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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・14

 ギルド長がカミツレ茶に手を伸ばしたので、『ウルスラグナ』一同はさりげなく身を乗り出した。それを、話の続きを期待してのものと思ってか、ギルド長はさして気にする様子もなく、カミツレ茶の杯を持ち上げる。もう片方の手は兜にかかり、口元にある赤いパーツを引き下げる。その下から見えるはずのものは、口元に運ばれた茶杯の影になって、ほとんど見えなかった。
 少々落胆する冒険者達の前で、ギルド長は赤いパーツを元に戻し、茶杯を卓上に置くと、続きを語り始めた。
「それどころか、この国にある『呪術院』の連中は、はるか昔から、世界樹様に空いた虚穴を通って樹海に出入りし、『世界樹の使い』と呼ばれる存在と取引をしていたというのだ」
 『呪術院』というからには、カースメーカーの類なのだろうか。世間的には恐れられることの多い彼らだが、為政者に雇われることもままある、と、パラスやライバルギルドのカースメーカーが言っていた覚えがある。
「要するに、ソイツらは世界樹の内部に樹海があることを、長いこと秘密にしていたわけだ」
「そういうことだな。だからといって責めたりするのはお門違いだがな」
 エルナクハの要約に、ギルド長は、こっくりと頷いた。
「なかなかバレなかったのは、使う虚穴をよく変えていたからだな。奥まで入れる虚穴とて、世界樹様の自己修復作用や、表面に生えた草木のせいで、塞がれて使えなくなることもしょっちゅうだ、という話だった。――ともかくも、迷宮の存在は、大公様の知るところとなった。エトリアの世界樹の迷宮が話題になっていた頃でもある、かの迷宮のように、この国を富ませるものになると信じて、大公様は衛士や騎士を派遣した。私も……かつては足を踏み入れたことがあるよ」
「……しかし、あなた方の力では樹海の謎を掴むことはできなかったわけですね?」
 黒髪の女錬金術師センノルレの言葉は辛辣に聞こえるけれど、事実でもある。衛士や騎士で事足りたなら、冒険者を動員する必要もないのだ。ギルド長は素直に首肯した。
「そうだ。衛士も騎士も、迷宮の先には進めなかった。第二階層がやっとだな。今よりは魔物達もおとなしかったというのにな。この国の近辺にギルドを構える、巫医や銃士の力も借りたが、それでも樹海には敵わなかった。彼らも仲間の大半を失い、残された者達も、長らく傷を癒したのちに、仲間の無念を晴らすかのように再び迷宮に挑んでいるが……四ヶ月前の、一般冒険者としての登録の時を最後に、私の前に顔を出すことはない。生きてはいるようだが……」
 しばらくは沈黙が続く。ギルド長は探索の間に失われた数多の生命に思いを馳せていたのだろうか。しかし、再び話の続きを始めるのだった。
「そう、その四ヶ月前なのだ。長らく停滞していた樹海探索に変化があったのは。春の始まる頃、金羊ノ月の頃だったな。例の石の扉が開いた。長らくびくともせず、ただのレリーフと思われていた、あれがな。しかも、虚穴とは違い、きちんとした石組みの通路も完備されていた……。それからしばらくして、エトリアの樹海が冒険者に踏破されたという噂が、ハイ・ラガードにも流れ始めた。――お前たちのことだよ、『ウルスラグナ』」
「ギルド長は、オレらの樹海踏破が、ハイ・ラガードの世界樹に影響を与えたと思うか?」
 エルナクハの問いには、否定の意が返ってきた。だが、単純に否定というわけではない。
「ふん、私にはわからんよ。それがわかるのはお前たちの方じゃないか?」
 もちろん『ウルスラグナ』にも判りようがない。そもそも、それを疑ったのは『ウルスラグナ』ではなく、パラスのはとこである、ライバルギルドのパラディンだ。確かに、同じ『世界樹計画』によって生み出されたものなら、そういった繋がりがあっても不思議ではないのだが。
「とにかく、それで、外来の冒険者も樹海に探索に入れるようになったのか」
「ああ、大公様は、エトリアの一件を知って、冒険者なら樹海を踏破できるかもしれない、と、大陸中に布令を発布された。お前たちも今日受けたばかりの試練も設定された。あくまでも樹海探索者としての実力を示した者にのみ、ハイ・ラガードという小さきとはいえ一国の、加護を与えよう、と。……まあ、冒険者を国民として抱き込み、樹海の産物や知識を国外に無闇に流出させないようにしたい、という魂胆もあるが」
「そのあたりはお互い様、ということでしょう」
 全く気にしていない、と言いたげに、センノルレが澄まし顔で答えた。だが、眼鏡の奥のその瞳が、きらりと剣呑な光を帯びる。
「ただ、あなた方の探索で知り得た知識を、我々の探索が滞りなく進むように提供してくださっても、よろしいのではないのですか?」
「ふむ……理に叶った意見、解らなくもない。だが、これも、樹海の知識をなるべく多面から知りたいがゆえなのだ」
「……ほう」
 物事を多面から見る、というのは、錬金術師の基本的心得でもある。そのような態度を見せられては、センノルレも小うるさいことは言えず、沈黙をもって相手の話の続きを促すだけだった。他の冒険者は、なおさらだ。そんな『ウルスラグナ』の前で、ギルド長は何かを指先でつまんで見せてきた。割れた板の欠片のようなそれは、表がごつごつとした岩か何かのようで、裏は虹のような輝きを帯びている。それに、『ウルスラグナ』の探索班一同は見覚えがあった。
「……森マイマイの殻、ですね」
「そうだ」
 フィプトの指摘に、ギルド長は間を空けることなく頷いた。
「お前たち、大臣閣下の要請で、この度の試験で出くわした魔物のことについて報告した時、なかなか面白いことを言っていたそうだな」
「面白い?」
「森マイマイの殻は、殻の表面に走る細かい溝に力を加えると、簡単に壊れるとか」
「うん、そうよ」
 そうやって殻を砕いていた張本人のオルセルタが、ギルド長の確認を肯定する。
 ふむ、とつぶやきながら、ギルド長は殻を手で弄んだ。
「これまでの冒険者は、硬いから力尽くで砕いてきたものだよ。大公宮の保管する報告書にも、そのように記してあった。もしも、お前たちがそういう報告を知った後で、森マイマイの殻をどうにかしようと思ったとしたら、やはり力尽くで砕くしかないと考えるかもしれない。迷宮の地図にしてもそうだ。現状での完成品を渡したとして、それで充分と思いこんだら、ひょっとしたら、まだ見つかっていない道があるのに、永遠に見落とす羽目になるかもしれない。そうではないか」
「確かに、理は、ある」と、ナジクがぼそりとつぶやいた。
「だからこそ、なのだよ」ギルド長は卓の上で手を組んだ。「誰が見ても同じ、というなら、それでいい。だが、見る者が替われば新たな事実が見つかるかもしれん。そのために余計な先入観は持ってほしくないのだよ。恥ずかしながら、我ら公宮付の騎士や衛士は、樹海に明るくない。お前たち冒険者が寄せてくれる情報が頼りなのだ」
「エトリアの執政院でも、同じことを言われたよ。理由も同じだ」
 エルナクハはそう返しつつ、嘆息した。別に、情報の非開示にうんざりしたわけではない。エトリアで覇を競い合った冒険者達の一部も、この地で、一度は体験した樹海探索、という先入観ゆえに生命を落としてしまった。その事実が、仮にも統率者である彼の心を重くするのだ。
 先入観に頼るべからず、という教訓は、あらゆるところで必要かもしれない、と、あせた赤毛の騎士はその言葉を改めて己の心に焼き付けた。
 思えばモグラや毒アゲハもそうだ。結果的にエトリアで見かけた時とほぼ同じような力だったからよかったが。
 いつか、『エトリアでこうだった』と思いこんでいたら、まったく違う、という魔物にも出くわすかもしれないのだ。

