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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・21

 やはり『世界樹の迷宮』は一筋縄ではいかない。
 それが冒険者達の共通認識である。
 三階到達から間を置かずして、『ウルスラグナ』は、世界樹に挑む冒険者達の主な死因の一つであろう、災厄に出くわした。
 その名を『刈り尽くす者』と呼ばれる、人に倍する大きさのカマキリ。
 エトリアでも同種のものがいたが、そちらは『全てを刈る影』と呼ばれていた。ハイ・ラガードではエトリアの樹海を知らない冒険者達が名付けたものが、名称として定着したのだろう。だが、名こそ違えど性質は似通っていて、そして――多くの冒険者が、その鎌によって探索と人生を終了させられたところまでもが一緒だった。
「ああ、ちくしょー。半年前だったら楽勝だったんだけどなー!」
 エルナクハが髪を掻きむしりながら嘆いたものだ。ちなみに半年前といえば、『ウルスラグナ』がエトリア樹海の秘部・『真朱の窟』に挑んでいた頃である。第一階層の魔物など、『敵対者』であっても容易く吹き飛ばせた。
 だが、数ヶ月のブランクを経た今は、そうではない。新米冒険者だった頃に感じたものと同じ威圧を放ち、偉大なる鎌の主は立ちはだかっている。救いといえば、相変わらず獲物を追う足が遅いということである。
 鎌の王達が徘徊するエリアを、『ウルスラグナ』は二日をかけて突破した。
 奴らがおらずとも、新たな階に巣くう魔物達は一段と厳しい相手であったのだ。例えば、目が覚めるほどに真っ赤な大角を持つ、サイに似た魔物。そいつらは力を溜め、強力な突進攻撃を行ってくる。動きが読みやすくて避けやすいのが救いだったが、一度、逃げ損ねたエルナクハが吹き飛ばされて大怪我をした。
 その時、魔物はパラスが掛けた『力祓いの呪言』の影響下にあった。彼女の力もまだ新たな樹海では十分通用しないとはいえ、守りの雄パラディンにその効果を加えてさえ、この状況である。やっぱり急ぎすぎるのはよくない、というのが、『ウルスラグナ』が満場一致で下した決断であった。
 ただ単に魔物が強いから、ではない。『刈り尽くす者』に捕捉されている状態で、その縄張り内で魔物に手こずっていれば、いくら、かの鎌の主の足が遅いとはいえ、追いつかれてしまう。その時は、『ウルスラグナ』の、少なくとも五人の命日となるだろう。
 それだけの注意を払った甲斐あって、ようやく『刈り尽くす者』の支配領域を抜けた時、探索班達は安堵の溜息を止めることができなかった。
 もちろん、一度支配領域を抜けたからといっても、本来ならば、次に訪れた時には再び恐怖を抱いて同じ道を辿る必要がある。だが、今回は、細い獣道を見付けることができた。その道は、先日フロースガルと名乗る聖騎士と出会った広場に通じていたのである。すなわち、次回の探索でも磁軸の柱を使え、かつ、カマキリどもの支配域を通らずに済むのだ。
「ちょうどいい、帰ってメシにしようぜ」
 エルナクハの決断で、アリアドネの糸が起動される。
 アリアドネの糸での移動先は、正確に述べるならば、世界樹入り口と一階を結ぶ緩やかな階段の途中である。踊り場のように広まった一段で、その両脇に、階段側面の壁からへこんだような空間が備えられている。入り口から見て右側の空間は、ちょうど、樹海を流れる磁軸が通る位置らしく、アリアドネの糸を発動させた場合は、必ずそこに帰り着く。もっとも、何かの間違いで糸に通す電力の量に過不足があった場合は、その限りではないそうだが。
 ちなみに左側の空間が何なのかは、まだわかっていない。『ウルスラグナ』としては、いつか樹海磁軸にお目にかかった時には、左の空間に樹海磁軸に繋がる流れが出現するのではないか、と目していたが、磁軸の柱のための空間かもしれない。ひょっとしたら単に、右側と均衡を取るためだけの空きなのかもしれないのだ。
 さておき、世界樹の外に出て、真昼時の陽光と外の空気を存分に浴びる冒険者達だったが、ふと、世界樹前に、衛士の一団がいることに気が付いた。、総勢十人ほどの衛士達に、冒険者達が軽く会釈をすると、彼らは一斉に敬礼を行ってきた後、それまで行っていたであろう、自分達の作戦説明に戻った。
「――目的は、先程述べたとおりである! 我らはラガード公国選りすぐりの衛士隊ではあるが、ゆめゆめ、警戒を怠るな!」
