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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・28

 ――それから五日程が過ぎる。
 衛士達の大量虐殺事件が最初からなかったかのように、樹海は日常を取り戻していた。否、それはいささか現実を見ていない表現だというべきか。衛士達の事件は、あくまでも、少数の冒険者が多数の衛士に置き換わっただけであり、その程度のことは、樹海のどこかでいつも起きているのだ。そういう意味では、あの事件も『日常』には違いない。
 そんなある日、『ウルスラグナ』探索班一同は、一階にいた。
 彼らはすでに四階に足を踏み入れ、その地に巣くう魔物達に苦戦しつつも生き延びている身ではあったが、敢えて一階にいるのには理由がある。
 鋼の棘魚亭で引き受けた依頼で、ある魔物を退治するためである。

 『ウルスラグナ』が樹海に踏み込んだ頃からすでに、『そいつ』はその場にいた。
 衛士達の支配下にあり、獣避けのカラクリのおかげで魔物が近寄らない入り口付近。その北側には抜け道があり、大きな広場に通じている。そこには、巨大な青いトカゲのような魔物がうずくまっていたのだった。
 別の場所には、そいつに出会った先達が置いたものか、『広場の魔物には手を出すな』という警告の立て札も置いてあった。その立て札は、推測だが、設置されて数ヶ月も経っていないだろう。逆に言えば、その数ヶ月、魔物は現在地にいたとも言える。
 そいつは眠っているようだった。一行がかなり近付いても、起きる気配を見せなかった。よくよく見ると、その身にはあちらこちらに深い傷が穿たれていた。魔物はその傷を癒すためにじっとしているのだと思われる。
 傷ついてなお、そいつが牙を剥けば、ハイ・ラガード樹海に踏み込んだばかりの自分達は、ひとたまりもないだろう。『ウルスラグナ』は、警告の看板を見た中でも利口な者達が行ったであろう行動に従うことにした。つまりは、その魔物を無視して樹海探索に戻ったのだった。

