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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・30

 ゼグタントが加入し、採集作業に従事してくれるようになってから、『ウルスラグナ』の金回りは急激によくなった。一度は中止された『夜の部』もすぐに再開され、冒険者達はミッションであるキマイラ打倒に向けて着実に力を付けていく。たとえ採集作業中に魔物に襲われても、返り討ちにすることもできるようになった。
「いやいや、あのマグスたち、びっくりしてたなぁ」
 とゼグタントは朗らかに笑う。
『ウルスラグナ』は迷宮で一組のギルドと知己を得ていた。『ベオウルフ』の例を挙げるまでもなく、迷宮内で他のギルドに出会うことは決して珍しいことではない。少し話すうちに気が合い、街で再会した時に飲みに誘ったり誘われたりすることもある。ただし、今回出会った巫医ドクトルマグス達は、本来は冒険者ではなく、樹海内の採集のために、便宜上、ギルドを組んでいるらしい。
 イクティニケという名の黒いドレッドヘアの男性と、その弟子であるウェストリという名の艶やかな黒い長髪の少女。その二人組は、採集場所でたまたま出会った冒険者達、特に採集レンジャーとして活動するというゼグタントに、ハイ・ラガード樹海での採集のコツを丁寧に指南してくれた。ちなみに、花や実をその場で簡単に薬品として体力や気力を回復できることを教えてくれたのも、彼らだ。精製していない分、効果は低いが、緊急時には役に立つだろう。特に、気力を回復させてくれる薬は、まだ街にも出回っていないのだ。
 彼らとのそんな交流の折、突然出現したラフレシアを、『ウルスラグナ』は難なく撃退したのである。
 思えば一月程前、採集作業のほんの基本を学んで四苦八苦しつつ素材を捜していた『ウルスラグナ』が、同じように魔物に襲われた時には、ティレンに大怪我を負わせる羽目になってしまったものだった。それを考えれば、自分達は確かに成長している。もっとも、ラフレシアなどは、ようやく足を踏み入れられるようになった五階には、嫌になるほど生息している。こいつを倒せないようでは、キマイラ打倒も、ひいては空飛ぶ城への到達も、泡沫の夢になってしまうだろう。
 ところで、ここに来て、キマイラ打倒のための編成に、変更が出てきていた。
 まず、ナジクの代わりにオルセルタが加わることになったのである。
 金髪のレンジャーは、強敵と戦うには、自分達には攻撃力が足りない、と喝破していた。そのためには、樹海探索時にはまだしも、強敵と当たるにはやや力不足感のある自分ナジクの代わりに、ダークハンターであるオルセルタを入れるのがいいだろう、とのことであった。
「単純に強さで言うなら、焔華の方が最適かもしれないが」
 と述べるナジクの傍らで、話に出された焔華が申し訳なさげに首をすくめた。
「焔華の戦技は自分の命を顧みないものだ。今の段階じゃ、まだ投入は早いと思う」
 また、最初はパラスを加えるつもりでいたが、結局はフィプトを代わりに投入することにしていた。教え子の死の原因を作ったキマイラに一矢を報いることを、講師であるアルケミストは望んでいたのだ。
「小生はラガードで生まれ育ったハイ・ラガードの民です。故郷への愛着心をそれほど認識したことはありませんでしたが、今は無性に、ハイ・ラガードの危機とも言えるこの状況に立ち向かいたいと思っています。なにより、これ以上、知っている人にも、知らない人にも、極力、三階の彼らのような末路を迎えさせたくない」
 復讐のような歪んだ執着ではないことを確認し、ほっとしたエルナクハは、その願いを叶えてやることにしたのだった。
 ともかくも、『ウルスラグナ』は、ひやりとする場面もあるにはあるが、幸いにも犠牲者を出さずに、着実に樹海を探索していった。ちなみにパラスは、そんな仲間の様子を手紙にしたため、エトリアへと送っている。
 笛鼠ノ月もやがて三割が過ぎようとしていた。

 笛鼠ノ月九日の夜、私塾の夜の授業が終わった後、センノルレやゼグタントを含む冒険者達は、鋼の棘魚亭に足を向けた。壮行会と称して宴を行うためである。このために、この日の『夜の部』は中止している。
