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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・26

 『ウルスラグナ』はその日のうちには大公宮への報告には上がらなかった。
 生き残りの衛士が帰り着いて報告してから、自分達が報告をした方がいいだろう、と思ったのが一つの理由である。
 別の理由は、単純に、疲れ果てていたから。
 そして、さらなる理由がある。
 世界樹の迷宮を離れ、街の広場に帰り着いた『ウルスラグナ』探索班一行は、街の入り口方面からやってくるひとつの人影を目にした。桃と藤の二色が織りなす東方の民族衣装をまとったその人影は、穏やかながら芯を秘めた眼差しを冒険者達に向け、悠然と歩を進めてくる。
 その名を、冒険者達は口々に声に出した。
「焔華……?」
 見間違いではない。その人影は、ブシドーのものだった。『ウルスラグナ』がハイ・ラガードに足を踏み入れてから間もなく、さらなる鍛錬のために街を離れていた少女、安堂焔華のものだったのだ。
「ただいま帰りましたえ」
 冒険者達の目前までやってくると、焔華は笑みを浮かべ、まるでそこらの買い物から帰ってきたかの調子で挨拶をしたものである。
 かくして、その日は予定が変わり、夜に鍛錬に出る予定だった者達もそれをとりやめ、ブシドーの少女の帰還をささやかに祝う宴と相成った。円卓――こういう時のために新調したのである――を囲み、食をつまみ、酒を嗜む。かの出来事との遭遇でささくれ立った心も、仲間の帰還と宴の楽しさで、みるみるうちに癒されていくように感じられたのだった。

「ねえ、ほのかちゃん。その靴……」
 焔華の足下に気が付いたオルセルタが、意外そうに問うた。その声にようやく焔華の変化に気が付いた女性陣達も、次々に口を開く。
「あら、貴女がそのような履き物を履くとは、珍しいものですね」
「かっこいいブーツねぇん。でも、どういう心境の変化なのん?」
「ホノカちゃん、いつも草鞋履いてたのに、どうしたの?」
 安堂焔華という、このブシドーは、エトリアでは、頑なに草鞋を手放そうとはしなかったのだ。それが今は、編み上げブーツをしっかりと履いている。それも、せっかくだからおしゃれしてみました、というものではない、冒険用のしっかりした造りのもので、かなり履きこなしているのは明らかであった。
 ブシドーの少女は、にっこりと笑み、ブーツを見せびらかすように足をふらふらと振った。
「ブーツっていうんは、冒険とかするのに便利やねぇ。こんなことなら、エトリアでも履けばよかったん」
「それが、ブシドーの誇りを捨てて手に入れたもののひとつか?」
「そうですし」
 エルナクハの問いに、焔華は機嫌良く応じる。
「まぁでも、こうしてみてわかりましたんけど、ブーツごときじゃブシドーの誇りは傷つきゃしませんえ。草鞋を履いて戦わなくてはならない、と思いこんでた、わちが、浅はかだったんですわ」
 ブシドーの誇りに拘泥していた少女のささやかな変貌に、仲間達は軽い驚きを覚えた。
「じゃあ、実際に誇りを捨てて手に入れた『力』は、何だったんだよ?」
「そやねえ……」
 焔華は小首を傾げる。「実際に見せるんがいいんやけど、やっぱり実戦でお見せするんが一番ですえ」
「じゃ、せっかくだから、明日、迷宮に行く」
 朴訥とした口調でティレンが促した。ソードマンの少年に、焔華はしばらく目を向けていたが、
「そやね、わちも、せっかくだから迷宮に入りたいわ」
 笑みを浮かべながら、同意するのであった。
 かくして、翌日、すなわち皇帝ノ月十七日早朝、焔華を連れて迷宮に踏み込むことに決まった。とはいっても、これがハイ・ラガード樹海入り初めての焔華は、仲間のサポートなくして満足に戦うことは、まだできないだろう。というわけで守備をサポートするエルナクハと、治療役のアベイは、始めから同行が決まっているようなものだ。残るは二人。
「せっかくだから、マァル、来るか?」
 と黒肌の聖騎士は従姉の吟遊詩人に声を掛ける。
「入り口付近をざっと歩くことになるから、オマエでもそんなに負担にならないだろ」
「あららぁ、エルナっちゃんも気を使ってくれるようになったのねぇ」
