←テキストページに戻る
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・16

 このように、『ウルスラグナ』のバードが酒場の主人をからかっていた頃。
 同ギルドのギルドマスターである、黒い肌のパラディンは、中央市街、商業区の大通りを歩いていた。
 時は昼を若干下った頃で、街の人々の活動も一段落付いている。冒険者達も、活動している者はすでに樹海の中にあり、そうでないものは宿でくつろいだり街で買い物を楽しんでいたりする。中には、薬泉院でうなり声を上げる者達もいたりするが。
 では『ウルスラグナ』は今日は樹海探索を休んでいるのか、といえば、そうではない。彼らは優に十名を抱える大所帯のギルドである。磁軸計と『アリアドネの糸』――あらかじめ磁軸計に登録された、最大五人までしか転移させられない――の制限上、一度には半数しか樹海に潜れない。必然的に残り半数は街で暇を潰すか、なすべきことをするのだ。
 ここ数日、『ウルスラグナ』は、昼と夜で一度ずつの探索を試みている。今の時間、樹海に潜っているのは、オルセルタ、ナジク、アベイ、パラス、フィプトである。回復担当が必要なために、どうしても固定となるアベイは別としても、人数の多い『ウルスラグナ』は、『全員が樹海を楽しもう』という信条ゆえに、探索班の入れ替わりが激しい。
 樹海にもおらず、私塾で教鞭を執っているわけでもなく、酒場にいるわけでもなく、どこぞへ修行に出たわけでもない、『ウルスラグナ』残りの一人は、エルナクハの隣にいた。
 赤毛のソードマンが、誕生日のプレゼントでももらったかのように、にこにこと笑っているのは、誕生日ではないけれどいいものを買ってもらったからだった。カリンガという斧と、サボテンの幹を細く裂いた繊維で編み上げたグリーンブーツである。斧は腕に抱えているが、ブーツはすでに履いていた。
「そんなにうれしいか?」
 あまりにもにこにことうれしそうなので、愚問かな、と思いつつも、エルナクハは問うてみた。
「うん!」
 誰彼はばかることのない元気な返事に、黒い騎士は、「やっぱ愚問だったか」と苦笑する。
「エル兄、『ぐもん』って、なに?」
「ん、ああ、バカなこと訊いちまったか、ってことだよ」
「バカな、こと」
 納得して終わりになるかと思ったのに、なぜか赤毛の斧使いは顔を曇らせる。エルナクハは、およ、と声を漏らした。
「どうした、ティレン?」
「エル兄」
 ティレンは真摯な瞳でエルナクハを見据えた。エトリア樹海で生まれ育ったこの少年は、基本的に嘘偽りや冗談を口にしない。おどけに聞こえても彼自身にとっては真剣なのである。そんな少年が、他者から見ても明らかに深刻そうな表情をしている。
「エル兄は、『バカなこと』に答えたおれが、いやか?」
「何の話だ?」
 真剣なのは判るが、いまいち解せない質問である。首を傾げるエルナクハの前で、ティレンは話を続けた。
「せんせいが、『バカなこと』言ったのに、おれが、そのとおりに動いたの、いやだった?」
「センセイが……?」
 今現在に限れば、ティレンが『せんせい』と呼ぶのは、錬金術師フィプト・オルロードに他ならない。それが何故、今の話に出てくるのか、本気で判らなくて、エルナクハはしばらく考え込んだ。が、不意に、その意図するところを悟り、ああそうか、と得心する。要は、ティレンの思考が過去の件に向いたのに、エルナクハが付いていけなかっただけのことである。
 ――それは、現時点からすれば、つい昨日のことであった。
 『ウルスラグナ』探索班は、迷宮二階の東区域を探索していた。その時のメンバーは、手っ取り早く言えば、入国試験のメンバーのオルセルタがティレンに置き換わったものである。