「衛士達も大変だなぁ」とアベイが感慨を漏らす。『ウルスラグナ』は彼らの世話になったことはまだないが、冒険者の中には、新米の頃、魔物に襲われて全滅しそうなところを、哨戒中の衛士に助けられた者もいる、という話も耳にする。今となっては冒険者のように未知の領域にまで出張ることはないのだろうが、公国は公国で、世界樹踏破を助けるための行動を起こしているのである。
 私塾に戻ると、留守番組が昼食の用意をして待っていた。探索班は必ずしも昼時に戻れるわけではないが、この日は出来たての食事にありつくことができたわけだ。
 焼きたてのパンと冷製スープに舌鼓を打った後、探索の疲れを癒すためにフロースの宿に行く前に、エルナクハは『ウルスラグナ』全員を前にして言い放った。
「明日の探索から、メンバー変えるぞ」
 変更は、前衛の攻撃手であるオルセルタをティレンに変え、後衛の補助手であるパラスを属性攻撃手であるフィプトに変えるものであった。せっかく磁軸の柱という新たな出発点を得たのだから、小細工抜きで破壊力主体のパーティでの探索を試してみよう、と考えたのだ。オルセルタやパラスとしては残念ではあったが、このあたりはやむを得ないだろう。そもそも、あまりメインの探索班に入っていない者もいるのである。
「……悪いな、マルメリ。どうもオマエの投入のタイミングが掴めねぇ」
「んー、別にいいわよぉ」
 恐縮する従弟を前に、黒肌のバードは呑気なものである。
「ヒロインは後からやってきて、颯爽と場をさらうものなのよぉ」
「オマエがヒロインってガラかよ」
「……パラスちゃん、腹踊り」
「オッケー、マルねえさん」
 すちゃっ、とパラスが呪鈴を構える。いつぞやかのゴロツキのような目に遭わされてはたまらないので、エルナクハは平謝りを重ねるしかなかった。
 戯れはさておき、マルメリは仲間の冒険譚を聞ければ充分と考えているところがあり、メインの探索班に加われないことはさほど気にしていないようである(もちろん、加われればそれに越したことはあるまいが)。エルナクハは従姉の呑気さ、もとい寛容さに感謝した。
 ともかくも、昼間の探索班はフロースの宿に体調を整えに行き、昼の探索に出なかった者にアベイともう一人を加えた一団が、夜の樹海に鍛錬に出る。昼の探索に出なかった夜組、すなわちティレン、マルメリ、フィプトが、今日はどの階で鍛錬しようか、と話し合うのを横目に、昼の探索班は宿へ行く準備を整えた。
 宿に行く者達が持参する、いわゆる『お風呂セット』に含まれる桶の底には、なぜか『けろいん』なる焼き印がある。宿から貸し与えられたものなのだが、どこであれ集団浴場の風呂桶には、大概、その焼き印がある。エトリアの『長鳴鶏の宿』でも同じで、これは古来からの伝統らしい。
「なんかの呪言なのかな?」
 とエルナクハはパラスに訊いたことがあるが、かなり古い血統を誇るカースメーカーである彼女にも分からないらしい。ちなみに前時代人であるアベイも知らないらしい。同じ前時代人の『世界樹の王』ヴィズルなら分かるかな、と考えたが、あいにく相手は故人である(そもそも殺したのは『ウルスラグナ』なのだが)。というわけで、『ウルスラグナ』は、きっと『のぼせ』防止名目の害も実効もないまじないだろう、と落としどころをつけたものだ。
 だが、本来は何か別の意味があったかもしれない。そう思うと、エルナクハは少し小難しいことを考えてしまう。
 『けろいん』なるものの真の意味が失われてしまったのと同様に、たとえば世界樹も、この世にある真の意味は失われて久しい。今のところ、真実を知っているのは『ウルスラグナ』やエトリア執政院上層部くらいか。いずれは世界に表明しなくてはならないことかもしれないが、少なくとも今は、時期尚早、と考えているのだろう。
 エトリアに働きかけて、ハイ・ラガード上層部ぐらいには、ことのあらましを伝えてもらった方がいいのか。否、もしもハイ・ラガードの世界樹が『世界樹計画』とは別口のものだった場合、先日のギルド長の話ではないが、大公宮の者達の視野を、間違った方に狭めてしまうことになるかもしれない。
 結局は、考えてばかりではだめだ。真実への糸口が目の前に存在する以上、最終的には、自分の目で事実を見据えなければならないのだ。

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