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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・24

 時間の兼ね合いもあるから、レンジャーは広場の中を隅々まで歩いてきたわけではない。大雑把に、だが、敵の動きの推測が容易な程度の斥候を行い、そして、戻ってきたのである。そんな中、彼はとんでもないものを見たという。
「そいつは……」
 と、ナジクが説明しようとしたその時、彼の声を遮るかのように、奇妙な咆哮が轟いた。
 説明しづらい咆哮である。敢えて表現するなら、牛の声に鹿の声を重ね、角笛ホルンの轟きを加えたような、というのだろうか。しかし、その声は、エトリアの冒険を生き抜いたものや、ハイ・ラガードの世界樹を『ウルスラグナ』と同じくらいまで登ってきたものならば、幾度も聞いた記憶のあるものだった。
 まごうことなき、世界樹の迷宮に巣くう鹿どもの狂乱の声。
 ただし、声量は、今まで聞いてきたそれらを凌駕する。
「オマエが言うのは、今の声のヌシのことか?」
 エルナクハの問いに、金髪のレンジャーは言葉なく、こくりと頷く。
 百聞は一見に如かず、ナジクに招かれて、『ウルスラグナ』一同は、広場の東の方に足を向けた。
 その間に、無意識ながら、確認したことがある。確認が終わった後、その結果を表層意識に立ち上らせて、冒険者達は歩きながら疑問をぶつけ合うのであった。
「……足りなく、ないか?」
 一時足を止め、ざっと周囲を見渡し、今度ははっきり意識して『確認』を行う。
 死体が、想定数から一人分足りなかった。
「……さっき検死した分は、ちゃんと数に入れてるよな」
「ん、入れてる」
 『ウルスラグナ』は顔を見合わせた。
 数え間違いかもしれない。見えないところに斃れているのかもしれない。だが、もしかしたら、という希望が、そこにある。
 たった一人だけでも、生き延びて逃げているかもしれない、という希望だ。
 ただし、逆に言えば、絶望でもある。
 どこにいるのか判らない生存者を捜し、戦闘が即、死を意味しかねない魔物に注意しながら、この惨劇の舞台である全域を探索しなくてはならないのだ。

 冒険者が辿り着いたのは、広場の南東付近に位置する場所。そこからは、東に横道が延びていて、それは森の奥へと続いているようだった。
 アベイが屈み込み、何かを拾い上げる。
「見ろよ、メディカだ」
 まだ封が切られていない小瓶の中には、薬品が詰められている。視線を動かしていくと、メディカだけではなく、何かしらが点々と落ちている。どこかの童話のパンくずのような役割をしているかに見える落とし物の列は、横道の奥へと伸びているようだった。おそらくは、荷袋が破れて、そのような状態になったと思われる。
 もしも、唯一と目される生き残りがいるとしたら、この道の奥だろう。
 そう冒険者達は考えたが、そうは問屋が卸さない。そもそも『ウルスラグナ』がこの場にやってきたのは、ナジクが見た『とんでもないもの』、狂乱の吠え声を放つ魔物とおぼしきものを確認するためだ。そして、目的の魔物は、その横道を塞ぐように陣取っていたのである。
「こいつは、まぁ……」
 エルナクハは魔物に注意深く近付き、感心したような呆れたような声を漏らした。
 角鹿どもと、基本的な形は変わらない。だが、ひとまわり、否、ふたまわり以上、大きかった。その分、奴ら自慢の角も大きく、まるで大樹の枝のよう。毛皮の下からも、その足のバネがどれほど強いのかが、ありありと見て取れる。その足と角が、真紅に濡れているのを見て、聖騎士は腹の底から湧き上がる激情を感じた。
 扉を開ける前にナジクが感じた『異質な気配』の正体も、こいつだろう。
 まさに、狂える角鹿達の主、名付くならば『激情の角王』とでも言うべきか。
 燃えるような殺気を放ちながら、炎を凝縮したかの輝きを持つ瞳で、そいつは『ウルスラグナ』達を睨め回した。
 だが、どうしたことだろう、角王は、それ以上の行動を見せない。
「……危ないぞ」
 自分のことを棚に上げてそう言ったのは、ティレンが近付いてきたからだった。しかし、赤毛の斧使いは、静かに首を振ると、じっと角王を見つめる。
「だいじょうぶ。こいつ、襲ってこない。……今は」
「今は?」
 ティレンは頷いて続きを言葉にした。
「おれ達が強いって、わかってるよ、こいつ。おれ達を襲えば、自分も傷ついて痛い、ってわかってる、たぶん」
「なるほど、王様だけあって、お利口さんなんだな」
 エルナクハが鹿を揶揄するように口にすると、ティレンはエルナクハに視線を移した。
「でもね、これ以上、こいつに近付いたら、襲ってくるよ。容赦しないと思う」
 朴訥な口調と、真っ直ぐな瞳の中には、いつものごとく、冗談も嘘の欠片も見いだすことはできなかった。
「こいつ、わかってるんだ。おれ達に絶対勝てるって、おれ達なんか簡単に殺せる、って」
「オレらを襲えば傷ついて痛ぇ、なのにか?」
「おれ達だってそうだよね。魔物と戦って痛いけど、でも、勝てるじゃん」
 なるほど確かにティレンの言うとおりだ。戦いで負傷が避けられないということは、勝てないということとは同義ではない。
 それはそれとして、困ったものだ。この角王は、必要以上にこの場から動く気はないということ。加えて、必要以上に冒険者が近付けば殺すことをもいとわないということ。つまりは、ひょっとしたらこの道の奥にいるかもしれない、唯一の生き残りを捜すこともできないということだ。
「ナック、どうだろう、アレは使えるかな」
「アレ……って何だよ、ユースケ」
「おいおい、何でも屋さん大臣閣下からもらったアレだよ」
 呆れたようにアベイはいうが、いきなり代名詞で示されては、わかるものもわかるまい。ともかくも彼が荷物の中から出したのは、何かの実を加工したとおぼしきものであった。
 『ウルスラグナ』一同は、大公宮で大臣に謁見した時のことを思い起こした。