 ところが、ここ最近、その魔物が目を覚ましたという。周辺を歩き回り、彼の魔物が眠っていた時と同様に気軽に広場に踏み込む者達を、誰彼はばかりなく襲い、喰らっているらしい。幸い、人間の被害は聞き及んでいないが、共にいた犬を喰われたとか、別の魔物を喰っているのを見たとか、そういう報告は枚挙に暇がない。
「……というわけで、いつ人間サマが犠牲になるか、わかったもんじゃねぇ。迷惑だからどうにかしてくれ、ってことで、依頼になったわけだ。ま、あの程度のヤツにやられるんじゃ、空飛ぶ城なんか夢のまた夢、ってか?」
 エルナクハを何十年か年を食わせたような性格の、酒場の親父は、そのようなことを言って『ウルスラグナ』を焚き付けた。
 『あの程度のヤツ』を倒せる奴がいないから依頼になったんだろう、と取ることもできなくはないが、親父の言葉は正論ではある。
「第一階層に魔物が増え、あまりにも場違いな強力な魔物も出現しているのは――五階に住み着いた、百獣の王『キマイラ』の仕業らしいのじゃ!」
 そんな、大臣の言葉も思い起こす。
 キマイラとやらいう魔物の咆哮が、上の階層の魔物を引き寄せているらしい。
 それが、以前からいた魔物を圧迫し、それらがさらに下の階層に逃げ、結果として、それまでの棲息分布の乱れと、相対的な個体数の増加を促しているのだろう――というのは、話を訊いた錬金術師センノルレの分析である。
 現状を重く見た大公宮は、キマイラ討伐をミッションとして布令することに決めた。キマイラが滅せられれば、これ以上、魔物が引き寄せられることもないだろう、と。
 『ウルスラグナ』は、そのミッションを受領したのであった。
 それが今、なぜ別の依頼を受けているのかといえば、いわば前哨戦ちからだめしのようなものである。
 これもまた推測に過ぎないのだが、一階で眠っていた巨大なトカゲは、キマイラと争った末に敗北し、命からがらここまで逃げてきて、癒しの眠りを享受していたのではないだろうか。もしそうだとするならば、この魔物をねじ伏せられないようでは、天空の城はおろか、キマイラ退治さえも、夢のまた夢。
「準備はいいか、オマエら」
 エルナクハは後方に控える仲間達に声を掛ける。キマイラ討伐を念頭に置き、主軸として鍛えるつもりの面子だった。自分を含め、ティレン、アベイ、そして、ナジクとパラス。もっとも、アベイはともかく、自分を含めた他の仲間達は、計画次第では適宜入れ替える予定だ。
 目の前に立ちはだかり、涎を垂らして冒険者を睥睨するのは、巨大な青いトカゲ。その大きさは優に冒険者達の倍に近い。入国試験の時に命からがら逃げ出したクローラーも、縦に伸びれば大きいが、あの魔物は今の『ウルスラグナ』の敵ではなく、その大きさももはや脅威には見えない。だが、目の前のトカゲは今この瞬間の脅威だ。肌が相手の強さを察してぴりぴりと痛んだ。
 その太い足と大きな顎、反して小さすぎる手は、その魔物が、本来は、驚異的な脚力で獲物を追いつめ、顎で喰らう、という補食法を取ることを推測させる。目の前の個体は、まだ傷が完全に癒えていないのだろう、動きがぎこちないが、本調子を取り戻した際には、恐るべき襲撃者となるだろう。
「さしずめ、コイツは、『手負いの襲撃者』ってとこだな」
 倒すなら今だ。手負いのところを突くのは気が引けなくもないが、戦人でもない者達に被害が出るのも時間の問題、放っておくわけにもいかないだろう。
「さぁ、行くぜ!」
 エルナクハが剣を敵に突きつけるのと同時に、冒険者達は散開した。
 アベイとパラスはエルナクハの真後ろ、離れた場所に留まる。鈴の音と呪が響く中、ナジクは、わざと『襲撃者』の傍をかすめるように動く。それに気取られた『襲撃者』が首を伸ばし、金色に流れる髪を目標にして牙を剥く。
 だが、その間に割って入ったのは、鴇色を帯びた鈍い輝きを放つ鎧に身を包んだ、赤毛の少年である。その幼さの濃く残る顔立ちからはとても想像できない膂力で、斧を突き出す。ちなみにこの斧は、『チュイロバァー』という聞き慣れない名の、普通の斧の刃が柄の平行方向に細長くなったような形をしている、両刃の武器だった。刃の両端が鋭角となったその形は『突き』に使うこともでき、使いようによっては期待以上の攻撃力を発揮する。
 赤毛の斧使いティレンは、自分に迫りくる凶悪な牙を躱し、大きく開いた口内を、斧の先端で突いた。
 そこらの一般人では聞いただけで心の臓を凍らせてしまいそうな、禍々しい咆哮がこだまする。
「最初の一撃」
 声だけでは喜んでいないようにも聞こえる、朴訥な言葉で、ティレンは自分の初太刀を誇った。もちろん、驕ってはいない。ただ、次の展開は、その場にいた全員の想像をちょっとだけ超えていた、それだけのことだ。
 ティレンの初撃を無防備な場所に喰らった『襲撃者』は、仰け反って悶えていたが、お返しとばかりに、再び噛みついてきたのだ。ティレンは身を翻し、鎧の厚いところを晒すことで、痛手を最小限に抑える。振りかざされたチュイロバァーの刃を避けて『襲撃者』が離れた時、ティレンはしっかりと足で大地を踏みにじっていた――だが、よく見ると、小刻みに振るえている。
「ティレン!」
「あ……あ……」
 様子から見ると毒ではない。いや、ある意味では毒とも言えるが、少なくとも生命を直接削る類ではない。
「麻痺か!」
 エルナクハは自分達を睥睨する『襲撃者』を睨み付けた。
 かの魔物の牙には強力な麻痺毒が備わっていたのだ。ティレンが噛みつかれた時、身をひねったとはいえ多少は牙もかすり、麻痺毒が身体に入り込んだのだろう。
「ユースケ、薬!」
「ああ!」
 ギルドマスターの要請に、メディックが鞄をあさる。
 麻痺毒は直接的に命に関わるものではない。全く動けないわけではないし、放っておいても消える。だが、今は強敵との戦闘中。期待できる手数が減れば、最悪、パーティ全体の存亡に関わる。
 アベイは万能薬テリアカβを探し出し、エルナクハの援護を受けて前線から退くティレンに近付いた。
「ほら、飲め」
「苦いの、や」
「や、じゃないって。ハチミツ混ぜてあるから飲め」
「ん」
 ティレンが薬を飲む間、エルナクハは盾を携えて攻撃を防いでいた。一旦、冒険者達から離れていた『襲撃者』は、ナジクが雨霰と降らせる矢の猛襲をくぐり抜け、再び牙を剥いて襲ってきたのだ。凄まじい音と共に盾に傷が刻まれる。それはパラディンが仲間を護ったという証、いかな金銀を連ねた勲章よりも明らかたる真の誉れ。しかし現実問題として、削れた盾はそれだけ弱くなるのも確か。ついに盾の上半分が砕けて飛んだ。
「やっべ! こいつぁシトトで買い直――ぐあ!」
 パラディンは悲鳴を上げた。『襲撃者』の牙が喉元に食い込んだのだ。もちろん、鎧のおかげで、牙は皮一枚を傷つけた程度。が、鎧の上からの圧迫は容易に肉を痛めるし、皮膚に少しでも食い込んだ牙からは麻痺毒が流れ込む。
「この!」
 脇からティレンが放つ渾身の一撃に、『襲撃者』は傷を負い、怯んで一時撤退する。
 四肢に痺れが走り、力が入らなくなって、エルナクハは膝を突きかけた。辛うじて自分の身体に自分自身が主であることを思い出させ、踏みとどまったが、全身に走る痺れは、いつ再びエルナクハから身体の支配権を奪い取るか。
「ユースケ、オレにもハチミツ入りのテリアカβ」
「悪い、そりゃダメだ!」
 エルナクハの要求に、無情にもアベイは首を振る。だが、決して薄情や無慈悲で突き放しているのではない。それは、ティレンの様子からも、なにより自分自身の体の調子からも、明らかであった。魔物の攻撃は、麻痺より先に、肉体そのものを強く痛めつけるのだ。そちらの治療も行わなくてはならない。
 戦うのが早すぎた、というほどではない。が、判断を誤れば簡単に全滅するだろう。
 アベイはティレンの手当に余念がない。エルナクハはアベイの鞄に無造作に手を突っ込み、テリアカβを手早く取り出して開け、飲み干した。余談だが、薬品のビンは、それぞれに特徴的な凹凸が付けられており、手探りでも手早く取り出せるようになっている。
 魔物はまたも駆け寄ってくる。ナジクが放つ矢を全身に突き立てながら。そのうちの何本かはティレンが付けた傷口をえぐっている。それでもなお魔物の攻撃本能は衰えず、エルナクハめがけて牙を剥いた。
 壊れかけた盾を構えて衝撃に備える。これでもないよりはマシだ。完全に壊れたら、次は自分の肉体を盾にしなくてはならないか。それ以前に逃げの一手を打つことになるだろうが。