 いつものように私塾で行わないのは、資金にも余裕が出てきたことだし、たまには目先を変えよう、という、それだけの話だ。
「それにしても、毎日宴をやってる気分だわ」
 とオルセルタが言うが、もちろん、本当に毎日宴をやっているわけではない。以前のように冒険が日常と同化して久しい中、たまにしかやらないような出来事が、焔華の帰還、ゼグタントの来訪、そして今日、と、比較的短期間のうちに続いたから、そのような印象を抱くのだろう。
 ところで今回の宴の目的は、先にも述べたとおり壮行会である。何を壮行するのかといえば、当然ながらキマイラ退治だ。このころ、『ウルスラグナ』の迷宮地図の五階は、大きな空白となっている中央部分以外、埋められていた。キマイラと対面する時も近いだろう。早ければ明日、それが確実だという保証はないが、せっかくだからここらで壮行会でもやろうか、という話になったのだった。
「……あれ?」
 不意にエルナクハは声を上げた。視界の中に見知った顔を捉えたからだ。
「フロースガルにクロガネじゃねぇか」
 迷宮の中で遠目に見かけることは幾度かあったが、街中で出会うのは今が初めてだ。まさかずっと迷宮で過ごしていた、などということは、たぶんないと思う(といっても、冒険者になる前のティレンという実例が傍にいるので、完全に否定もできないところだ)。小国といえども一国、徒歩三分で全国を回れるほど狭い、というのでもなければ、同じ街にいても会わないままでいるのも、不思議ではないだろう。
「おおい!」
 と呼んで手を振ると、向こうも気が付いたのだろう、顔を向け、手を上げて応えてきた。『ウルスラグナ』一行は『ベオウルフ』の二人に近付いて、さらに言葉を掛ける。
「街で会うなんて珍しいな」
 さしたる答を求めない、挨拶代わりの話題ではあったが、フロースガルは、こんなところにいる理由を暗に問われていると思ったのか、笑みを浮かべながらも返してきた。
「いつもはあまり街には出ないんだが、使ってる宿の料理人が急病で休んでしまっていてね、今晩の食事は別の場所で取ることにしたんだ」
「懇意の酒場とかは? あるんだろ、そういうの」
「酒場は……あー……私の口に合わなくて、な」
 遠回しな口調だったが、要は不味いらしい。エルナクハは大笑いをしながら、フロースガルの肩を叩いた。
「ここで会ったのも大地母神バルテムの導きだ、オレらこれから鋼の棘魚亭で壮行会やるんだがよ、アンタらさえよかったら一緒に来ないか? 味は、まあ、悪かねぇと思うぜ。少なくともオレは美味いと思うけどよ」
 勝手に話を進めているが、『ウルスラグナ』一同には反対をする者はいなかった。特にティレンやパラスなどは、あからさまに「来い来い、せっかくだから来い」と表情で叫んでいる。
「……うむ……そうか、では、せっかくだから、お招きにあずかるとしようか、な、クロガネ」
「やったー!」
 フロースガルの返答に、ティレンとパラスは、歓声を上げて両手を打ち合わせるのであった。

 というわけで連れ立って鋼の棘魚亭を訪れた『ウルスラグナ』と『ベオウルフ』だが、酒場の主人の驚きようといったら、後々にまで笑い話にできるほどだった。
「……まさか、うちの酒場に『ベオウルフ』を迎える日が来るとはな……」
 店内では、たまたまいた他の冒険者達が、ひそひそと話し合いながら、ちらちらとフロースガル達を見る。大公宮の大臣にも名を覚えられている高名なギルドである、周囲のそんな反応も当然だろう。
「よし、せっかく初めて来てくれたんだ! あんた達の分はオゴリだ!」
「おお、太っ腹だなオヤジ! その勢いでオレらの分もオゴリにしてくれ」
「てめーらは金払え、『ウルスラグナ』!」
 寸劇コントのようなやり取りの後、意外なゲストを席に迎えての宴は始まった。
 一同が乾杯を交わす傍らで、クロガネが特別に分けてもらった生肉に舌鼓を打つ。冒険中のたわいもない失敗談が飛び交う。クロガネも含めれば十三人もいる列席の志によって、食事がものすごい早さで消費され、酒の空き瓶がハイ・ラガード全景の模型を作るかのように積み上がる。やがてマルメリがリュートを取り上げて爪弾き出すと、オルセルタと焔華が手を取り合って――今回は剣が関わらない普通の踊りを――踊り出す。アベイが歌い始めたが、音痴なので周囲から罵声とガラクタが飛んできた。
