←テキストページに戻る
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・23

 大公宮を訪ね、按察大臣への目通りを乞う。どういうわけか「出直してほしい」と告げる侍従長を説き伏せ、謁見の間に通された『ウルスラグナ』探索班が目の当たりにしたものは――杖を己の掌にぽんぽんと叩きつけつつ、ぶつぶつと何事かをつぶやいている大臣であった。
「困ったことになったものじゃ。いったいぜんたいどうしたら……」
 似たような主旨の言葉を何度も何度も繰り返しつぶやきながら、苦悩の表情を浮かべる大臣。さしもの『ウルスラグナ』も少しばかり困って、互いに顔を見合わせた。ついでに侍従長に目をやると、「だから出直してほしかったのだ」と言いたげな表情を浮かべている。
 が、直感で、大臣の困り事こそがフロースガルの懸念と関わりがあるのだと見越した一同は、とにかく大臣に声を掛けようとした。
 その必要はなかった。気配に気が付いたのか、大臣の方が顔を上げて『ウルスラグナ』を見据えたからだ。
「……っ」
 しばらく、双方が凍り付いた。
 十数える間にも満たないその間に、大臣の目にみるみるうちに輝きが蘇る様は、ある意味圧巻だっただろう。
「そなたらは確か、『ウルスラグナ』! よいところに来てくれた!」
 一番手近にいたエルナクハの手を取り、ぶんぶんと振る大臣。
 振り解くわけにもいかず――そのつもりもないが――、エルナクハはちょっと困ったが、とにかく話を進めることにした。
「何でも屋大臣サンよ、一体全体今度は何を抱え込んでるんだよ」
 初日の対面以来、エルナクハが大臣を呼ぶ名は、『何でも屋大臣』に固定されていた。一度ティレンを庇ってそう呼んだからには突き通す必要があろう、というのが彼の説明だが、実は楽しんでるだけだ、というのが他の仲間達の見立てである。呼ばれる方もこの珍妙な渾名を楽しんでいるようなのが救いであった。
 常に穏やかに冒険者達の無礼を受け流してくれる好々爺は、しかしこの時は、厳しい表情を崩すことはなかった。
「そなたらに危険を承知で頼みたいことがあるのだ。おそらくは危険な任務、無理強いはできないが……この老体を助けると思って、聞き届けてはくれぬか……?」
 冒険者達の誰もが、薄々覚悟していたことが現実になった、と思った。
 エルナクハは一応、仲間達を見渡した。大臣の依頼受諾の是非を問うためだ。もっとも、この期に及んで断る意味もない。先に進む為には、フロースガルが塞ぐ扉の向こうで何が起きたのかを知らなければならないし、おそらくそれが、大臣の困り事と直結しているだろうから。
 ギルドマスターが仲間を代表して強く頷くと、大臣は何度も何度も頭を下げるのだった。
「すまぬのう、すまぬのう、感謝するぞ。では、詳細な話をするとしよう……」

 大臣の話は、要約すると以下の通りである。
 公国の衛士は、治安維持と新米冒険者の保護を兼ねて、浅い階の巡回を行っている。かつて第二階層に挑んで歯が立たなかった衛士隊ではあるが、第一階層ならば危険の度合いも比較的少なく、巡回も可能だったからである。
 つい昨日、皇帝ノ月十五日の昼頃にも、十名からなる巡回部隊が樹海に踏み込んだ。
 巡回部隊は、ほとんどが数日を樹海内で過ごす。それでも、毎日、大公宮に遣いをよこし、連絡を欠かさないようにしている。問題の隊の最初の連絡は、遅くても翌日――つまり本日、皇帝ノ月十六日――の夜明けまでにはあるはずだった。
 それが、なかった。
 アリアドネの糸も携帯しているはずの彼らが、ただの一人も連絡に帰ってこないとなれば――おそらくは連絡すら叶わぬ何かがあった。
 ここ数ヶ月、樹海の魔物がそれまでよりも増えてきているという報告もある。あるいは、衛士達も……。