 そんな従姉の物言いに突っ込みたいところもあったが、エルナクハは肩をすくめて受け流し、別の者に声を掛けようとする。
 その時、からん、と、玄関のベルが音を立てた。私塾の管理人であるフィプトが立ち上がって応対に赴く。
「手紙かな?」
 わくわくとした心を隠しきれない表情で、パラスが椅子から腰を浮かせるところに、センノルレが冷静に応じた。
「いえ、ラガードとエトリアの間の日数を考えると、まだでしょう」
「ああもう、わかっちゃいるんだけど、もぅ」
 苦笑いしつつパラスが再び着席したその時、フィプトが戻ってきた。その表情が、宴の途中らしからぬ沈鬱なものとなっていることに気が付き、皆が静まる。フィプトは、気にするな、と言いたかったのか、笑おうとして――やはり失敗した。
「すみません、小生は、休ませて頂きます。明日の探索も、遠慮させて頂きたい」
「何かあった――ああいや、差し障りあるなら言わなくていい」
 ギルドマスターの言葉に、無言で謝意を表しながら自室に戻ろうとしたフィプトは、やはり理由を述べておくべきかと思い至ったか、口を開いた。
「昔の教え子だったあの衛士の――まぁ、葬儀自体は近いうちに大公宮で合同でやるそうなんですが、彼の実家で、縁ある者達で集まって、ささやかに偲ぶ会をやろう、という話だったんです」
「そか。そりゃ――出てやるべきだな」
 エルナクハは真剣な中にも人心を安心させる眼差しを浮かべた。
「オレらの神さんの話で何だがよ、エルナクハは――ああっと、オレじゃねぇぞ、オレの名前の元の、天空の女神さんのことだがな」
「女神、なんですか、義兄さんの名前は」
「女神だよ、悪かったな」
 フィプトの驚きに苦笑で返し、エルナクハは話を続けた。
「エルナクハってのは天空を統べる戦女神なんだが、死者の魂を選定して自分の軍勢に加えるか、別の神さんのしもべにするか、修行不足だからって輪廻の環に戻すか、救いようがないから冥界に堕とすか、まぁそういうことを決める役があるんだよ。でもな」
「でも?」
「しもべにするヤツが、能力だけあったって性格に難があったらたまらねぇ。てわけで、葬式とかの時に故人の話を皆がするのに、エルナクハは部下を差し向けて聞き耳立ててやがる。だからよ、オレらは葬式のときに、よっぽどなヤツでもなきゃ、死んだヤツのことは悪く言わねぇ。よかったところばかりを話にして、間違っても悪い話が尾ひれ付いて伝わって冥界堕ちにならないようにしてやるのさ。だから、アンタもよ、明日はソイツのよかったところの思い出話、してやんなよ」
 ま、宗教違うからアレかもしれないがよ、と話を締める。
「心遣い、ありがとうございます、義兄さん」
 信じる神が違うとしても、人間の心の根本はそう違わない。フィプトはエルナクハなりの気遣いに感謝した。ふと、思い出したことを返したのは、何かしらの物事を学ぶものとしての興味がそうさせたのだろうか。
「しかし、似たような話は世界のあちこちにあるものですね。ハイ・ラガードにも、天の支配者が死者の魂を集めるという言い伝えがあるんですよ」
「そうなの?」と問うのはオルセルタ。
「ええ、我々ラガードの民は天空の城の民の末裔だと言いますが――天空の城には未だに神たる支配者が眷属と共に御座おわし、勇者を求め、地上で死した者達の魂を天空の城に集めているそうです」
「はは、よく似てやがる」
 エルナクハは笑いながらひらひらと手を振って、早く休めと言外に告げる。
「とにかくオレらにできるのは、死んだヤツに安寧がありますように、って願うくらいのものだからよ。今日は明日に備えてしっかり休んどけや」
「そうですね。では、お休みなさい」
 私塾の主は、ぺこりと頭を下げて自室へと引き上げていく。
 残された仲間達は、改めて乾杯を行った。乾杯、というより献杯だろうか。自分達なりに、ミッションで関わった衛士達の冥福を祈ったのである。

「そもそも『世界樹』であるからには、そういう伝承が定着してても、おかしくないよね」
 緑なす樹海の中に、カースメーカーの少女の声が響いた。結局、焔華と同行する最後の仲間は、彼女に決まったのだった。一階に棲息する魔物くらいなら、今の『ウルスラグナ』なら、直接的な戦闘向きではない仲間達でもどうにかなるという見込みからである。焔華の戦闘技術を見るためには、他の者達は基本的にサポートに徹するのがいいだろう、と。
