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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


間章一――狼は証言できない・3

「子供? フィプト先生のところの生徒さんでしょ? 来てないわねぇ……」
 先程、黄色い花束を買った店の、若い女性店員が、目を閉じて記憶を辿りながらそう答えた。ハイ・ラガードは小さきといえども一国、花屋は他にも何件かあるかもしれないが、私塾と薬泉院に一番近いのは、今いるところのはずだ。もっとも子供のことである。なにか、成長した者には理解できなくなってしまった理由で、別のところに行ったのかもしれない。
 『ウルスラグナ』がほとほと困り果てていると、横合いから声を掛けてくる誰かがいる。
「フィプトさんところのちっちゃい生徒さんなら、さっき見たわよ」
 その中年女性が指した方向に顔を向け、冒険者達は、かすかに嫌な予感を感じた。
 指差された方向は、街壁の外に通じている。
 もっとも、途中で分かれ道も何本もあるから、必ずしも街壁の外に出たわけではなかろうが。
 仮に、外に出たとしたら。
 エルナクハは、ラベンダーのクリームクッキーに顔をほころばせるフィプトを思い出した。
 女性に示された道を辿り、街壁の外へ出ると、その先は、世界樹の根元に寄り添うように建造された下り階段。ずっと降りていくと、低地帯に辿り着くことになる。世界樹の枝の影響下を離れ、季節問わず日の光が当たる大地には、畑が延々と広がっている。麦もある、砂糖大根ビーツもある、そして、ラベンダーの畑もある。ひょっとしたら子供達はラベンダー畑に花をもらいに行ったのか。花屋にもラベンダーはあるが、香りの良さなら摘みたてには敵うまい。
 ちなみに、低地帯の畑の中を通る道を馬車で一時間ほど行くと、ハイ・ラガードの港に辿り着く。ハイ・ラガードの生活に欠かせない生命線のひとつだ。パラスのはとこが送ってくれる手紙も、この港を経由してやってくる。料金はかさむだろうが、陸を行くより少しばかり早い。『ウルスラグナ』も、センノルレが妊娠していなかったら、きっと船を使っただろう。
 さらに余談になるが、件の道は、世界樹の迷宮に入る時にも通る道。下り階段の途中で、低地帯へ行く階段の続きと、迷宮入り口に繋がる舗装された道に、分岐する。
 自分達が危地に赴くために使う道なものだから、必要以上に過敏になってしまったのだ。
「一応、行ってみる? 街の出口にも衛士さんいるから、子供がラベンダー畑に行ったなら見てるでしょうし」
 オルセルタの提案に、エルナクハは安堵しつつ頷いた。
「そうだな。畑なら、すっ転ぶ以上の危険はねぇと思うけど、一応見に行くか」
 冒険者達は道沿いに歩きだした。少しばかり浮かれているような感じもするのは、焔華以外のメンバーは街の外に出るのが久しぶりだからだ。ここ一月強の間、私塾と街中と世界樹の迷宮とを行き来する毎日で、低地帯も、ラベンダー畑も、街の見張り塔から見ただけだった。その生活が退屈だったわけではないが、いつもとちょっと違った経験をするのは、ささやかなものであっても、心が弾む。昨日の哀しみも、ラベンダー色のハンカチで少しだけ拭われた気分になる。
 ……それがさらなる騒動に繋がることを、この時点では、さしもの『ウルスラグナ』も予見できなかったのだった。

