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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


間章一――狼は証言できない・2

 年少組の授業が終わり、子供達が騒ぎながら自宅への帰路に就く。頃合いとしては、ちょうど昼飯時である。
 食堂に集まった『ウルスラグナ』一同は、用意された食事にこぞって取りかかる。余談だが、ゼグタントはこの日も採集依頼があったために私塾にいない。
 この日の食事当番は焔華とティレンだった。
 ティレンは朝から自室に引き籠もり、窓から外を見て、ふさぎ込んでいた。しかし相応の責任感を持ち合わせているこの少年は、自分が食事当番だったことを思い出すと、すぐに厨房に飛んできたのであった。とはいえ、立ち直ったわけではない。昼食を口にするティレンは、覇気というものをクロガネと一緒に樹海に埋めてきてしまったようだった。彼も冒険者だから、『死』というものには慣れているのだが、さすがに昨日の出来事、特に目の前でクロガネが息を引き取ったことが、ずいぶんと堪えたのだろう。
「なあ、ティレン」
 あらかた昼食が片付いたところで、アベイが口を開いた。
「おやつの時間になったら、フィー兄のところに見舞いに行かないか?」
「せんせいの、ところ?」
 ティレンは緑色の瞳をまたたかせながらアベイに向き直った。
 実のところアベイが行いたかったのは「ティレンを気晴らしにどこかに連れて行くこと」で、それがフィプトの見舞いである必要はなかった。だが、ティレンが頷いて身を乗り出すので、アベイはそのまま薬泉院へ行く話を続けることにしたのだった。
「ああ、花買って、軽いおやつ買って、薬泉院にいこう」
「あ、オレも行く」
「アタシもぉ」
「わちも行きますえ」
「わたしも行っていい?」
「私も、私もっ!」
 即座に数本の手が挙がった。
「お前たち、おやつ食いたいだけだろ!」
 アベイは後から手を上げた面子を切って捨てたが、もちろん冗談で言っている。
 手を上げなかったのはナジクとセンノルレである。センノルレはこの後も授業があるから私塾を離れるわけにはいかない。ナジクは仲間の危機以外の万事に関して関心が薄い傾向があるが、今は単に、皆が手を上げたから、療養中のところに必要以上の団体で行くわけにもいかない、と判断したからだろう。
 アベイは少しの間、考え込んでいたが、
「ま、いいか」と結論づけた。
「この際、ノル姉以外の全員で行こう。別に病室で騒ぐんじゃないんだ、問題ないだろ」
「やった!」
 妙に大騒ぎするのは女性陣。いつもならこの中にティレンが紛れているのだが、斧使いの少年は、この日ばかりは、憂いの混じった笑みを浮かべて静かに頷くだけだった。