 調査の為に新たな衛士隊を差し向けるべきかもしれないが、昨日の衛士隊は選りすぐりの者達ばかりだったのだ。そんな彼らすら戻らない危地に、今度は誰を差し向ければいいのか……。
「この老体の思いも及ばぬことが、樹海の低層で起きているのかもしれぬ……」
 大臣は苦悩の表情で首を振る。その様は、大臣の位からすればただの部下に過ぎぬ衛士達を、身内のように心配していることが、ありありと見て取れた。
「本来ならば、『ベオウルフ』や『エスバット』といった名高いギルドに依頼するべき事柄かもしれぬ。他のギルドに任せるには危険すぎる。だが、『ベオウルフ』は多くの仲間を失い傷ついていると聞く。『エスバット』は統轄本部や大公宮に姿を見せぬ。困り果てていたところに、そなたらの来訪じゃ。これぞ何かの導きやもしれぬ。そなたらとて、エトリア樹海の探索から長く日を空け、再びの探索を始めてからは一月にもならぬが……」
 それでも、と、大臣は決意の光を眼に宿し、真正面から『ウルスラグナ』のギルドマスターを見据える。
「エトリアで名を馳せたそなたらだ、この老体は、そなたらがブランクを乗り越え、危機を乗り越えてくれると信じておる。いつか『ベオウルフ』や『エスバット』を超える冒険者になるじゃろうとな! だから……」
 エルナクハの手を握る、枯れた指先に、精一杯の力がこもった。
「よろしく頼む! どうか……何が起こっておるかを調べ……彼らがまだ無事でおるなら救い出してやってくれ!」

「あいつらのこと……だよな、たぶん」
 というアベイの言葉に、エルナクハとナジクは昨日のことを思い出した。探索の帰りに、樹海前で見かけた、十名ほどの衛士達である。帰らないのはきっと彼らのことだろう。自分達の挨拶に律儀に敬礼を返してきた姿が思い起こされる。
 わずかでも接点があった、という事実が突きつけられると、なおさらに心が痛む。
 だからこそ、冒険者ギルドの中も騒然としていたのだ。顔見知りが行方不明ともなれば、心配しない方がおかしい。
 入国試練のことも思い出した。試練監督役の衛士のヘルムの下にあったのは、ラガード人でもあるフィプトの顔見知りのものだった。ハイ・ラガードは小さな国だ。その分、知人も多くなろう。子供達を預かって教育する立場のフィプトなら、なおのこと。
「センセイ」と、エルナクハは声を上げる。
「なんなら、待機してもいいんだぞ」
「お気遣いありがとうございます、義兄さん。でも大丈夫です、行きます」
 顔はやや青ざめていたが、それでもなお、眼差しに強い意志を秘め、アルケミストは頷いた。
 ほんの一時間ほど前のように、磁軸の柱に触れて、三階まで飛ぶ。
 長髪の聖騎士フロースガルは、相棒のクロガネを伴って、最後に会った時と同じように、扉の前にいた。
「どうやら話を訊いてきたようだね」
「ああ」
 一同を代表してエルナクハは返事をする。
「問題は、その扉の向こうにあるんだな」
 明確な答えこそなかったが、苦々しげなフロースガルの表情と声が、『是』の意を表していた。
「先に進むがいい。行方不明の衛士については、君たちに任せる。私たちにも、やらなければならないことがあるからな」
 後半の言葉は、傍らの相棒に向けているようでもあった。フロースガルは扉の前から退くと、『ウルスラグナ』一同の脇を歩いていく。ふ、と足を止め、振り返って告げた。
「……忠告しておこう。衛士の行方不明の理由は、その扉の向こう――多くの鹿が狂ったかのように暴れていることにある。油断していれば思わぬところから攻撃を食らうこともあろう。常に緊張感を持ち、可能な限り戦わずに進むことだ」
 長髪の聖騎士は、その相棒と共に去っていく。彼らを見送った後、『ウルスラグナ』一同は扉を見据えながら考えた。
 フロースガルの『行方不明』は、極力彎曲的に状況を述べた言葉だろう。彼は昨日の夜か今日の早朝か、扉の向こうで『衛士達』を見た。そして、その原因である『狂ったように暴れる鹿の群』を見て、力量と覚悟の足らない冒険者達が不用意に扉の向こうに踏み込まないように、塞いでいた――おそらくは。