 生徒のことに関する第六感は、さすがにフィプトの方が、他の『ウルスラグナ』メンバーの上を行くようだ。
 金髪のアルケミストの次に、異変に気が付いたのは、さすがというべきか、レンジャーのナジクである。
 道すがら人々に問いかけ、やはり子供達は街の外に向かったと確信した一同は、下り階段を半ばまで制覇し、ちょうど、世界樹の迷宮入り口へ繋がる道が分岐するあたりまでやってきていた。しかし今日は冒険の日ではない。何気なく、ちらりと視線を投げかけただけで、すぐに前に向き直り、冒険者達はさらなる下方に足を踏み出した――ナジク以外は。
「ちょっと待ってくれ」
 レンジャーが静かに出した声に、一同は足を止めた。
「どうしたの、ナジクにいさん」
 パラスの問いかけには答えず、ナジクは迷宮へ繋がる道へと向かう。
 遺された一同は面食らったものの、レンジャーが意味もなくそんな行動を取るとは思えない。踵を返して自分達も仲間を追う方に足を向けた。
 ナジクは、階段からさほど離れていないところ、石畳で舗装された道の縁で跪いている。どうやら、未舗装の地面を凝視しているようだった。一同が邪魔をしないように静かに近寄ると、気配を察したか、顔を上げて振り返った。
「……まさか、な?」
 エルナクハが冗談めかそうとするも、ナジクの表情は極めて真剣。
「そのまさか、だ。絶対、とは言い切れないが」
 ナジクが指差す地面に何があるのか、仲間達にはさっぱり判らない。それが足跡だと聞かされて、言われてみればそう見えるかもね、と頷くことができる程度だ。
 むき出しの土の上に刻まれた、ほんのかすかな、小さな足跡。
 ナジクに示された足跡の大きさは、まさに子供の足のそれだ。
 ナジクが『絶対とは言い切れない』というのは、樹海に近付く子供が他にいないわけでもないからだった。
 幼い頃からレンジャーとしての手ほどきを受けた子供が、樹海に入って素材を持ち帰ることがある。ゼグタントのように冒険者に雇われているのではなく、自分達の生活の糧として採集に勤しむのだ。もちろん、獣避けの鈴があっても危険には違いなく、時には痛ましくも生命を落とす子供もいるそうだ。
 また、稀な話だが、冒険者の中に幼い子供が加わっていることもある。特に、身体能力にあまり左右されない、カースメーカーやメディック、アルケミストといった『天才児』が、ごくたまに冒険者として活躍しているのだ。その他の職業にもいないわけではない。
 しかし、ここは『最悪』を考えて行動するべきだろう。そうエルナクハは判断した。
「ガキどもは樹海に入ったっていうのか?」
「可能性としては、かなり高い」
「……さすがに、見張りの衛士が止めないか?」
「衛士がいないところから入ったかもしれない」
「……やっぱり、そう来るか」
 世界樹には正規の入り口である正面扉の他に、非正規の入り口である虚穴が多数存在する。むしろ、ハイ・ラガードにとっては、そちらの方が馴染み深い入り口だろう。正面扉の開通はせいぜい数ヶ月前の話、それ以前の探索は虚穴を通って行われていたのだから。だが、『ウルスラグナ』が知る限り、今現在、迷宮内部に通じる虚穴はなかったはずだ。
 ――否、それを確認したのも一月以上前の話だ。正面扉がある以上、虚穴を通る必要はないから、それ以降は気にも留めなかったのだが……もしもその間に、世界樹内部まで貫通した虚穴ができて、何かの弾みで子供達がそれを発見していたとしたら……。
「ナジク、世界樹のまわりを調べて、虚穴を見付けられるか」
 レンジャーは無言で頷いて、世界樹の下に走る。
 エルナクハは背後を振り返り、妹とソードマンの少年に呼びかけた。
「オルタ、ティレン、オレの盾とみんなの武器とユースケの薬のカバンを頼む。あと獣避けの鈴のあまりもだ」
「わかったわ」
「ん」
 ダークハンターとソードマンは、身を翻して階段を駆け上っていく。
 残された一同は、気分転換に近いつもりだった心持ちを改め、世界樹を睨め付けた。
 まさかこんなことになるとは思いもしなかった。
 子供達がなんで世界樹に潜ろうなどと考えたのかは判らない。だが、戦う力のない者など、魔物に目を付けられたら、生命はないと思ってもおかしくはない。自分達が初めてハイ・ラガードの世界樹に潜ったときのことを考えて、誰もが焦っていたのだ。