「そうそう……、あと、これを渡しておく」
 しわだらけの大臣の手に招かれたエルナクハの手の上に、そっと置かれたのは、何かの実を加工したとおぼしきものであった。紐が付いているそれを取り上げて、しげしげと観察してみると、紐を持ってぶら下げた時に真下に当たる部分に、一筋の細長い穴が穿ってある。その形を見て、思わず軽く振ってみると、ころころ、と音がした。
「それは、衛士達に自衛のために持たせておるもののひとつ、『引き寄せの鈴』というものじゃ」
「……なぁ大臣サンよ、危険を引き寄せちまって、意味あんのか?」
「それはの、獣避けの鈴が効かぬような魔物対策のものじゃ」
 大臣は目を細めると、穏やかに話を続けた。
「樹海で採れる、鉄のように硬い表皮を持つ木の実――我々が『鈴鉄』と呼んでいるものを材料に作り上げたものなのじゃが、それを加工して作り上げた鈴には、魔物を眠らせて動きを止めたり、引き寄せたりすることのできる力があるのじゃ。敵わぬ魔物の動きを止めたり、調べたい場所を邪魔しているような魔物を退かせたりできる、便利な鈴じゃよ。全ての魔物に効く訳ではないが、何かの役には立つじゃろう。最後のひとつじゃ、そなたらが有効に使ってくれ」
「最後のひとつ?」
 エルナクハの疑問に、大臣は、厭うことなく答えたものだった。
「材料が足らぬでな。行方不明になった衛士達が、ついでに伐採してくる、と言ってくれてはいたのじゃが……そなたらが樹海でその実を見付けたなら、シトト交易所の職人達が加工してくれるじゃろう。……ともかく、衛士のこと、よろしく頼んだぞ」