 たぶん、問題の衛士達は、すでに……。
 不意に、ナジクが進み出た。フロースガルがやっていたように、扉の前に立ちふさがる。その碧色の眼差しは、まっすぐにフィプトを見つめていた。
「フィプト、あんたは、極力、エルの背に隠れていた方がいい。エルの背だけを見ているんだ」
 その言葉は、パラディンの護りに身を委ねろ――という意味ではない。全員がそれを察知した。同時に、どうしてフロースガルがフィプトのことを気にしていたのかも、憶測ながら理解した。
 かの聖騎士は、『ウルスラグナ』の噂を聞いている、と言った。その切り込み隊長であるティレンのことも知っていた。つまりは、『ウルスラグナ』全員の名を知っていると見ていいだろう。顔までは知らずとも、職を知っていれば、出会った時に名と顔を一致させることは難しくない。逆に言えば、『ウルスラグナ』が噂の源であるエトリア樹海の踏破を果たした時、『ギルドに誰がいなかったか』も判るはずだ。その者がハイ・ラガード樹海の探索に参加しているなら、樹海の真の恐ろしさにまだ慣れきっていないだろうことも。
「小生は……小生は……」
 フィプトは血の気の引いたような顔でつぶやく。手の震えに連動して、錬金籠手アタノールが、かたかたと音を立てていた。その音が止んだのは、フィプトが拳を作り、震えを止めたからだ。
「行きましょう。全てを確認して――大公宮に報告しなくてはなりません」
「――わかった」
 ナジクは頷いて、扉の前から退く。代わりにエルナクハが扉の前に立った。
「みんな、ハラに力入れとけ。……開けるぞ」
 掌だけが白い、黒い腕が、扉に手をかける。
 そして、重々しい音と共に、扉が開かれた。

 扉が開ききって、その向こうにある光景をさらけ出すよりも早く、状況を伝えてきたのは、大気を赤黒く染めてしまいそうなほどに濃厚な、鮮烈な血の香であった。
 そして、目の前に広がるは、広大な領域の中に、ところどころ、立木が広がる光景。
 その中にある、見るもおぞましい惨劇。
 さすがのエルナクハも、顔を歪めた。
 周囲の地面は鮮血に染まり、凝固しかけた生命の水が、樹海の木漏れ日を反射して、てらてらと光っている。
 血染めの草を敷布として、累々と連なるは、それが元々、人間だったのか、と疑いたくなるような、衛士の死体であった。
 その生命を護るために頑丈に作られたはずの、職人達自慢の鎧は、原形をとどめないほどに無惨なへこみ方をしている。その中にあったものがどんな状態にあるかなど、想像もしたくないほどであった。どうしても防御が薄くなってしまう関節は、人間にはあり得ない曲がり方をしていた。ヘルムも、その形を歪め、もう外すことができないだろうと見込まれるほどのものも散見していた。
 エトリア樹海でも、このような状況の屍に出くわすことは、なくはなかった。たまたま獣に食われずに、蟲が湧くまでに至った、最もひどい状態のものも見たことがある。
 だが、今回は規模が段違いだ。単純に考えて、十人。それでも、『経験者』達はまだいいが……。
 背後で、うめく声がしたので、振り返る。たった今思考の片隅に現れた義弟が、顔面を蒼白にして、口元を抑えていた。
「フィプト」
 ぼそり、と彼の名を呼んだのは、レンジャーであった。声を掛けられるとは思っていなかったのか、びくり、と肩を震わせるアルケミストに、ナジクは指先を舐めて立てた後、とある方向を指し示す。
「……風下はあっちだ」
「……恐縮です」
 フィプトは足早に示された方向に去り、手近な茂みの中に踏み込む。胃の中のものが逆流して、吐き出さざるを得なかったのだろう。やがて、すっかり腹の中を空にしたらしいアルケミストは、布巾で口元を抑えながら戻ってきて、ぺこりと頭を下げた。
「すみません、無様なところをお見せしました……」