 その後の話はさしたる重要さのない雑談であった。
 冒険者達が、毛穴だらけの針ネズミの皮をシトト交易所に持ち込んだ話を取り上げると、ギルド長は、やれやれ、と言いたげに言葉を漏らした。
「処分を依頼しただけのような感じだっただろうに。大概の冒険者は、そんなものは持ち帰ってこないぞ。二束三文にもならないからな。庶民達は、ああいった、普通では役に立ちそうのない毛皮を細かく切って、縫い合わせて、日常雑貨として使うがな」
「今回限りって話だけどよ、リンゴ三つと交換だったぜ」
「それで満足なのか、お前たちは?」
「なに、リンゴ三つもありゃアップルパイが焼ける。二束三文以下よりゃあ上出来だろ」
「前向きだな」
 ギルド長は兜の下で苦笑を浮かべているのかもしれなかった。それは嘲りや憐憫を意味しているのではなく、『ウルスラグナ』一同の、敢えて悪く言うなら『ふてぶてしさ』に、呆れつつも感心してのものであろうが。
「まあ、残念なことをいうなら、ほのちゃんには食べさせてあげられないことかなぁ」
 卓に頬杖付きながら、物憂げにも聞こえるおっとり口調で割り込むのは、黒い肌の吟遊詩人マルメリだった。
「ほのちゃん?」
 ギルド長はオウム返しのようにつぶやいたが、それが誰のことを指すのか、すぐに理解したようであった。
「ああ、ここにいない、お前たちの仲間、ブシドーの娘のことか」
 『ウルスラグナ』のブシドー・安堂焔華が、修練のために街を離れていることは、この席に着いた際にすでに伝えてある。もちろん、何の不審を抱かれる余地のないことである。
 彼女はギルドの仲間達と共に大公宮に赴いた後、迷宮へと足を向ける仲間達と別れた。互いを認識する形では初めて対面する、しかしブシドーらしく大変に礼儀正しい若者が、彼女を連れて去っていった。
 焔華は振り返らなかった。自身が見いだそうとする『新たな道』を真っ直ぐに見据えるかのように。彼女が戻ってきた時には、この時には見られなかった彼女のまなざしが、どれだけ真摯だったものか、知ることができるだろうか。
「オマエが戻ってくる前に、第一階層くらいは突破しちまうぞ?」
 と、エルナクハはブシドーの娘に告げていた。彼女が帰ってくるまでの期間にもよるが、さすがにそこまでさくさくと探索が進むわけでもない。ゆえに、これは気概を表しただけの言葉である。それでも、彼女に自分達の気概を示したからには、怠けていては、戻ってきたブシドーの娘に笑われるだろう。
 明日からが探索の本番だ。本腰を入れてかからねばなるまい。

「私からいえることはこれだけだ。無駄に倒れぬよう注意するんだな」
 そんなギルド長の言葉に見送られ、『ウルスラグナ』はギルドを後にした。

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