 大人数で連れ立って薬泉院に向かう『ウルスラグナ』の手には、黄色い花を主体にした花束と、分厚い漉紙で作られた袋。袋の中に入っている焼き菓子は、シトト交易所の娘から、おいしいと推薦された、菓子店のものである。錬金術の実験で『アイスクリーム』など作ろうとするぐらいだ、適度に甘いものは嫌いではあるまい。
 上を向けば世界樹の枝――ではなく、『別の樹』もあるのかもしれないが――が茂っている。
 枝が密集する高さのおかげか、今は日照に致命的な影響はないように思われるが、やはり季節によっては朝から晩まで日陰ということもあるそうだ。数年に一度は枝を払うために『枝打ち』が樹の外側を登るらしい。さすがに、ほとんどの枝が茂っているあたりまで登るのは自殺行為、比較的低位置にひょっこりと生えてきた枝を払う程度なのだが、それでも足を滑らせた『枝打ち』が墜落死することもよくあるのだという。『枝打ち』が落ちなくても、払われた枝をうっかり落としてしまうこともある。世界樹と共に生きるのも、なかなかに気苦労があるのである。
 それでも人々が世界樹の下で生きるのは、その加護を信じているからだろうか。現実問題として、世界樹からほどほどに離れたところ――世界樹の加護が届き、なおかつ日当たりのいい場所は、畑として使われているということもあるだろう。人間はどこかへ日光に当たりに行けるが、作物はそうもいかない。
「マンドレイクみたいに歩ければ、また別なんだろうけどねぇ」
 とマルメリが言ったものだが、それは想像するだに恐ろしい光景。作物は作物らしくおとなしく大地に埋まって、日の光を浴びて食べ頃まで大きくなってほしいものだ。
 昼下がりのハイ・ラガード中央市街のあちこちには、冒険者の姿が散見される。この街を訪れたばかりの頃からの、お馴染みの光景だ。エトリアでは見なかった、ドクトルマグスやガンナーといった者達にも、珍しさを感じなくなった。すでにどこかしらのギルドに属している者ばかりで、残念ながら『ウルスラグナ』に迎え入れることは叶わなかったが。
 そんな彼らを横目に――顔見知りの者とは軽い挨拶を交わしながら――『ウルスラグナ』はようやく薬泉院に着いた。
「はい、どうしましたか。怪我ですか、病気ですか――ん、あなた方は」
 薬泉院に常駐する治療師ツキモリは、医師としての決まり文句を言いかけて、相手が何者かに気が付くと、ほっと表情を緩める。
「探索は順調のようですね、ご無事で何よりです」
「順調も無事も何も、今日は探索はお休みなんだよ」
 アベイが苦笑気味に返すと、ツキモリは気まずそうに後頭部を掻きながら笑んだ。
「そうでしたか、すみません……でも」
 ふと、治療師の表情が引き締まる。
 瞳の中に潜むものが、真っ直ぐに冒険者達を見据え、視線を逸らすことを許さなかった。
「あなた方がキマイラを倒したおかげで、何人もの冒険者が上階に登っていったそうですが、そういった人たちが大怪我をして、ここに担ぎ込まれてきてるんです。あなた方も、新たな階に挑むときは、充分に注意してくださいね。フロースの宿の女将さんも、ここにおいでになったとき、あなた方のこと、随分心配しておいででしたから」
「あの女将さんが?」
 冒険者達はフロースの宿の女将――恰幅のいい、中年の女性のことをのことを思い起こした。いささかふくよかすぎるきらいはあるが、総じて健康そうな彼女が、薬泉院を訪れる、という状況が、どうも頭に浮かばなかったのだ。あるいは、何かよからぬ病を密かに抱えているのだろうか。
「ああ、ご心配なく。娘さんの定期検診ですよ」
「あ、なんだ」
 ほっとしつつ答えてから、冒険者達は、本来の訪問の理由を告げた。
「ああ、フィプト先生のお見舞いですか」
 ツキモリ医師は納得したかのように何度も頷いた。
「さっきも、私塾の年少の子たちが何人も来てましたよ。後でまた花持ってくる、とか言ってましたっけ。かわいいものです」
「フィプトさんは随分と人望があるのねぇ」
 とマルメリが感心の声を上げる。ツキモリ医師は大きく頷いた。
「四年ほど前に、『共和国』のアルケミスト・ギルドからお戻りになられて、昔の市街拡張時の作業員の宿泊所をお借りして、私塾を開かれましてね。読み書き算術そろばんはあらゆる知識の基礎ですから、あの先生はハイ・ラガードに大きく貢献されてるわけです。この薬泉院のメディックの中にも、かつて先生に学んだ者は多いのですよ」
「なるほどなぁ……」
 エルナクハは感心してうなった。知識を授ける者は畏敬の対象になることは間違いないだろうが、それと、生徒から慕われるのとは、大きな違いがあるはずだ。例えばエルナクハ自身の父親――彼が息子にしたような、すぐ拳が飛んでくるような教え方では、萎縮する者も多いだろう。もっとも父は、相手が息子だからそういう教育をしていたわけで、誰彼構わず鉄拳を浴びせるわけではないが。そんな極論を持ち出さなくても、教師として尊敬されることと、人として好かれること、この均衡はなかなかに難しい。さしあたって自分の義弟にあたる人物は、うまくやっているようである。思えば、迷宮三階で惨禍に巻き込まれた衛士も、かつての恩師のことを信頼していたではないか。

