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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・17

 厨房から、きゃあきゃあという子供達の声に混ざって、女達の戯れの声が聞こえたので、エルナクハはそちらに足を向けた。
 私塾の厨房はかなり広い。もともとは市街拡張の作業員の宿泊所だったことを考えれば、それも当然だろう。彼らの毎度の食事を、一度に大量に作り、まかなっていたのだから。ちなみに、食堂も本来は広かったのだが、フィプトが建物を借りた時に、仕切りを立て、半分は倉庫にしてしまったそうだ。
 フィプトの私塾では、年少の子供を相手にする朝十時、年長者を対象にした昼一時、もう少し年嵩の若者達向けの夜七時、以上三度にわたって、二時間ずつの授業を執り行っている。今の時間は午後三時を過ぎた頃合い、授業が終わった年長組が厨房にたかっていると見える。そんなことになっている理由は、厨房から漂ってくるバターの匂いで知れた。
「あら、おかえりなさい、エル」
 厨房を覗き込んだエルナクハに眼鏡を外した顔を向け、舞い上がる小麦粉で白くしつつ応じたのは、綿棒で菓子生地を伸ばしているセンノルレであった。授業が終わった後、おやつと夕飯の支度を始めたのだろうが、焼き上がった菓子の匂いで、帰りかけた年長組が踵を返してきてしまったわけだ。
 今はともかく、かつては家庭的とは思えなかった女錬金術師だったが、料理は当時から外れがなかった。
「分量を守り、火加減を間違えず、処置を資料通りに行えば、変なものはできませんよ」
 とは当人の言である。特に菓子は、大雑把にやって「料理は愛情!」と叫んでもどうにかなる料理とは違って、レシピの分量通りにするのが大事、と言われるものらしい(と、エトリアにいた時分に、『エリクシール』のバードから聞いた覚えがある)。センノルレにとっては、錬金術の実験と等しく、化学反応を再現している気分なのかもしれない。
 そんな彼女の傍で、年長組の子供達が十数人、皿に山盛りのクッキーを争うように頬張っていたが、一斉に聖騎士を見た。
「お、おふぁえふぃ、へふはふはー」
 どうやら「お帰り、エルナクハ」と言われているらしいと目処を付け、エルナクハは笑んで返した。
「おうよ、ただいま、ノル、それにガキども」
 この私塾に世話になってから約十日――子供達との付き合いは、五日間の休暇があったために、その半分の期間だが、そんな短期間でも『ウルスラグナ』と子供達との関係は良好なものに落ち着いていた。そもそも『ウルスラグナ』自体が無体な集団ではなかったし、子供達も、この数ヶ月で急激に増えてきた冒険者というものに興味津々だったからだ。留守番組は授業が終わった子供達に軽く付き合ってやることもあった。エルナクハ自身も、護身術の初歩を教えてやったことがある。
「お帰りなさい、兄様」
「おかえり、エルにいさん」
 さらに二人の少女の声がした。エルナクハは彼女達の方を向いて帰還の挨拶を返す。いること自体は、声を聞いて判っていたが、
「今日は早いな、オマエら」
 二人の少女――オルセルタとパラスは、樹海探索に行っていたはずである。
「うん、アベイくんとフィーにいさんが限界だったから」
 ボウルに放り込んだ生クリームを泡立てつつ、カースメーカーの少女が答えた。
 アベイやフィプトは、薬品や触媒を調合して探索に役立てるというその技能の関係上、精神的な消耗が激しい。現段階では、彼らの治療術や錬金術は、探索に欠かせないものであった。そのため、今のところは、この二人の精神力が限界になったら、探索を中断して戻ってくる、という不文律ができていた。
「で、ヤツらはフロースの宿屋か?」
「ええ、広い風呂でくつろぐーって言ってたわ」と答えるのは、夕飯の仕込みをしているらしいオルセルタ。
 私塾という拠点がある『ウルスラグナ』は宿室を借りないが、宿の施設はよく借りていた。軽い傷なら常駐しているメディックが治してくれるし、風呂上がりのマッサージは身体のみならず心も程よくほぐされる。次なる探索に向けて英気を養うには、おあつらえ向きだったのである。
「そか」
 納得して短く答え、エルナクハは本題に移った。
「それにしても、ちょうどいいところに帰ってきてくれたぜ。パラス、オマエに頼みがあったんだ」
「私に、頼み?」
 パラスは褐色の瞳をまたたかせてエルナクハを見る。