 ちりん。

「――アナタのアゴは閉じられない。無理して大きな口開けてるからよ。ほら、関節はずれちゃって、閉じたくても無理でしょ?」

 澄んだ鈴の音と共に、少女の声がこだまする。嘲るような口調で、見下すような視線で、『襲撃者』を罵倒する。彼女がそこらの冒険者なら、単に強がっているだけとも思えただろうが、そうではない。彼女はカースメーカー、『狂乱の魔女』として高名な呪い師を擁する一族『ナギ・クース』のすえなのだ。その言葉と呪鈴の音が浸透すれば、そこらの者は、言葉通りの顛末を迎えるしかない。
 『襲撃者』は彼女が嘲ったとおり、エルナクハを噛み砕こうとした口を、だらりと開けていた。閉じたくても閉じられないらしい。喉奥から情けないうなり声を上げ、それてせもエルナクハに肉薄するが、閉じない口はただの穴だ。やがて、牙に頼る攻撃は諦めたか、ティレンの振る斧の刃を避けて、一度離れていく。
「遅ぇぞ、パラス!」
「なかなか効かないんだもん!」
 パラディンはカースメーカーに文句を言ったが、もちろん本気ではない。彼女は戦闘開始直後に、敵の攻撃の威力を下げる呪を唱えている。いかなる相手にも確実に効果を示すその『力祓い』を済ませた後も、間断なく鈴を振り、『封の呪言:頭首』を掛けるきっかけを何としてでも作ろうとしていたのは、ちゃんとわかっている。
「ははッ、けどよくやった、ナギ・クード・パラサテナ!」
 少女を褒めそやすと、エルナクハは盾で魔物の突進に備えた。麻痺を呼ぶ牙は当分使えないが、相手にはまだ突進力という大きな武器がある。体格に比べれば小さな腕も、その先にある鋭い爪の存在を考えれば、侮れない。そして、呪言とて永遠に効くわけではない。
 けれど、今が攻め時なのは間違いない。ギルドマスターは、剣で遠き敵を勢いよく指し示し、鬨の声を高らかに上げた。
「全力出せ、オマエら! 押しまくるぞ!」
 ……少しの後、膝突くことなく地に立ち、勝利の凱歌を上げたのは、冒険者達であった。
 手負いとはいえ、現状での目標と互角に近い戦いをした魔物を、下すことができたのだ。

 ところが。
 この二日後に『ウルスラグナ』は、四階に縄張りを占めて彷徨する、手負いでない方の『襲撃者』に挑んだのだが。
「げ……元気なヤツぁ、やっぱ強ぇ!」
 まだ敵わないことを悟って、早々に退散することとなった。
 彼らの判断は正しい。生きていれば再戦もできようが、ここで無理して死ねば、そこで終わりなのである。

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