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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・27

 ところで、彼らがこんな話を呑気にしていられるのは、一階だからという余裕ではなく、単に入り口付近を通過している途中だからである。衛士が交代で警備する入り口付近には、獣避けの仕掛けが施されており、そこらの魔物が侵入してきたりはしない。
 その安全地帯を抜けた途端、焔華の目つきが変わった。もはや危険のただ中にある、ということを、全身で感じ取ったのだ。
 他の冒険者達も、焔華ほどではないが、態度を改め、軽口は続けながらも油断なく周囲の気配を感知しようと努める。
 世界樹の迷宮に住まう生き物のうち、人間を襲うほど凶暴な者達は、彼我の戦力差に頓着しない。仮に、『ウルスラグナ』が竜すら一撃で屠る者であったとしても、だ。道の脇の草むらが、がさがさと音を立てたかと思うが早いか、何かがエルナクハめがけて突っ込んでくる。それを盾でいなし、聖騎士は隣のブシドーの娘を煽った。
「ほら、敵のお出ましだ。オマエの新たな力、見せてみろ!」
「はいな!」
 エルナクハにかすり傷すら付けられなかった『それ』は、針ネズミである正体を露わにし、全身の毛を逆立てて冒険者達を威嚇する。
 焔華は瞳の中に硬質の光を宿して敵を見据えたまま、ブシドー特有の武器である刀を、すらりと抜いた。柄を両手で握り、振り上げて構えるのは、彼女が得意とする、『上段の構え』と名付けられた、攻撃力主体の鬼炎の相。
 ――のはずだったが。
「構え……ない!?」
 冒険者達は軽い驚きを覚えた。ブシドー達は、その真髄を発揮しようとする時には、必ず『構え』を取るはずだった。緩やかな舞のような完成された『形』で刀を構え、息を止めて集中した後、静から動へ一瞬にして切り替わるその刃は、凄まじい力で敵を圧するものだった。反面、さほど強くない敵と対峙している時は、構えて集中している間に戦闘が終わってしまう、という笑い話もあったが。
 それが、今の焔華の動きには『静』がない。刀を振り上げた次の瞬間には、魔物の懐に滑り込む。突き出された爪にその身を深く切り裂かれるも怯まず、お返しとばかりに 鋭い刃を振り下ろした。針ネズミは悲鳴すら上げる間もなく切り捨てられ、力なく世界樹の大地に転がるのだった。
 刀を振って簡単に血糊を落とした焔華は、仲間達を振り返ると、花のように笑んだ。
「どうですかえ? これで、わちも皆の足を引っ張ることなく戦うことができるんし。『構え』に時間を取られんで、すぐさま敵陣の奥に切り込むことができますえ」
「それが、オマエが捨てた『ブシドーの誇り』か」
「そうですし」
 誰よりも先に駆け付けたアベイの手当を受けながら、焔華は目を細める。
「『正統な』ブシドーの剣術はね、精神修養の延長にありますの。だから、一挙一足という『形』を大事にして――その結果のひとつが『構え』なんし。それを省くのは、つまりは『心』をないがしろにすることだ、と、同胞は憤るかもしれんけど――わちは、もう迷いませんえ。そのくらいを捨てたくらいで失われる心など、持ち合わせちゃおりません」
「そか」
 ギルドリーダは満足げに笑んだ。彼女の伝統だの誇りだのは、彼女自身が納得すればいい話だが、『構え』を省くことで即応力を増したブシドーの剣技は、充分に心強い。だが、エルナクハはすぐに顔を曇らせた。別の懸念が残っているからだ。
「『身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ』とか『肉を切らせて骨を断つ』……だっけか、オマエらブシドーの教えは」
「そうなんし」
「『伝統』を護ってても『革新』を重ねてても、そこだけは変わんねぇんだな、オマエら……」
 だからこそブシドーなんだろうけどな、とつぶやきつつも、ある意味でブシドーとは正反対の理念を持つパラディンは、深く深く、普段の豪快さからは信じられないほど深く、溜息を吐いたのであった。
 己が身の危険も顧みずに、敵の懐深く踏み込む戦闘スタイル。それがブシドーの特徴。
 そこさえも変えろというのは、それは、もう、手っ取り早くソードマンに転職しろ、と宣するに等しいだろうから。
 そういう意味では、やはり焔華は、高らかなる誇りを捨て切れぬブシドーなのだ。