「なんで『世界樹』なら、なんし?」
 という本日の主役の言葉に、パラスは隣を歩くアベイと顔を見合わせた。
「なんでって、ねー」
「なぁ」
「おいおい、伝承者なマァルと同意するならわかるけど、なんでユースケなんだよ」
「おいおい、って、そりゃこっちのセリフ」
 ギルドマスターの言葉に、メディックの青年は肩をすくめて答えた。
「俺だって、『世界樹』の伝説くらいは思い出してる。母ちゃんが寝物語によく聞かせてくれてたからな」
 アベイは遠くを――距離的ではなく時間的に――見るような目で言葉を紡いだ。せいぜい十年か二十年か前のことを思い出しているように見えるし、本人もそのつもりだろう。だが、実際に彼が思い出しているのは、数千年も昔と目される、気の遠くなるような過去、前時代の物語なのだ。
「ほら、所長先せ――ヴィズルが、言ってたじゃないか。『古い神話の巨木の如く、汚れはじめた大地を支えるという意味をこめて』、前時代の計画は『世界樹計画』って名付けられたって」
「ああ――そういや、そうだったけか」
 エルナクハは、エトリアの長のことを思い出した。前時代から生き続けていた研究者、世界樹の化身となってしまった男のことを。
 エルナクハ、オルセルタ、ナジク、アベイ、パラスの五人は、エトリア樹海の深層へ辿り着いたとき、そこでヴィズルの言葉を直接聞いたのだ。街のことを憂う人間の意志と、世界樹の迷宮の謎を暴こうとした『ウルスラグナ』を危険視する世界樹の意志とが、ない交ぜになり、一致した末の、死刑宣告を。
「俺さ、母ちゃんに『世界樹』って何? って聞いた記憶がある。その時に母ちゃんが聞かせてくれた話と、この迷宮の上にいる神様とやらの話が、よく似てる。ついでに言うなら、ナック達の一族の戦女神の話ともな」
 簡潔にアベイが語ってくれたところによると、彼が母から聞いた話に出てくる『世界樹』の話には、勇者を選定し、それを自らの膝元に招くために死の運命を与え、しもべである翼持つ者達に魂を導かせる、そんな神が出てきたらしい。
「オーディン、だよね。で、側近にフレイって豊穣の女神が――」
「あれ? フレイって男神だろ?」
「――ってねぇ、ホントに昔の話だから、もうごちゃごちゃになっちゃって、アタシのような吟遊詩人には、収拾がつかなくなっちゃってるのよん」
「はは、なるほどなぁ」
 余談だが、パラスの出自であるカースメーカーの一族『ナギ・クース』には、『力』を持つ子供に、古い伝説に伝わる神や神域の名を付ける風習があるという。逆に言えば、彼らの間には、『外』の世界では出自も忘れられた古い神々のことも、ある程度は伝えられているということなのだろう。が、それでさえ、さらに正確に伝わっていたであろう頃から見れば、変質してしまっているようである。ついでに述べるなら、パラスの本名『パラサテナ』は、前時代よりさらに古い時代の、知識の女神にして戦女神の名らしい。
 今の世界にある宗教や神話も、古のそれがないまぜになった中から生まれたものなのかもしれない。
 ならば、細い糸で繋がれた共通点があっても、おかしくはない。
 ハイ・ラガードの言い伝えや、女神エルナクハの神話は、等しく『オーディン』とやらの神話を根として生まれているのかもしれないのだ。
「だがよ、似てるったって、あんまり一緒にしてほしくない気もするなぁ」とエルナクハは少しだけ不満を抱いた。
「オレらの女神さんは、膝元に欲しいからって人間をぽんぽん殺したりしねぇよ。それを人殺しみたいに言われたら嫌になるだろうよ。ハイ・ラガードの天の城の神さんも、たぶん同じ思い――あ、いや……」
 不意に眉根をひそめ、聖騎士は治療師の青年に話を振った。
「なぁどう思うよユースケ。もしも、ラガードの民が本当に天の城から下りてきた連中の末裔だとしたら……そこに残ってる神さんは、神じゃなくて……」
「ヴィズルみたいな、前時代人じゃないか、っていうのか?」
 さすがにアベイも押し黙り、考え込んだ。
 その可能性は高いといえば高い。かつてヴィズルは自らを「前時代の唯一の生き残り」と称していたが、それにも、アベイという想定外がいたのだから。
 もちろん、それも、『空飛ぶ城』の実在が前提になるわけだが。

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