 もうじき三階に手が届くというのに、未だにサボテンは強敵で、その日もティレンは前衛で敵と斬り結び、押し負けて地に伏した。同じ前列のエルナクハが膝を付かずにいられたのは、パラディンならではの守りの強さゆえのことだ。
 その戦闘は、どうにか切り抜けたが、今の『ウルスラグナ』にはただ一人の戦闘不能も大きな負担であった。しかもフィプトも神経をすり減らし、アベイは元気だが、探索の続行に渋い顔をした。無表情のナジクも、おそらくは反対に一票だろう。そして、エルナクハも同意見で、ためらうことなくアリアドネの糸を荷の中から引き出した。それで、その回の探索は終わるはずだった。
 視界の遙か彼方に、謎の光が見え隠れしていなければ。
 どうやら扉のようだった。どういう仕掛けが成せる技か、その表面に魔法陣のような光を浮かべていたのだ。
 アルケミストの術式が、それを知らぬ者には魔法のように見える仕組みで、物品に込められることは、知る者ぞ知ることである。見えているものも、おそらくは、そういったものだろう。だが、一見しただけではその効果までは判らない。そもそも、有用である術式である保証もないのだ。何より、それが術式なのか、という保証も。
 冒険者としては、未知の危険があるからと、及び腰になってばかりでは始まらない。が、今はだめだ。メモ用紙に光る扉の存在を記するだけにとどめ、アリアドネの糸の軸を磁軸計に接続しようとした――こうして、探索者全員が使うに足る磁軸の歪みを作り出すのに必要な電力を、糸に通すのである――ギルドマスターだったが、ふと眉根をしかめた。
 満身創痍のティレンが、斧を支えに立ち上がり、よろよろと歩きだしたのである。
「何してる、ティレン」
 当然ながらエルナクハは止めた。ソードマンは本当に無理をして動いているように見えたので。だが、黒いパラディンが差し伸べた手を軽くどけ、少年は歩き続ける。苦しみに細められる目が一心に見つめるのは、遠くに見える光の扉。
「おい!」
 さすがにエルナクハは声を荒らげた。その背後に、ひたりと寄ってきた気配がある。聖騎士は振り返って、それがフイプトであることを知った。
 どうした、とエルナクハが口を開ける前に、フィプトは先手を取って声を上げたのだ。
「行きましょう、義兄あにさん。彼が行けるというなら、行くべきでしょう。我々は冒険者、謎があるならば足を運ぶべきだ」
「……せんせいの、言うとおり」
 錬金術師の言葉を耳にして、ソードマンの少年が立ち止まる。
「ちょっと歩けば、すぐ着く。だから、せめてあそこまで、行く」
 エルナクハは沈黙した。そのときは自分でも何故かは判らなかったが、沈黙せざるを得なかった。出そうとした声が喉元に引っかかって言葉にならないのだ。ただ、ティレンがゆっくりと歩を進め、フィプトが添うように共に歩むのを、見送ることしかできなかった。
 止めなきゃだめだ、と、ギルドマスターとして、心が命じる。が、別の何かが、それを押しとどめるのだ。なぜだ、なぜなんだ、と自問自答しつつ、自らが課した心の枷を外そうと悪戦苦闘するエルナクハの耳に、怒声が届いた。
「いい加減にしろ、お前たち!」
 それはメディックの声だった。白衣を激しくひるがえらせ、大股でソードマンとアルケミストに近付いたアベイは、眉根を吊り上げ、紫色の瞳で二人を睨み付けた。
「メディックとしちゃ、お前たちの行動に賛成できないぜ! 余力があるならともかく、今の俺たちには、そんなものないだろ!」
「ほんのちょっと、歩けばいい」
 メディックの叱咤に動じず、ソードマンが反駁する。
「けが人は、おれ。おれが大丈夫って言ったら、大丈夫」
 はぁ、とアベイは深く深く溜息を吐いた。こんな時は口で言っても無駄、と悟ったのだろう。なにせエトリア樹海からの付き合いである。改めて表情を引き締め、視線は二人に向けたまま、後方に声を掛けた。
「ジーク、頼む!」