 その後の数回の戦闘を経て、焔華の修行の成果のお披露目を充分に堪能した『ウルスラグナ』探索班は、樹海を出たその足で、大公宮へと赴いた。昨日のうちに果たしたミッションの報告をするためである。
 長柄武器を携える衛士に見送られ、門を潜った時、冒険者達はその耳に、かすかな歌声を捉えた。どうやら鎮魂歌のようであった。例の衛士隊の魂を慰めるべく、公宮付の聖歌隊が神殿で歌っているのだろう。エトリアでも、樹海探索の最中に斃れた兵士のための葬儀や鎮魂が行われることがあり、執政院の敷地内で祈りの文句や歌を聞くことがあった。それにいちいち反応する余裕は冒険者にはないし、その義理も義務もない。
 だが、やはり昨日の光景は凄惨に過ぎた。脳裏にちらつくその光景に、何かしらのけりを付けたくて、エルナクハは立ち止まる。胸の前で交差させた両腕、両肩に触れる指先、閉ざされた瞳。伏せた顔は地を礼賛するかのように――否、彼の母神は大地の女神、地を礼賛するは当然か。
「母なる、地の女神バルテムよ、勇猛なるいと高き翼エルナクハよ、慈悲深きいと遠き海原オルセルタよ。彼の者らの魂に相応しき導きを。安寧の眠り、新たなる戦場、再びの旅立ち、彼らの望む道が開かれるように」
 一通りの祈りの言葉を唱え終えて顔を上げれば、立ち止まって待つ仲間達の顔がある。エルナクハは照れを隠すように肩をすくめた。
「待たせたな。さ、とっとと行こうぜ」
「……エルナクハどの、ぬしさん、案外と信心深いのんしね」
 一同の内心を代弁する形で焔華がつぶやく。その『一同』には含まれていなさそうな顔をするマルメリが、従弟の代わりに皆の疑問を解消しようとした。
「まあ、エルナっちゃんは神官の家系だからねぇ。いずれはエルナっちゃんかオルタちゃんが跡を継ぐはずよぉ」
「マジ!?」
 意外だ初耳だ、と言わんばかりに、アベイとパラスが顔を見合わせる。事実、初耳なのである。
 エルナクハは苦笑した。
「うるせー。オルタが勝手に村を出て行っちまったからよ、結局はオレがいろいろ覚えなきゃいけなかったんだ」
「……あれ? そんなナックが村を出てきちまってよかったのか?」
「あー、父ちゃんがよ、自分が現役の間は許してやるから好きにしろ、って言ってくれたんでよ」
 そう語る聖騎士の表情から読みとるに、権利を勝ち取るまでには相当の拳の雨をくぐり抜ける必要があったと推察される。
 さておき、今はミッションの報告をしなくてはならない。一同は侍従長に大臣への目通りを申請し、案内されて謁見の間にやってきた。
 昨日は心細げに杖で掌を叩いていた大臣だが、この日は常日頃のような落ち着いた雰囲気を取り戻していた。どのような形であれ、懸案事項が解決を見たからであろう。『ウルスラグナ』の姿を確認すると、おお、と歓喜の声を上げ、杖をつきながらいそいそと近付いてくる。そんな大臣を制して、『ウルスラグナ』は自分達から大臣の方に寄った。
「ご苦労であった。話は衛士から聞いておるぞ」
 皺だらけの手が、エルナクハの黒い手を取る。
「よくぞ、よくぞ、無事助けてくれた!」
 エルナクハは、いつもの黒い騎士ならぬ静かな笑みを浮かべた。
「ああ、でも悪ぃな、何でも屋大臣サンよ。全員は、無理だった」
「……そなたらが気に病むことではない。最大限のことをしてくれたのだから。責められるべきは、彼らを死地に送り込んだこの老骨の方じゃ」
 エルナクハの手を放した大臣が、自らの手を軽く打ち鳴らすと、すっきりとした上品なメイド服に身を包んだ女性が、銀の盆に革袋を載せて携え、謁見室に入ってきた。近くまで来たメイドの盆の上から革袋を取り上げると、大臣はそれを『ウルスラグナ』に差し出す。
「まずは、こちらを受け取られよ。ミッションを完遂してくれた報酬、衛士を助けてくれた礼じゃ」
「感謝」
 ギルドマスターは、ラガード硬貨が詰まっているとおぼしき袋を素直に受け取った。全て銀貨だと換算して、五百エンほどになるだろうか。五十エン金貨で換算するならもっと高額だろうが、そこまでは入っていないだろうし、庶民に金貨は使いづらい。
 余談だが、一エン以下の単位は『セン』であり、庶民の間では、エン銀貨とセン銅貨が主に使われる硬貨である。
「大臣殿、ひとつ訊かせていただけませんかえ?」
 報酬の贈与が済んだ後、一歩進み出て切り出したのは、焔華である。大臣は、おや、と言いたげな眼差しで娘を見た。
「そなたは……『ウルスラグナ』の一員か? 始めて見る顔のような気がするが……すまぬのう、歳のせいか忘れっぽくなっておるのでの、もしそうでなかったら、お許し願えまいか」
「問題ございませんえ。わちは、今まで修行に出ておりまして、ハイ・ラガードにはおりませんでしたし」
「おお、そうか、お初にお目にかかる、『ウルスラグナ』のブシドーどの」
「安堂焔華と申しますえ。なにとぞ、よしなに」
 一通りの挨拶が済んだ後、焔華は大臣に『訊きたいこと』を質問する。それは『ウルスラグナ』の全員が問い質したいと思っていたことでもあった。
 つまり、衛士が危険を冒して調査していたものは、なんだったのか。
 ギルド長も、助けた衛士も言っていた。現在の樹海の魔物は、かつてよりも活発で、数も増えてきていると。
 それに、助けた衛士が叫んだ言葉が気になる。
 角王のような魔物は、やっぱり『アイツ』が呼んでいるのか、と。
 そのような疑問を隠すことなくぶつけると、大臣は、うむ、と重々しく頷いた。
「その件は、そなたらが救ってくれた衛士から報告を受けておる。彼らはその件を調べることも兼ねて樹海に入り、魔物に倒されたというのじゃ。その報告によれば……」
 『ウルスラグナ』一同が固唾を呑んで言葉に耳を傾ける前で、大臣は、腹の底から湧き出したかのような力を言葉に込め、続けるのだった。
「最近の第一階層での多くの魔物の出現。それらは全て、一匹の魔物の仕業らしいのじゃ!」

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