「……しゃあないさ、こればっかは」
 そう口にしたのはアベイだったが、その場にいる全員が同じ思いだっただろう。
 ともかく、冒険者としてミッションを引き受けたからには、状況に怯えたままでいるわけにもいかない。
 推測するに、『事』が起きてからは、さほどの時間は経っていない。おそらくは、早朝から活動する冒険者達が樹海に立ち入るより、少し早いくらいだろうか。
 本来、樹海内で発生した動物の屍肉は、肉食の獣に食われ、かなり早い段階で消失することが多い。もちろん、幸運にも――この場合は『不運』だろうか?――残り、ゆっくりと腐敗、分解を遂げるものも、あるにはある。ただ、今回の場合は、単純に、間が経っていないことによるものだろう。
 『原因』が、鹿だから、という理由もあるだろう。奴らは凶暴だが、本来は草食だ。他の生き物を殺すのは、縄張りを侵した者を排除しようとした結果に過ぎない。生産した屍を喰らう意味はないのである。
 その原因は、どうやら、立木の向こうから、新たな侵入者達の様子を窺っているようだった。彼らの習性からして、縄張りに踏み込んでいないものまでもを攻撃しに来ることはないはずだが……。
「……ちょっと、磁軸計を貸してくれ」
 ナジクが差し伸べた手に、今現在の磁軸計の管理者であるアベイが、要求に応えて水晶板を載せた。
「行ってくる。ここで待っててくれ」
 ナジクは身を翻すと、危険のただ中に飛び込んでいった。鮮血に染まった下草を踏みしめ、おぞましい惨劇の狭間を縫うように動きながら、広場の中を駆け抜けていく。
「ナジク、あぶない」
 と言いかけたティレンを、エルナクハは止めた。聖騎士とて、気持ちは剣士の少年と同じだったが、声は出せなかったのだ。ナジクの行動は無謀に見えるが、ある意味では有効な手段だからだった。
 本来、磁軸計は、感知したことがない場所にいる『敵対者f.o.e』の殺気を捉えることができない。単純に言うなら、『冒険者が行ったことがない場所にいる『敵対者』の動きは掴めない』ということだ。逆に言えば、『行ったことにある場所の『敵対者』の動きは、容易に掴めるようになる』ということでもある。二階で角鹿達の動きを読みとって、その縄張りを突破できたように、この惨劇を引き起こした鹿どもの逆鱗に触れないように、状況を確認するのも、容易になるだろう。
 そして、レンジャーというものには、樹海の中であれ外であれ、そういった、斥候としての役目もあるのだ。
 おおよそ一時間ほど、冒険者達は、じりじりとレンジャーの帰還を待つ。もちろん、ただ待っているだけではない。さしあたって近くにある屍の一体を検証していた。
 運がよかったのか、別の要因か、その屍は、他のものに比べれば損傷が軽かった。それでも、鎧やヘルムのへこみは、彼が死に至るに充分すぎるほどの衝撃を受けたことを、雄弁に語っている。鹿の蹄に掛けられたことは間違いないだろう。貫通したような穴は、角によるものだと思われる。
 アベイがヘルムに手をかけ、しばらくの躊躇の後、思い切って外した。
 その下から出てきたのは、想像以上に若い青年の顔だった。おそらくはアベイと同じくらいだろう。その頭蓋には激しい陥没の跡がある。へムルのへこみようから想像が付いていたことではあったが。
 検死の様子を漫然と眺めていたフィプトが、悲鳴を上げた。その口から誰かの名のようなものが飛び出したのを聞きつけ、エルナクハは問うてみる。
「知り合いか、センセイ」
「……二年前に小生の私塾で学んでいた方です」
「……そ、か」
 ハイ・ラガードは小さな国だ。その分、知人も多くなろう。子供達を預かって教育する立場のフィプトなら、なおのこと。
 迷宮に再突入した時のそんな感慨を、改めて思い起こす。
 ナジクが戻ってきたのは、そんな、冒険者達が沈痛な思いに包まれていた時のことであった。

NEXT→

←テキストページに戻る