 見舞いに持ち寄った菓子の中に、花の香りをかすかに漂わせるクリームを挟んだものを見付け、フィプトはほころんだ。
「ラベンダーのクリームクッキーですか。大好きなんですよ。自分で作ろうとすると、香りが濃くなり過ぎてアレなんですが」
 ラベンダーはハイ・ラガードの名産品のひとつである。主に香水や薬草茶の原料として広く栽培されるその紫色の花は、郊外の広大な畑で栽培されていた。ちょうど『ウルスラグナ』がこの国を訪れたばかりのころが開花の最高潮だったのだが、今の時期も、遅咲き品種が絢を競って咲き誇っている。物見の塔から日当たりのいい畑を見回すと、紫色の紗を大地の女神に纏わせたかのような光景が広がっているのである。
 薬としての効能も大いにあるこの花を、アベイがよく買い込んで薬品調合に使っていた。彼の部屋に近付くと、花の香りが濃く漂っていることもよくあるのだ。
わらしたちも、もう少し待ってれば、相伴に預かれたんになあ」
 積み上げられた焼き菓子の中からひとつを失敬して、焔華が悪戯っぽく笑声をあげた。
「何人来たかわからないけど、子供たちにもあげちゃったら全部なくなっちゃう」
 同じく、くすくすと笑いながら応じたのは、こちらも菓子の山からひとつを失敬しているパラスである。
 女性陣四人とティレンは、それはお前達のために買ったものじゃない、とツッコミを入れたくなる勢いで、菓子にかじりついている。本来の被贈呈主であるフィプトとしては、別段咎めるつもりもない。崩されていく菓子の山を微笑ましく眺めると、改めてギルドマスターに向き直った。
「明日からは第二階層に突入するんですよね。探索班はどう組むつもりですか?」
「そうだなぁ……」
 エルナクハは腕を組んでしばし沈黙する。
「あんまり『昼の部』に出てないヤツを入れてやりたいんだけどよ……」
「んは!」と言うべきか別の表記をするべきか、なんとも言えない驚愕と歓喜の声を上げ、焔華とマルメリが視線を投げつけてきた。
 焔華は修行に出ていた期間の分のブランクがあるため、マルメリは投入時期が悩ましいため、あまり探索班に参加していなかったのである。
「『夜の部』で、それなりに力を付けてきてるから、いきなり投入しても、そう簡単にくたばらねぇと思うしよ。もっとも、守りは必要だな……はは、やっぱりオレも入らないとダメじゃん」
「兄様、ずるい」
「はっはっは、ギルマス特権だ」
 いつか聞いたような言葉を、パラディンは口にした。
 とはいえ、まるっきり的はずれな話ではないのは皆も認めるところである。
 パーティの盾となるパラディンがいるということは、それだけ皆が傷つきにくくなる、というのは言うまでもない。
 エトリア樹海と似通っているなら、六階である新たな階は、つまりは『第二階層』。今まで探索してきたところとは、がらりと気候も植生も変わる。
 一本の樹に司られる迷宮の環境が、なぜこんなにもがらりと変わるのか、それは誰にも判らない。
 ライバルギルド『エリクシール』のギルドマスターであるアルケミストは、こんな仮説を立てていた。
「ひょっとしたら、前時代……あるいはそれより以前の生命体を、ありったけ保管しようとしたのではないか?」
 不自然なほどにがらりと変わる環境は、いわば動物園や植物園のようなもの、だと。
 今にして思えば、少々間違っていると思われる。アベイが「まぁ似てるヤツはいるけど、『外』の生き物の方がまだ昔と同じだよ」と言っていたから。ただ、迷宮の中の生き物は、隔離されたことで、もともとの思惑から外れ、長い年月のうちに『外』とは違う進化をしてしまった、とも考えられなくはない。
 世界樹の真の主――たとえば、エトリア樹海の『フォレスト・セル』は、人間とは異質かもしれないが、意思と知能を持ち合わせていた。それを考えれば、不自然な環境の変化も、世界樹の主が、前時代の人間達に生み出された目的に添って、せっせと作り上げ、調整したものなのかもしれない。
 きっとハイ・ラガード樹海のどこかにも、『主』はいるのだろう。エトリアの時のように敵に回すことになるか否かは、まだ判らないが。
 話が大分反れたが、環境が変わるということは、生息する動物も変わるということ。第一階層の中でも、上階へ登るにつれて、段々と生態系が変化していったものだが、今度は、ここまでは全く見たこともない輩ばかりが闊歩していることになるのだ。油断はできない。そんな輩の猛攻に耐えるためにも、パラディンの防御能力は有効なはずだ。
「そうだな、センセイにも入ってもらおうかと思ったんだが……もうじき『夏休み』だろ」
「はい?」
「ノルがよ、『夏休み』の心得として何を話せばいいのかわからない、って困ってたからよ、ちょうどいいから、明日はそれのついでに身体を休めててくれよ」
「……『夏休み』? 夏……休み……あ……あー!」
 あろうことか、私塾講師は『夏休み』のことをすっかり失念していたようであった。
「そう言えば子供達がなんだか、もう少しでもう少しで、って騒いでいたのが、何かと思えば……」
「せんせい、すっかり、樹海頭」
 ティレンが小さな笑いと共につぶやいた。樹海探索にのめり込んでくると、世間様の行事に気が向かなくなってくるものだ。もっとも、ティレンはもともと世間様の行事を気にしないのだが。
 『ウルスラグナ』一同が、ひとしきり笑った後、ふと、オルセルタが口を開いた。
「かわいい子供達じゃない。ツキモリ先生から聞いたわよ。また、花持ってきてくれるんだって?」
 フィプトからは照れが含まれた反応があるかと思われたが、しかし、金髪のアルケミストは不自然に沈黙する。
「どうしたの、せんせい」
 皆の代弁をするように問うティレンに、フィプトは、かすかな焦燥を含んだ表情を返した。
「……そういえば、随分と遅い」
「子供だからねぇ、どこかで寄り道とか、そうしてるうちにすっかりお見舞い忘れて帰っちゃったとかぁ」
 まったくかわいいことだ、と言いたげに、マルメリがくすくすと笑った。
 しかし、フィプトの表情は晴れない。
「だと、いいんですが……」
「うむ……」
 エルナクハもまた沈黙して考え込む。心情としてはマルメリの仮説に一票なのだが、フィプトが心配しているのを無視するわけにもいくまい。いろいろと考えた挙げ句、ひとつ、解決策を思いついた。
「センセイ、オレらが捜してこようか。ガキどもが花買った後、どっちに行ったか、花屋に訊いてよ。なに、ガキどものことだ、すぐに見つかるさ」
「いいんですか? 助かります!」
 ぱっと顔を明るくする義弟を見て、エルナクハは、手早く解決しようと思った。見舞いも済んで、そろそろおいとまする時間だということもある。
「ま、ガキどものことは心配しないで、身体しっかり休めとけよ」
 ばんばん、とフィプトの肩を叩き、ギルドマスターである黒い肌の聖騎士は言い放ったのであった。

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