っているところからすると、上方から赤い光が差し込んでいるらしい。たとうなら、夕焼けや朝焼けの光のような。だが、朝焼けの時間はとうに過ぎた。
 では、何が、と考える冒険者達の下に、上方から、ひらり、ひらり、と何かが舞い落ちてきた。
 焔華が手を伸ばしてそれを受け取り、正体を確認すると、嬉しそうに顔をほころばせる。
「あら、紅葉」
「へえぇ」
 おそらくは、第二階層の入り口付近に紅葉があり、その反射光が階段を染めているのだろう。
 よくよく見ると、階段にも、紅葉の葉が降り積もっている。
 紅葉そのものは決して珍しくない。
 が、『外』は今は夏。木々は緑濃く、未だ色づく気配はない。
 秋になれば、あちらこちらに赤く色づく樹木が点在し、その下で酒宴が開催されることもままあるだろう。エトリアにいた時も、ちょうど第三階層に挑んでいた頃だろうか、仲のいいギルドを誘って、紅葉の園で酒宴としゃれ込んだことがある。名目上は、無茶をして重傷を負い、しばらく施薬院に入院していたエルナクハの、快方祝いだったが。やはりその時のことを思い出したか、焔華が通る声で吟じ始めた。
「秋深まれば、に紅葉、長尾の鳥も、羽染めて……」
「冬来たりなば、雪景色、寒気にこごる、氷酒……」
「春麗らかに、花見酒、桜散る散る――」
 焔華の後を継いだマルメリに倣い、さらに続きを吟じたエルナクハだったが、一旦口を閉ざし、疑問を呈した。
「夏の酒って何だっけ?」
「わちの唄ったのなら、蛍酒ですし」
「おう、そうだったそうだった。まあ、いい景色見ながら飲めるなら、蛍でも月でも川でもいいや」
「メディックとしちゃ、飲み過ぎはだめだぞー、と言っておくぜ」
「ドクターストップが入りましたえー」
 わいのわいのと(ナジクを除いて)騒ぎながら、ひらひらと落ちてくる紅葉の中、階段を上り行く冒険者。
 やがて、ぽっかりと口を開けた階段出口が見えてくる。その向こうには、予想通りの紅葉の立木が――。
「うわ!」
 誰もが驚きの声を上げ、目の前に広がる光景に意識を奪われた。
 予想以上であった。
 そこにあったのは一面の紅。見渡す限り、真っ赤な葉を茂らせた樹ばかりが立ち並び、見事な紅葉の園を作り出していた。天を見上げても、延々と連なる朱が、空の彼方の白霞に消え行くまで続いている。地を見ても、ところどころで舞い落ちた紅葉が土を覆っている。どこまでも、赤に支配された領域が広がっている。
 不意に、ナジクがくらりと身を揺らがせ、それにいち早く気付いた焔華が、その背を支えた。
「大丈夫ですし、ナジクどの?」
「……すまん、驚かせた」
「おい、顔色が悪いぞ、どうしたんだ!」
 アベイが血相を変えるのを、軽く片手を上げて制することで落ち着かせ、ナジクは周囲を見て目を細めた。
「何でもない……と言っても信じないか。――すまん、あまりにも赤が鮮やかで、あたりが燃えさかっているように見えた……」
「いっぺん帰るか?」
「いや、少しだけ休ませてもらえれば、問題ない」
 というナジクの言葉を踏まえて、『ウルスラグナ』は休息を取ることにした。敷物ラグを敷き、簡易的な獣避けを連ねた縄を張って、野営所と成し、そこにナジクを横たわらせる。アベイが介抱に取りかかり、残る三人が見張りに立った。
「エルナっちゃん、ほのちゃん、あれ見て」
 ふと、マルメリが声を上げて前方を指す。
 エルナクハと焔華が、何事かと指先を辿ると、果たしてそちらの方向には、エトリア探索経験者には馴染みの物があったのだった。
 それは樹海磁軸であった。
 ハイ・ラガード樹海でこの場に至るまでに、三階と五階で見付けてきた、磁軸の柱と、似たような働きをする仕組みである。
 形はほぼ同じ。外見から違うところを捜すとなると、樹海磁軸から吹き出す磁軸の流れの色が紫色である、というあたりしかない。しかし、樹海側からは磁軸の流れに乗ることができない柱と違って、樹海磁軸からは糸を使わずして街に戻ることができるはずだ。やはり、一度戻るべきか。
「涼しいな」
 ふと、ナジクが天を仰ぎながら口を開いた。
「そうだな」
 何気ない返事としてエルナクハは答えたが、確かに涼しい。第一階層が、比較的過ごしやすいとはいえ夏そのものの気候だったことに比すれば、今いる第二階層の気候は、夏の熱をほのかに残しながらも、冬に向けて風が冷たくなっていく、秋のそれである。
「本当に燃えているなら、こんなに涼しいはずもない……か」
 それは自分の心に決着を付けようとした言葉だったのか、ナジクは眉間を軽く揉みしだき、上体を起こす。
「無理するなよ」
「もう大丈夫だ」
 慌てて制止しようとするアベイに、ナジクは頷きながら答えた。
「そろそろ出発しよう。昨日のうちに何組ものギルドがここに踏み込んだらしいから、遅れを取るわけにはいかないだろう」
「……そうだな」
 正直、ナジクの様子は心配でないとは言えない。だが、彼とても冒険者ならば、己が冒険を続けられるか帰還するべきかの判断はできるはずだ。誤れば、最悪、全隊崩壊に繋がるその判断を、ナジクが偽るはずもないだろう。ゆえに仲間達はレンジャーの自己申告を全面的に信じることにしたのであった。

 樹海磁軸に銘々が軽く触れた後、『ウルスラグナ』はさらに先に進んだ。
 空気さえ紅く染めていそうな、鮮やかな紅葉が、迷宮の壁となって、どこまでも続く。時折、はらはらと地に散り落ちて、緋毛氈のような堆積となる。紅葉樹の幹は、緋色の闇の中に埋もれ、ともすれば存在自体を忘れてしまいそうだった。
「……って、ちょっと待ってぇ」
 間延びした声でマルメリが仲間達を止めた。
「ほら、これ。樹じゃないわぁ」
 吟遊詩人の女性が、扉をノックするかのように、こつこつと叩く樹の幹。
 それは確かに幹ではなかった。
 その実体は、明らかに人の手が入った、細い塔のような建造物。形に様々な違いはあるけれど、総じて似たような風情の装飾を施され、天を突けよとばかりに高く伸びている。茶色い石でできていて、それがさながら保護色のようになり、紅葉の中に紛れると、樹の幹のように見えたのだ。
 第一階層の人工物とは、まるっきり違う文明に属するような、異質な建造物。……否、第一階層の方が異質なのか。それは冒険者達には判断が付かない。ただ、同じ集団が双方を作ったとは思えないのは、確かである。
「随分と精緻な細工をしとりますわ……」
 感心した声を出し、焔華が柱を睨め回す。
「現在の文化では不可能、とまでは言えないが……やはり、前時代の産物と言うべきか?」
「どうだろうなぁ」
 いずれにせよ、年月相応の崩壊具合を見せていた第一階層の人工物とは違い、柱群は、若干の風化が見られるだけで、未だに堂々たる佇まいを見せている。建築方法の違いも影響しているのかもしれない。
 残念ながら、現探索班には、それ以上を類推する力がない。
 小難しいことはアルケミスト達に任せよう、と結論づけて、冒険者達は先を目指した。

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