 その時エルナクハは、自分の手から磁軸計と糸が消えていることに気が付いた。消えた二つは、共に、いつの間にかティレン達に近付いていたナジクの手の内にある。糸軸を磁軸計に接続し、三ほど数えた後に取り外すと、レンジャーは糸を引き出した。糸が、自らが本来備える性質に従って、円を描くように繰り出された。まだ完成しないその円の内にはエルナクハ以外の四人が囲い込まれる。
「エル、早く」
 ナジクにせつかれ、我に返ったエルナクハもまた、糸の円内に足を踏み入れた。
 糸が、その性質によって、磁軸を歪め、その中に踏み込んだ者達を樹海の入り口まで運び去る。
 その場に残ったのは、四散しようとする糸と、「あ」と名残惜しげに叫んだティレンの声のこだまのみだった――というのは、その場を去った『ウルスラグナ』には、当然ながら判りようもなかったが。
 ――そんな事情を思い起こしながら、エルナクハは何度も頷いた。すがるような目を向けてくるティレンの頭に、ぽんぽん、と手を載せ、苦笑めいた表情を向ける。
「『バカなこと』だってのは、わかってたのか、オマエ」
「ん」
 こっくりと、ソードマンの少年は頷いた。
「もう、勝手なことはやるなよ」とエルナクハは釘を刺した。
「ねぇ、エル兄」
 少年は、青年のものによく似た緑色の瞳で、見上げてきた。
「おれのせいで、せんせいのこと、きらいにならないで。せんせいも『バカなこと』言ったかもしれないけど、動いたの、おれだから」
 およ、と、エルナクハは虚を突かれて声を漏らした。
「ひょっとして、見てたか。昨日の夜のこと」
「ごめん」
「おいおい、なんでオマエが謝るんだ」
 笑いながら応じるエルナクハに、ティレンは、おずおずと、探るような視線を向ける。
「エル兄がせんせいをなぐったところで、こわくて逃げた。エル兄、おれのことも、きらいになったかなって思った」
 それでか、とエルナクハは得心した。武具を買ってやった時のティレンの喜びように合点がいったのである。もちろん、買ってもらったことそのものがうれしいというのはあるだろうが、それに加えて、『自分は嫌われていなかった』という歓喜が上乗せされていたのだろう。
 エルナクハは、今度はティレンの肩を、ぽふぽふと叩いた。
「大丈夫だよ、心配すんな。センセイのこともよ、オレは好きだし、センセイだってオレのことはよ」
 ……嫌われてはいないと思うけど、と、内心で付け加える。
 自信がない、というほどではないけれど、他人の心である。果たしてフィプトが自分に向ける感情が、真にはいかなるものか、エルナクハには判りようもない。それでも、好意を持たれているとは思う。
 聖騎士に錬金術師の本心が判らないのと同様、斧使いにも聖騎士の呑み込んだ言葉は判りようもなかったようで、ティレンは、ぱっと顔を輝かせた。
「よかった! エル兄、ぼぐーっ、て、すごいいきおいで、せんせいなぐってたから」
「はっはっは、いいパンチだったろ?」
 拳を虚空めがけて勢いよく振りながら、エルナクハは豪快に笑う。
 その脳裏には、昨日の夜の出来事が再現されていた。
 ――そうだ、今、虚空を殴ったこの手で、自分は錬金術師を殴ったのだ。
 なぜって、こんなことを告白したからだ。
「すみません、義兄さん。小生は、自分があの扉を見たかったから、ティレン君が行きたい、というのを、利用してしまったんです」
 気が付けば、手が拳を作って、アルケミストを殴り倒していた。それでも無意識に手加減はしていたらしい。仮に本気で殴っていたら、フィプトはただでは済まなかっただろう。幸いなことに身体のどこかが損傷した様子もなく、フィプトはよろよろと立ち上がる。
 そんな彼に、エルナクハは言った。
「センセイ、オレを殴れ」
「――は?」
 仮に立場が逆だったとしたら、エルナクハもフィプトと同じような反応をしただろう。それでもパラディンは再びアルケミストを促した。しばしためらいがちに目を伏せた後、フィプトは拳を固めてエルナクハに殴りかかってきた。
