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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・29

 やがて、ハイ・ラガードのカレンダーが、壁掛けにしろ据え置きにしろ等しくめくられ、月の名が変わる時がやってきた。
 月の名を『笛鼠』という。
 ハイ・ラガード歴は、(ハイ・ラガード伝来の)一年のはじめである『皇帝』と、最後の一日である『鬼乎ノ一日』を除けば、全てに動物の名が入る。アベイが言うには、その並びは、『十二支』とかいう、前時代にあった年数えの単位と同じらしい。
「ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い――ってヤツだな」
「で、なんで動物の名前で数えるんだよ、ユースケよ」
「そこまで俺が知るか」
 古来からの因習が、数千年の時を経て、こんなところにも伝わっているという証左ではある。
 さておき、新たなる月のはじまりにあたって、エルナクハは、ギルドマスターとしてひとつの宣言を行った。
「今日からしばらく、『夜の部』中止な」
「えー」
 『ウルスラグナ』は人数が多いギルドであるから、朝に樹海に入る『昼の部』と、主に別のメンバーが夜に樹海に入る『夜の部』とで、一日二度、探索を行っていた。といっても『夜の部』は、探索というより、鍛錬を目的としている割合が多い。
 一日二度探索を行うということは、消耗した心身を宿で癒す回数も二度になるわけだ。その分、経費がかさむ。ここまではなんとかやりくりしてきたが、自分達も強くなり、上階に踏み込むと同時に、高度な治癒の世話になることになる。キマイラ退治に備えて強い武具や道具のために金を使いたいところでもある。かなり苦渋の決断だった。
 ところが、その宣言は、数日後にはあっさりと撤回されることになった。
 金銭的な問題の解決の目処が立ったのである。

「よう」
 世界樹から帰還し、街の中央広場に差し掛かった『ウルスラグナ』探索班に、朗らかに声を掛ける者がいた。
 エルナクハは、思わずぎろりと視線を向ける。声の主に含みがあったわけではないのだが、心が微妙に荒れていたのだ。
 この日、『ウルスラグナ』の対キマイラ討伐班(暫定)は、己の力を試すために、角鹿に挑んだ。さすがに『王』には未だ敵わないと思ったので、二階付近にも縄張りを占める、普通の鹿である。彼の魔物に、手負いの襲撃者を倒したメンバーのうち、パラスをフィプトに変えた面子で挑んだのだった。
 ところが結果は散々だった。角鹿のステップには聞いた者の思考を混乱させる力があり、それにティレンが引っかかってしまったのだ。ティレンは後列に向き直り、いつもは敵に振るわれる頼もしいその戦技を味方に向けてしまった。ナジクが無理矢理テリアカβを飲ませた時には、アベイとフィプトが地に伏していた。
 我に返ったティレンが泣きそうなのを、エルナクハは叱咤して戦いに向き直らせた。鹿の方も、冒険者の攻撃で今にも足を折りそうだったからだ。
 どうにか鹿を始末することはできたが、こんな状況ではまだまだキマイラには敵うまい。エルナクハとしては頭が痛いところだったのである。
 それが若干の不機嫌の原因だったのだが(念のために述べるならば、その感情は味方には決して向いていない)、自分に声を掛けてきた者が誰かを認識した途端、そんな憂いは世界の果てに吹き飛んでしまった。
「ゼグタント……ゼグタントじゃねぇか!?」
 すっかりと機嫌を直した声と、広げた諸手で、目の前にいる者の来訪を歓迎する。
 『ウルスラグナ』に声を掛けてきた者――濃い緑髪の青年は、レンジャーである。
 褐色の瞳と、右頬に傷を持つ、彼のその名を、ゼグタント・アヴェスターという。
 彼との出会いはエトリア樹海探索時に遡る。ゼグタントは特定のギルドに所属していないフリーランスだったが、望まれれば報酬と引き替えにギルドに手を貸していた。『ウルスラグナ』も、そのライバルギルドである『エリクシール』も、彼の力添えを望んだことが幾度もある。
 彼は、採集スキルに特化した能力を得ている者だったのである。
 そんな彼がハイ・ラガードにいるということは――つまり、以前エルナクハが望んだ『優秀な採集専門レンジャー』を、エトリア正聖騎士であるパラスのはとこが、確かに手配してくれだのだ。