 オルセルタとティレンが指示されたものを抱えて戻ってきた頃、ナジクが呼ぶ声がしたので、一同はそちらの方に足を早めた。
 レンジャーの青年がいたのは、正規の入り口から右手方面に回り込んだあたりであった。街の土台となる石組みに囲まれているために薄暗く、ナジクの足下に何かがいるのが、すぐには判らなかった。
 程なくして正体が判明したそれは、数人の子供であった。どの顔も私塾の生徒だ。
 しゃくり上げるように泣いている子供達は、駆け寄ってくる冒険者達の姿を認めると、ひときわ大きな声で泣き出した。それだけではなく、うわごとのように叫んでいるのだ。ごめんなさい、ごめんなさい、と。
「ひとしきり叱っておいた。事情は子供達から聞け」
 ナジクは手短にそう言い残すと、オルセルタとティレンが抱えている武器の中から自分の弓矢を取り、金色の髪をなびかせて、するりと姿を消した。
 すぐ傍に、大人ひとりが容易く潜り込める虚穴が口を開けている。レンジャーはその中に身を滑らせたのだ。仲間達が呆然と覗き込むが、その穴は途中で詰まっている『はずれ』にしか見えない。ところがナジクはしゃがみ込み、するするとその身を闇の中に溶け込ませたのである。なるほど、どうやら奥の方に、狭い口が開いて、内部に続いていたらしい。
 一人では危険だ、と言いたいところだが、そんな斟酌しんしゃくをしている余裕はなさそうだった。子供達の泣き様は、ただごとではない。
「誰がまだ中に残ってる!?」
 エルナクハは核心を突いた。ナジクと子供達の様子を鑑みて、まだ樹海の中で問題が発生している可能性を導き出すのは、息をするより簡単だったのだ。ならば、どうして樹海に潜ったか、などと問うてる余裕はない。
 思った通り、子供達は泣きながら、三人の子供達の名を上げた。その中には、午前中の授業でエルナクハに教科書を見せてくれた、ルバース少年の名もあった。
「エルナっちゃん……」
 ついに大泣きをし始めた子供達を抱き締め、とんとんと背を叩いてあやしながら、マルメリが問いかける眼差しを向ける。
 エルナクハは仲間達を一瞥し、即断した。
「オルタ! ほのか! ユースケ! ティレン! 付いてこい! 中でナジクと合流する」
「わかったわ!」
「はいな!」
「ああ!」
「ん」
 呼ばれた者達は、自分の武器を手に取って、虚穴へと足を向けた。
 エルナクハがこの四人を選んだのは、決して当てずっぽうではない。この危機に際して素早く行動できる人員が必要だと考えたのだ。アベイは万が一に備えて必要だが、戦闘補助を主に担当するマルメリやパラスには、どちらかといえば残った子供達の相手をしてもらった方がいいだろう。
 ところで、先行したナジクを含めれば、樹海に潜る冒険者は六人ということになる。樹海探索としては例外的な人数構成だ。もちろん、磁軸計には五人しか『登録』できないから、それと連動するアリアドネの糸は使えないし、『登録』していないナジクの居場所も判らない――『登録』は、前日のキマイラ退治に赴いた者達の分がされたままなので、ナジクの居場所は掴めないのである。
 もともと子供達のことを考えれば過剰人数になるのは予想できたから、磁軸計も糸も持ってくるようには言わなかったのだが、気を回したのかオルセルタは両方を持ってきたらしい。とりあえず、この場にいて樹海に潜る五人の『登録』をし直すことにした。少なくとも現在地を知る助けにはなる。
「……行くぜ!」
 エルナクハの気合いの入った声に、残る四人は頷いて、狭い虚穴を次々と潜っていく。
 鎧がなくてよかった、とつぶやいたのは、ティレンのようだ。確かに鎧まで身につけていたら、この穴は通れなかっただろう。
「気を付けてぇ、みんな」
「頑張って!」
 残された二人の励ましの声と、子供達のしゃくり上げる声が、樹皮に阻まれ、か細くなって聞こえた。

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