 意外にいいパンチじゃねぇか――衝撃で仰向けに倒れながら、エルナクハはそんなことを思った。思えば錬金籠手はそれなりの重量がありそうだ。そんなものを身につける錬金術師は、少なくとも腕力は相応にあるのではないか。
「……義兄さん……?」
 立ち上がる様子のないエルナクハを心配してか、フィプトが覗き込んでくる。もちろん、彼のパンチはいいパンチだったけれど、立ち上がれなくなるほどの痛手をエルナクハに与えたわけではない。黒い騎士は、錬金術師に、「心配するな」と言いたげに笑むと、ぽつぽつと言葉を紡いだ。
「オレはよ、『ウルスラグナ』のギルマスだ」
「そうですね」
「ギルマスであるからには、自分一人の好奇心で仲間を危険にはさらせねぇ。ギルマス権限で無理矢理に探索方針を決めることもできるけど、それでみんなを危険にさらしたら、目も当てられねぇ。……冒険者ってのは危険に踏み込んでなんぼのオシゴトだが、少なくともみんながそれに納得してくれなきゃ、遠からずギルドは何らかの形で壊れちまう」
「すみません……小生のしたことは」
「それも確かだけど、話はそこじゃねぇ!」
 エルナクハは声を張り上げた。それまでまっすぐに錬金術師を見つめていた瞳は、こころなしか横に反らされている。
「オレだってよ……心のどこかじゃ、アンタと同じように思ってたんだ。ティレンがいけるっていうなら、見たこともない妙な扉、その正体を確認するくらいはいいじゃねぇかってよ。ほんの少し、歩きゃいい話だってよ。だから……アンタやティレンを止めようとした時に、言葉が出なかった」
「義兄さん……」
「オレは、ギルマス失格だ。その『少し』の間に、あのサボテン野郎に出くわしたら、どうなった? きっとオレらは、あそこで屍となって転がってただろう。それを考えれば、オレは一も二もなくアンタらを止めるべきだった。オレは……あのときのアンタも自分も、許せねぇ……!」
 ――その時、ティレンが背伸びしてエルナクハの瞳を覗き込もうとしたので、聖騎士は慌てて『現在』に心を引き戻した。
「……大丈夫だってよ、ティレン。センセイとはちゃんと仲直りした。センセイも。もう勝手に『バカなこと』はしないって言った」
「うん、おれも、もう『バカなこと』はしない」
「おいおい、冒険者はな、一応、バカなことしてナンボってこともあるんだぞ」
 エルナクハは、ケタケタと笑いながら、ティレンの背を何度も軽く叩いた。
「だから、せめて、みんなに、やっていいか訊け。で、『ダメ』って言われたら、なんでダメかを考えろ。気持ちは分からんでもないけど、みんなが心配するのも当然だろ?」
「うん、そうする」
 ティレンは答えたが、その声に覇気があまり感じられないのを、エルナクハはそこはかとなく感じ取った。普通なら、こんな時、ティレンは元気すぎるほどに元気に返事をするだろうに。
「おいおい、まだ何か心配か?」
「せんせいのことは、よくわかった。でも……」
 ソードマンの少年は、腕に抱えた斧を指し示すかのように、軽く揺らした。
「はなし、ぜんぜんちがうけど、これ」
 視線は地に落ち、履いているブーツを見据えている。
「おれ、こんなに武具買ってもらっちゃったけど、だいじょうぶ? お金、大変なんだよね」
「う、うム……」
 エルナクハは明後日の方向に目を反らした。ティレンの武具は必要だから買い与えたのだ。ティレンが、金がどうこう心配する必要はない。だが、『ウルスラグナ』が金の問題に困っているのも確かである。エトリアの頃もそうだったが、冒険を始めたばかりのギルドにはよくある、それでいて由々しき問題だ。
「だ、大丈夫だよ、対策は立ててある。心配すんな」
 エルナクハは、辛うじてそんな言葉を口にした。
 少なくとも、立てるべき対策は決めてあるから、完全に嘘というわけでもない。

NEXT→

←テキストページに戻る