「よく来てくれた、よく来てくれたなぁ、おい!」
「はっはっは、エルナクハの旦那も、元気そうで何よりだ」
 黒く逞しい腕で肩をばんばんと叩かれ、飄々とした顔をしたレンジャーも、嬉しさと、ちょっとした痛みに、顔を歪めた。

 その日の夜もまた、エトリアからはるばるやってきてくれた知己のために、歓迎の宴が開かれることとなった。
 家主のフィプトにとっては初めて見る顔だったが、もちろん金髪のアルケミストは嫌な顔などしない。自らは後から入ったとはいえ所属しているギルドの知り合い、待ち望んだ賓客なのだ。エトリア時代から『ウルスラグナ』だった者達の反応は言わずともがな。
 殊に喜んだのはパラスだった。もっとも彼女が喜んだのは、知人の来訪以上に、別の理由があるのだが。
「はいはい、話は後でしてやるよ。とりあえず、こいつをくれてやる」
 とゼグタントが荷物の中から出したのは、一通の封書である。封筒の裏側には、差出人として、エトリアの聖騎士の名がある。はとこからの手紙を受け取ったカースメーカーは、王宮の舞踏会に招待された貴族の娘よろしく表情を輝かせた。
「パラス、気持ちはわかりますが読むのは後になさい」
「はぁい」
 センノルレにたしなめられ、パラスは舌をちょっこり出しながら首をすくめるのだった。
 円卓の上に並べられた料理を目にして、ゼグタントは、ひゅう、と口笛を吹き鳴らす。
「北国だと採れる作物にも制限があると思ってたんだが……やっぱり、世界樹様々ってワケかね?」
「そうですね、世界樹様々ですよ」
 フィプトはにこやかに応じる。世界樹の力のためか、ハイ・ラガードの近くでは作物が比較的育ちやすいのも確かだが、加えて、探索のついでに採ってきたものもある。遠い南方にしか存在しないような植物も、わずかながら生息していたりして、珍しい果物も採れたりする。第一階層に限って言えば、発見されてからずっと夏の気候のままだという。寒気に弱い南方の植物も育つことがあるわけだ。
 乾杯を交わして食事に入った後も、自然、話は世界樹に関わることに収束する。
「低層をさらっただけでもこれだけ豊富なんです。全てを探索したら、恩恵はどれほどになるんでしょうね」
「少なくとも、辺境の街が、自治都市群有数の地位に上り詰めるだけの恵みはあらぁな」
 エトリアの顛末を直に知らない金髪のアルケミストの言葉に、緑髪のレンジャーは素直に答えた。
「だがまぁ、その恵みがどこまで続くかは、誰にもわからねぇ。ハイ・ラガードの皆さんも気を付けるこったな」
「どこまで続くかは、わからない、ですか……」
 ゼグタントの言葉は、自然枯渇か乱獲による枯渇か、そのあたりだけを指しているように聞こえる。フィプトもまた、そのあたりの意味が主だと取っただろう。だが、事実を直に知った者達には、別の感慨がある。
 もしもハイ・ラガードの迷宮の中でも、樹海が自分達のものだと主張する者が現れたとしたら、彼らに対してどのような対応を取ればいいのだろう。
 エトリアでは、先住の民モリビトとの軋轢の末に、樹海を制する力を得たモリビトの巫女の手によって、迷宮は閉ざされてしまったのだ。
 長いこと樹海の富に頼ってきたエトリアは、その後どうなったのだろう。あの地を去ってからまだ数ヶ月にも満たない。見る影もなく落ちぶれている、などということは、長の位を継いだ元執政院情報室長オレルスが余程無能でもなければ、そうそうあるまいが、凋落の兆候は出ていても不思議ではない。
「そのあたり、どうなっているの?」
 とオルセルタが問うのに、ゼグタントは明るい笑声をあげた。
「ひとまず心配はいらねぇよ。成功するかどうかはまだわかんねぇが、オレルスの旦那を中心に、どうにかやっていこうとしてるからよ」
 ゼグタントが言うには、樹海の富をほとんど得られなくなったエトリアは、施策の転換を迫られ、ある方策に着手したという。
 エトリアは世界樹の迷宮から得られる様々な素材を加工して、街や冒険者に供してきた。その過程で、見知らぬ素材を加工するために、様々な技術が発達してきた。その技術は、素材が得られなくなったからといって、すぐに消えてなくなるものではないのだ。