「オマエのハトコ殿に手紙を出したいんだが、今度出す手紙と一緒にオレのを入れてくんないか?」
「えー」
 カースメーカーの少女は困った様な顔をした。どうしたの、と言いたげなオルセルタやセンノルレを、ちらりと見て、ばつが悪そうに答える。
「この間の、エルにいさんたちが入国試練に挑戦してる間に、手紙、出しちゃった……」
「また出しゃいいだろ?」
「んー、そうなんだけどね、返事が戻ってこないうちに手紙出しちゃうと、なんか、せっついてる感じがしちゃって……」
 パラスは肩をすくめると、ギルドマスターの目を伺う様に見つめた。
「……なんか、意外に深刻そうに見えるけど、急ぐ用事?」
「ああ、けっこう深刻なの、判ったか」
 エルナクハは苦笑を浮かべ頷くと、手紙を出す理由を語るのであった。
「あのよ、正聖騎士サマに、頼みたいんだ。『金貸してくれ』って」
「そんな手紙入れるわけないでしょー!」
 パラスが勢いよく机を叩いたので、打ち粉が空を舞う。吸い込んでしまったらしいセンノルレが、顔を背けて軽くむせた。
「まぁ、『金貸せ』は冗談だがよ」
 はっはっは、とひとしきり笑うと、エルナクハは続ける。
「でもまぁ、金が足りねぇのは確かだ。だからよ、エトリアに、誰か優秀な採集専門レンジャーは残ってねぇかと思ってな」
 エトリア樹海の探索の頃、探索者として数多の冒険者が迷宮に潜った。しかし、巣くう魔物は凶悪で、樹海の生物に対応した戦い方を身につけられない者は、遅かれ早かれ緑の闇に沈んでいった。一方で、探索者には、地上ではなかなか手に入らない珍しい産物の収拾も望まれた。そういったものは良い値で売れ、優秀な武具の礎となり、探索者に対しても利のあるものだった。とはいえ、樹海の魔に対抗する力と、樹海の富を採集する力、その双方を共に習得するのは難しい。余力のない探索序盤の頃ならなおさらのこと。
 そんな折、「だったら先に充分な資金を稼いでから探索に入ろう」と考えたギルドが現れた。大概のギルドが魔に対抗する力を先に得ようとする中、彼らは所属のレンジャーに頼み込んで、素材採集の手段の研鑽を最優先にしてもらったのである。その目論見は成功して、誰もが必ず通っていた、探索序盤の資金難問題を余裕で乗り越え、そのギルドは、意気揚々と探索に本腰を入れ始めたのであった――運悪く、『敵対者f.o.e』に出くわしてしまって全滅したのだが。
 考案者達はこの世を去ってしまったが、手法は他のギルドにも伝わり、仲間に採集専門のレンジャーを加える者達も多く出た。『ウルスラグナ』や、その最大のライバルであった『エリクシール』は、当初はそういう手法は取らなかった。そのころには、探索・戦闘技術の研鑽の合間に覚えた採集技術が拙いものであっても、倒した敵から得る素材の売却益があれば、どうにか資金が回るようになっていたからだ。だが、樹海の産物の中でも見付けにくいものの入手が必要となった時に、報酬と引き替えに力を貸してくれる、フリーランスの採集専門レンジャーの力を借り、認識を改めたものだ。
「もう樹海は閉じちまったから、みんないなくなってるかもしんねぇけど、もし誰か残ってたら、こっちに来て、力貸してくんねぇかなーってさ」
 ハイ・ラガードには、まだ利が薄いと見なされたのか、エトリアからのフリーランスは見あたらなかったのだ。
「そっかー……」
 パラスは納得したようだった。
「わかった。だけど、返事をもらわないうちにまた手紙を出すんだから、せっかくだし、こう、すごいお知らせになるみたいなこと、ないかな」
「うーむ、書けることっていったら、『三階に着きました』くらいかなー」
 相変わらずサボテンに苦戦している状況では、あと二、三日はかかりそうな気もするが。
 もちろん、ギルドマスターとして、すぐにでも手紙を書くように言えば、パラスはそうしただろう。そもそも、そんなに深刻なら自らしたためてエトリアに送ればいいことだ。だが、エルナクハはそうしようとは思っていなかった。深刻だとはいえ、まだなんとかなってはいたし、なにより、パラスと同様に、どうせなら、思いがけない土産話の一つでも相手に知らしめたい、という気持ちもあったのだ。

 結論を述べれば、パラスは、この三日後に、はとこに手紙を書いた。
 ハイ・ラガード迷宮の三階で遭遇した、ある出来事を添えて。

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