 そんな狂騒の中、我関せずとばかりに茶をすすっているセンノルレと、彼女を狂騒の悪影響から護らんとばかりに傍らに付き添うエルナクハ。
 アベイに投げられたが狙いを外した鶏肉の骨に後頭部を襲撃され、「いて」と呻く黒肌のパラディンに、同じパラディンであるフロースガルが問いかけた。
「君たち『ウルスラグナ』は、キマイラ退治のミッションを受けたんだろう?」
「おうよ」
 否定する意味もない。エルナクハは即答し、逆に問いかけた。
「そういうアンタは、どうなんだ?」
 ミッションというものは大公宮からの布令、冒険者に対する絶対命令のようなものである。もちろん、冒険者の実力は千差万別であるから、受領を見送るギルドがあってもおかしくはない。ただ、少なくとも公には、冒険者達の目標を定め、その解決を期待するものであった。
 かつて『ウルスラグナ』が受けた、行方不明の衛士捜しのような例外もあるが、布令されたミッションは、冒険者達全てが知るところとなる。そして、解決の自信がある冒険者達はぞくぞくとミッションを受領する。
 現在の布令である『キマイラ退治』を、どれだけのギルドが受け付けたかは、わからない。だが、自分達以外にもいくつかはあるだろう。すでにキマイラに挑み、力及ばず倒された者もいるかもしれない。
 そして――目の前にいる長髪の聖騎士は、おそらく、ミッションを受領しているだろう。
 エルナクハの思いこみは、確かに正しかった。
 フロースガルはためらいなく頷くと、重々しい声で宣うた。
「キマイラは――私たちの獲物だ」
「そりゃ、アンタらが先に倒せればな」
 思えばその時のフロースガルの態度をよく心に留めておくべきだった。後にエルナクハはそう思うことになる。しかし、その時の黒肌の聖騎士は、うまい料理と酒のおかげで、いい具合にできあがっていた。だから、フロースガルの宣告を、単純に、ライバルギルドの競争宣言に過ぎないと思いこんでしまったのだった。
 妻であるセンノルレは酔っていなかったが、冒険から離れて久しい彼女には、『ベオウルフ』の実情がわかるはずもなかった。
 ともかくも、その時のエルナクハは逆に宣言したのである。
「このあたり恨みっこなしで行こうぜフロースガル。アンタらがキマイラを倒すか、オレらがそうか、どっちが倒したとしても、だ。少なくとも大公宮にとっちゃ、どっちが倒したって同じことだろうしな。ま、倒した方を、そうじゃない方は気持ちよく讃えてよ、で、改めて、天空の城をどっちが先に見付けるか、競い合おう。な」
「……それも、そうだね」
 フロースガルは、いつもの穏やかな笑みを取り戻して応えてくれたが、それまでの極小の時の間に何を思ったか、当然ながらエルナクハにはわかりようもなかった。
 そこで一度会話は途切れ、静かに酒を嗜む聖騎士達。
 ちなみに周囲は静けさとは真逆の方面にあり、調子づいたアベイがさらに音痴な歌をがなり立てていた。それが不意に途切れたのは、そんな彼がふらりと倒れたからである。
「うわわわ、メディック、メディーック!」
「メディックはそいつ自身だ。それと、酔いが回って眠っただけだ」
 酔いのせいか大慌てで見当違いの助けを呼ぼうとするフィプトと、酔っているはずなのだが常日頃と変わらない冷静さで答えるナジク。
 ようやく訪れた静けさを補強するかのように、マルメリが奏でるリュートの音が切々と響く。
 ティレンはいつの間にか、自分の分の料理を抱えて床に座り込み、クロガネと向かい合いながら、食事を進めている。どうやら、狼への苦手意識を超え、黒い獣にすっかり心を開いたようである。
 オルセルタと焔華とパラスは、年齢が近い同性同士集まって、甘めの酒を嗜んでいる。
 ゼグタントは一人で静かに酒を飲んでいた。
 やっていることは皆ばらばらだったが、かといって互いの間に壁を作っているわけでもない、ひとつの集団が、そこにあった。その様を満足げに見やり、エルナクハは、ふと思いついたことを口にした。
「なあ、フロースガルよ。アンタら、二人なんだろ――よかったら、ウチに来ないか?」
「『ウルスラグナ』に、かい?」