 そこで、他国から原材料となりうるものを輸入し、加工して輸出してはどうか、という案が出ているらしい。ただの鉄でも、現在のエトリアの技術をもってすれば、どこの名匠の作にも勝るとも劣らぬ良質の剣に加工できる。幸い、他国から素材を買い入れるだけの元手は、迷宮の一件を通じて、蓄財されているのだ。
「モノがなければヒト……ってヤツ?」
 とアベイが口を出すのに、ゼグタントは頷いた。
「はは、それ、ぴったりな言葉だな、メディックの坊や」
 エトリアの試行錯誤は、それだけに留まらない。
 冒険者達が持ち帰ってきたものは、素材だけではない。動物の生体は無理だとしても、魔物ではない植物の個体や種のサンプルもあったのだが、それらが樹海の外で育つのかどうか、栽培を試みようという意見もあるらしい。もしも無事に育ち、樹海にあったころの品質も維持できるのだとしたら、それはエトリアのさらなる発展の一助となるだろう。樹海種の姫リンゴやミント草だけでも育てば、良質の薬の材料にできるのだ。
「本当はよ、『エリクシール』の坊やや嬢ちゃんたちの企みが上手くいっていれば、な」
 そうつぶやいたゼグタントの顔にかげが差す。
「仕方がありません、モリビトのことは、誰にも、どうすることもできなかったのですから」
 まるで慰めるかのようにセンノルレが応じた。
 樹海の先住民族『モリビト』のことは、冒険者同士の泡沫のような噂にはうっすらと上っていたが、その明らかな実在が広く知れ渡ったのは、彼らに関する件が終わったずっと後だった。当時、その実在をはっきりと知り、何かしらの目的を持って動いていたのは、執政院上層部と、冒険者ギルド『エリクシール』のみ。先住民殲滅を唱える長ヴィズルに、『エリクシール』は影でモリビト達と接触することで、反抗を目論んだのだ。反抗といっても、別にヴィズルを弑することを企んだわけではない、単純に彼らとの交易を始めて人間とモリビト双方の理解と親善を深めようとしただけだ。それも、おそらくはヴィズルの手の者と思われる何者かの妨害で破綻したというのだが……。
「どうすることも、できなかった、か」
 冒険者達が見知っている彼からは想像できない、重々しい口調で、ゼグタントは天井を仰いだ。彼は彼なりに、エトリアに関わったものとして、件の顛末を憂いているようだ。そんな彼の気持ちをすくい上げようと考えたのか、ティレンが身を乗り出して声を上げた。
「ね、ね、ゼグ兄。ゼグ兄は、ハイ・ラガードでも、採集レンジャー、やってくれるんだろ?」
「はは、オレはよ、そのために来たんだぜ、ソードマンの坊や」
 ゼグタントは手を伸ばして、ティレンの頭をぐいっと撫でる。
「エトリア正聖騎士の坊やの頼みだしな。こっちから断る気もねぇ。ハイ・ラガードでも稼がせてもらうさ」
「また、採集物の三割か?」
 とナジクが問う。
 ゼグタントが要求する報酬は、とにかく資金稼ぎのために素材を集めたいから手伝えというときは、手に入れた素材の売却費の三割だったのだ。ちなみに特定の素材を求めるときは、それを手に入れるまでに採集した『不必要』な素材の売却費の半分となる。だが、緑髪のレンジャーは首を振った。
「いいや、あんたらの依頼からは金を取らないつもりだ」
「どうしてよ?」
 とオルセルタが声を上げた。責めているような口調になってしまったが、そういうわけではない。ただ、それでは商売として成り立たないではないか。しかしゼグタントは、ちちち、と舌を鳴らしながら人差し指を立てて振った。
「心配しなさんな。あんたらの依頼通りに採集作業をこなして、名を知られていけば、他のギルドからの依頼も来るだろ。金はそっちで稼がせてもらいゃあいいさ」
 次の言葉を発する前に一瞬だけ浮かべた、寂しそうな笑みは、何だったのだろう。
「何より、元『エリクシール』のパラディンの坊やの頼みだ、無下にはできねぇよ」
「でしたら!」
 と割り込むフィプトの声は、ある意味ゼグタントにとっては救いだったかもしれない。表情の意味を問う時間を『ウルスラグナ』一同から奪い、そのまま忘れさせてしまったのだから。とはいえそれは全てを知る者の視点から見て初めて気付く話、彼ら自身にとっては、単純に、フィプトからの提案以上のものではなかったのだった。
「もしよろしければ、この私塾に泊まりませんか? どうせ部屋はたくさん空いてます。好きなように使ってもらって構いません。お仕事でサービスしてくれると仰るなら、お礼にこれぐらいのことをさせてもらっても、罰は当たりますまい」