「なるほど、全滅覚悟でぶち当たるより、お利口さんな手段か……」
 アベイから受け取った引き寄せの鈴を、エルナクハは、ころり、と鳴らしてみる。冒険者達の様子を観察していた角王が、その瞬間に、ぴくり、と耳を動かした。何かを刺激されたのか、ふうっと荒い息を鼻から吹き出す。がっ、と地面を蹄で蹴り掻き、今にも冒険者達に向かってきそうだった。だが、判断力の方が勝ったのか、結局はその場から動きはしなかった。
「あ、反応した」
「どうやら、効かないってわけじゃないみたいだな」
 ソードマンとメディックが頷く前で、パラディンもまた頷き、仲間達に向き直る。
「さて、ここからが肝心だぜ。誰が猫の首に鈴ならぬ、角王の前で鈴を鳴らすかだけどよ」
 と口にはするが、実のところ、決まっている。こういったことを手がけるのは、不測の事態があっても逃げ延びられるように、防御に長ける自分か、身のこなしの軽い――。
「ナジ――」
「やります!」
 レンジャーの名を呼ぼうとした声が、別の声に遮られた。訝しげに声がした方を見ると、そのにいるのは、義弟である金髪のアルケミストであった。
 エルナクハも呆気にとられたが、それよりもなお不審げにフィプトを凝視するのは、指名されるはずだったナジクの方。こういうことは自分の役目である、と思いこんでいたからだろう。
 仲間達の四対の視線にさらされ、錬金術師は、幾分か遠慮がちに口を開く。
「あの、小生は、この半月で、自分が冒険者としての生活にそこそこ慣れてきたと、思ってました。……いえ、そう思いこんでました。現実は、何ひとつ見ちゃいなかったんです」
 蒼色の瞳が、自分に向けられた視線を跳ね返す破邪の鏡のような、鋭い輝きを放った。
「小生はただ、もともと冒険者として経験の豊富な皆さんの後をついて、それで自分も強くなったと思っていただけだった。実際は、かつての教え子の一人も護れない、しがない錬金術師に過ぎない……」
「思い違えるな、フィプト」
 長い金髪をなびかせたレンジャーが、苛立ちを抑えたような声で叱咤する。
「見知った者が息絶えているのを目の当たりにして、あんたはそう履き違えているだけだ。衛士は、そこらの一般人じゃない。大公宮から課せられた己の役目を果たすために、危険を承知で樹海に踏み込んでいる。冒険者には、衛士達の末路に責任を持つ理由はない。始めから、護衛しろ、という依頼でも受けていれば、別だがな」
 エルナクハが所在なさげに掌の上でもてあそぶ鈴を、ナジクは奪い取り、さらに声を荒らげた。
「現実を見ていなかった? あんたは今も、現実を見ていないんだ。知り合いだからって、衛士の死に一度や二度出くわしただけで、判断を狂わせている。あんたがするべきことは……」
 そう言いながら、レンジャーの青年は、角王の前に進み出る。右手に鈴を持ち、催眠術師が被術者の前に貴石の環を出すように、魔物の目の前に突き出した。
「フィプト、あんたがするべきことは、あんたができることで、誰かを補助すること、それでいいんだ」
「しかし!」
「……ん、わかった、頼む、センセイ」
 不意に横から黒肌の騎士が割り込んで言う言葉に、フィプトは顔を輝かせ、ナジクは不条理を耳にしたかのように顔をしかめた。だが、エルナクハが鈴を自分の手から取り上げフィプトの手に渡す間には、レンジャーの青年は文句を口にはしなかった。
「とにかくセンセイ、奴に近付きすぎないことだけは、頭にしっかり入れとけよ」
「了解、です」
 アベイやティレンも、ナジクが声を荒らげたから出る幕がなかったものの、アルケミストの行動を心配していないわけはない。そんな仲間達に笑みかけると、鈴を受け取ったフィプトは、緊張を露わにしながら、角王の前にしかと立つ。
 その後ろ姿を見ながら、ナジクは不満げにエルナクハに訴えた。もちろん、フィプトに聞こえるような失態は犯していないが。
「お前にもわかるだろう、エル。フィプトにあんな役をさせるのが、どれだけ無謀なのか」
 だからこそ自分ナジクを指名しようとしたんじゃないのか、と続けようとするレンジャーの口は、エルナクハの一瞥で塞がれた。決して睨んだり凄んだりしているわけではない、ただ、その眼差しの中に、芯を見て取ったのだ。
 聖騎士は、野伏の青年を安心させるかのように、にんまりと笑うと、静かに口を開いた。
「オマエが言ったくらいのことは、たぶんわかってると思うぜ、センセイはよ。でも、それでも、この役をやりたかったと思うし、オレも、話を聞いてるうちに、センセイがやるべきだなって思ってよ」
「なぜだ?」
「口でいろいろ説明したくてもうまくいかねぇんだけどよ、つまりは『ケジメ』付けてぇんだよセンセイは、たぶんな」
「ケジメ……か?」
「ああ」
 エルナクハは、昔を思い出すかのような眼差しで、フィプトの動向を捕捉しながら、言葉を続けた。
「なんかわかんないけど今のままじゃだめだ、そう思う時って、男には必ず来るもんだろ? ……いやまぁ、女にもあるかもしんないけどよ。そういう時に、困難なことをやり遂げることで、一皮剥けようとするっつーかなんつーか、つまりはセンセイはよ、オレらにおんぶだっこのままじゃだめだ、って、そう思ったんだろうよ」
「それはない! フィプトは僕達にとって充分力になってくれてる! おんぶだっこなんてことは――」
「オレだってそう思うさ。けどよ、こりゃセンセイ自身の気の持ちようの話なんだよ」
 だから今は見守るしかねぇよ、と話を締めたパラディンに、レンジャーはそれ以上は何も言えなかった。
 エルナクハの瞳が真剣みを帯びて、状況を見守っているから――それも、無論のことではある。
 だが、それ以上に、ようやく、フィプトの気持ちがわかったような気がしたからだ。
 例えば、男が大人として迎え入れられる時には、いわば『通過儀礼』として、危険も予想されるようなことを行うことがある。少なくともナジクの部族はそうだった。猛獣を弓矢一組だけで仕留め、己が成人として迎え入れられるに相応しいか否かを自ら証明する。余談だが、その時仕留めた猛獣の毛皮をなめし、好いた娘に渡すのが、ナジクの部族の求婚であった。それが娘自らの手で外套や下裾などに仕立てられて戻ってくるのが、承諾の返事代わりである。
 話がそれたが、フィプトの今の行動も、突き詰めれば、『通過儀礼』と同じだ。冒険者達は、共に入国試練を突破したことがそれだと思っていたし、今の今まではフィプト自身もそう思っていただろう。だが、今現在の事態に立ち会うことで、フィプトは、自分の『通過儀礼』は終わっていなかった、と悟ってしまった。だからこその今の行動なのだ。ブランクがあるとはいえ一度は迷宮を突破した自分達すら、まともに向き合えば死を覚悟するほどの魔に対し、戦うわけではないとはいえ、一人でその前に立つという。
 それはわかった。わかったけれど。
 ナジクは両の拳を固く握りしめる。それでも錬金術師の行動は、彼にとってはあまりにも無謀に見えたから。

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