 虚を突かれたかの表情で、赤い長髪の聖騎士は、黒肌の聖騎士を見つめた。
 エルナクハは自分自身の提案が素晴らしいものだと思いこんで、上機嫌でさえずる。
「ああ、そうさ。キマイラの件が片付いてからでもいいけどよ。この樹海を二人で踏破するのは骨だろ? だったら、せっかくだから、オレらと組まないか? ……ああー、そうか、『ベオウルフ』ってギルドがなくなっちまうのは惜しいな。だったらよ、ウチの何人かがそっちに移籍してもいい。いや、いっそオレらがみんな『ベオウルフ』に……って、これもだめかぁ、なんか『ベオウルフ』の名に乗っかりたいように思われちまうし、オレだって団長からもらった『ウルスラグナ』の名を消すのはイヤだ……」
「少し落ち着きなさい、エルナクハ」
 センノルレが、その怜悧な顔立ちを裏切らぬ、しかし芯にほのかな優しさを秘めた声で、夫たる聖騎士に注意を促した。
「そのように話を自己完結に持ち込んでしまっては、フロースガル様もお答えに困ります」
「いや、構わないよ。気持ちはよく分かった」
 長髪の聖騎士は、あまねく人々を安心させるような笑みを浮かべた。
「そうだね……『ウルスラグナ』に加わる、か。それもいいかもな……」
「そっか!?」
 エルナクハは弾かれたように身を乗り出した。フロースガルは苦笑する。
「でも、『ベオウルフ』の名を捨てるのも、惜しいと言えば惜しい。少し、考えさせてくれないか? 長くは待たせない」
「ああ、大事なことだからな、よく考えてくれ。オレらはいつでも歓迎するぜ」
 上機嫌の夫とは裏腹に、傍のセンノルレは、いいのだろうか、と首を傾げた。エルナクハとフロースガルがよくても、『ウルスラグナ』の他の者達がどう思うか、まったく考えていない。もっとも、フロースガルと出くわした時の仲間達の反応や、宴の様子を考えれば、反対する者はいないとは思うのだが。ちなみにセンノルレ自身には反対する意思はない。
 さておき、自分の希望が叶うかもしれないということに喜んだ、黒肌の聖騎士は、
「おっし、じゃあ、改めて、どっちかのキマイラ退治成功を願って乾杯といくか!」
「ああ、では……乾杯」
 赤毛の長髪の聖騎士と、からり、と杯を打ち合わせた。

 もちろん翌日にも探索が控えているわけだから、宴はほどほどのところで切り上げられた。
 街はずれの私塾へと帰る『ウルスラグナ』一同と別れ、『ベオウルフ』の一人と一匹――否、二人と呼ぶべきだろう――は、無言のまま、自分達が部屋を借りている宿への道を辿る。
 途中、馬車が目の前を横切るのに立ち止まる。だが、馬車が通り過ぎた後も、フロースガルは歩きだそうとはしなかった。傍らのクロガネの背を撫でながら、つぶやく。
「悪くは、ないよな。彼らと共に高みを目指すのも」
 クロガネは思慮を秘めた黄金の瞳で相棒を見つめている。
「どうだい、クロガネ。キマイラを倒したら、彼らと共に歩むのはどうだろう?」
 クロガネは鳴き声で返事はしなかった。だが、その尻尾は、ふらふらと大きく揺れている。
 フロースガルは笑みを浮かべた。
「そうか、おまえも彼らが気に入ったか。じゃあ、そうしようか。キマイラを倒して報奨金をもらったら、今度は私たちが彼らに酒をご馳走しよう。それで、共に空飛ぶ城を目指すんだ。だけど、彼らは随分大所帯のギルドだからな。私たちの出番はあるんだろうかね、ははは……」
 明るい話題を語るフロースガルの表情は、しかし、みるみるうちに暗さを増していく。憎悪の念、と言ってもよかった。それが、先程宴を共にした冒険者達に向けられたものではないのは確かだったが、真正面から彼と出くわした者がいたら、自分が憎まれている、と思いこんでしまったかもしれない。
「――悪いね、『ウルスラグナ』の。キマイラは、キマイラだけは、私たちだけの獲物だよ」
 やがて表情から険が取れ、いつもの優しげな顔を取り戻したフロースガルは、やっと歩きだした。傍らを付いていくクロガネが、心配げに、くうん、と鳴く。その背に手を置いて、フロースガルは励ました。
「大丈夫だ。私たちはこの日のために、経験を積んできたんだ。今度こそ勝てるさ」

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