 ゼグタントは、彼から見れば意外な申し出に、思わず呆けたような顔をしてしまった。だが、断る意味もないと思ったか、
「そりゃあありがてぇ。じゃ、お言葉に甘えさせてもらいますよ、と」
 にやりと笑って、『ウルスラグナ』の一員となったアルケミストの提案を受け入れたのであった。

「ところでよ、どうなんだ、今度の迷宮は?」
 しばらく他愛のない雑談が続いた後、ゼグタントはそんな疑問を口にした。
「やっぱり不思議かね。地下に……っと、今回は樹の幹の中か、そんなところにあるのに、お天道様の光がさんさんと降り注いでたり、そんなこと、あるのかい?」
「それがな……」
 と『ウルスラグナ』の一同は、今日ハイ・ラガードにやってきたばかりのレンジャーに滔々と話を聞かせてやった。訊かれたこと訊かれていないこと、様々な話は尽きないが、とりあえずゼグタントが最初に口にした疑問に対しては、こんな話が返される。
 世界樹の樹の幹には無数の虚穴があり、その多くは人間が通れるようなものではないが、光なら当然通す。一階を探索していた時には、人間が通れる迷宮のまわりの鬱蒼とした木々に阻まれて、ほとんどわからなかったが、上階だと、迷宮が樹皮に近いところまで広がっているところもよくあった。迷宮の中から樹皮に近い方を見ると、古き大樹の塞がれていない虚穴や朽ち始めた隙間から、『外』の空や街並みを目にすることもできたのだ。もっとも、そうやって『外』から入ってくるだけの光で、迷宮の中の『外』と変わらない明るさが維持できるのかどうか、そこまでは判断できない。たぶん別の要素――たとえば『水晶のツル』仮説など――も関わっているとは思うのだが。
「迷宮の壁の隙間から、お月様を見る、なんてのも、悪かぁねぇ」とエルナクハは笑みを浮かべた。
 今のところ彼は昼の探索ばかりに出ていて、『夜の部』に加わったことは一度しかない。だがその一度の時、彼は世界樹の虚穴から差し込む数条の月の光を見た。ほの青い光を受けて、わずかに光を照り返して輝く森は、昼とはがらりと違う顔を見せて冒険者達を誘う。振り仰げば、暗がりに囲まれた虚穴から見える、天空を廻る銀の月船。神官の息子である聖騎士は、思わず己の一族の月神の名を口にしていた――。
「はは、あんたがそんなロマンチストだとは思わなかったぜ、旦那」
 からかうようにゼグタントが言うのに、
「うるせぇ」
 と、渋面を作りつつエルナクハは返した。

 やがて宴も終わり、皆が健やかな眠りに落ちる時間が来る。翌日もまた探索は続くのだ、身体を休めておくに越したことはない。
 しかし、私塾を外から見ると、建物全体が夜の暗がりに溶け込んだかと思える中、ひとつだけ、ぼんやりと灯が灯る部屋がある。
 部屋の主はカースメーカー・パラス。
 ベッドにうつ伏せになり、曲げた足をゆらゆらと振りながら、ゼグタントから受け取った手紙の封を切る。中に封じてある、はとこからの手紙を引き出そうとするも、それより先に転がり出たものに目が留まった。
 拾い上げると、それは硬貨であった。額面は百エンで、銀貨である。しかし、普通に見る硬貨よりも幾分か大きい。おそらくは記念硬貨の類か、とあたりを付けたが、正解らしかった。表には額面と世界樹の浮き彫りが、裏には発行年と一人の男の横顔の浮き彫りが施されていた。
「……ヴィズルだ」
 パラスは手紙を広げ、硬貨について記されたところを捜した。思った通り、この硬貨は、世界樹の迷宮踏破を記念して作られたものらしい。そのために、迷宮探索に先鞭を付け、冒険者を支援し、街を大きく発展させた、偉大なる長の肖像が使われているのだ。
 たとえ最後に敵対することになったとしても、あの男の情熱と、街への思いは本物だった。妥当な選択だろう、とパラスも思った。
 ちなみに、金貨にしなかったのは、ヴィズル本人ならどちらを選ぶか、と考えた末らしい。どちらかを選べというなら、あからさまに財貨を象徴する金よりは、幾分か控えめな銀の方を選ぶんじゃないかな――と、はとこは文中に記していた。なんとなくだが、パラスにもそんな気がする。
 明日起きたら、みんなにも見せてあげよう。
 記念硬貨を封筒の中に入れ直し、カースメーカーの少女は手紙を改めて最初から読み始めた。

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