←テキストページに戻る
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・13

 冒険者ギルド統轄本部の長は、顔を覆い隠す兜の奥から、目の前に居並ぶ冒険者達を見つめた。
 昨日、一年の最終日たる鬼乎ノ一日に、世界樹探索者としての登録を果たした冒険者ギルド『ウルスラグナ』である。総勢十人で構成される、と書類にはあったが、目の前に実在する一同は、ひとり足りない。聞けば、修練のために一時的に街を離れているとか。
「そのあたりは、別に問題ねぇだろ? 樹海に潜ったヤツだけにしか国民の権利が与えられねぇとか、あるか?」
 と『ウルスラグナ』のギルドマスターが問うてきたので、ギルド長は首を振った。
「問題ないよ。そういうものはギルド単位で与えられるからな」
「なら、よかった」と黒い騎士は笑みを浮かべた。
 太陽が遠き西方に隠れようとする今、『ウルスラグナ』の一同が冒険者ギルドに顔を出したのには、理由がある。彼らは入国試験を無事に突破し、ハイ・ラガードの国民たる資格と、世界樹の迷宮を探索する権利を得た。その旨を大公宮に報告し、公国民たる証を得た彼らは、その際に聞いたという、按察大臣の助言に従ったのである。
 興味があるならば、ギルド長より、世界樹の迷宮の探索の歴史を聞くがよい、という助言に。
 ちなみに時間帯が今なのは、薬泉院と宿で簡単な傷の手当を受け、心身を癒してきたからだという。
「大臣のおじいちゃんも、きっと知ってるよね。なら、あそこで話してくれれば、よかったのに……」
 と、赤毛のソードマンがぼやくのを、隣のカースメーカーが諫めていた。
「何でも屋さん大臣さんだもん。忙しいと思うよ、いろいろ」
 まったくもってその通りだ。通常公務もさることながら、数ヶ月後に控えた皇女の誕生祝いの準備もある。その合間に、冒険者の相手もしているのだから。それより何より……否、それはまだ語れる話ではない。
 ひるがえって、ギルド長はそれほど多忙ではない。登録を終えた冒険者達がギルドに顔を出す責務はないからだ。正確に言えば、ギルド構成に増減があった場合や、樹海探索者の変更があった場合などには、報告を求めているが、それとて時間がかかる仕事ではない。大抵は冒険者の誰かひとりが連絡に来たのを、部下が聞き取って書類に記すだけだ。新規登録者の場合はギルド長が一度は顔を出すべきだろうが、そういったことが夜に起きることは、滅多にない。
「では、話すとしようか」
 ギルド長はそう告げ、円卓の上で手を組んだ。
 話をしている場所は、ギルドの奥の一室である。大所帯のギルド用の円卓が用意され、そこに『ウルスラグナ』一同(ひとり除く)とギルド長が座を占めている。
 それぞれの目の前には、冷やしたカミツレカモミール茶が供してあった。単なる茶で、それ以上でもそれ以下でもないのだが、『ウルスラグナ』は疑問符を顔に張り付かせたような表情をしている。彼らに限らず大概の客人が一度は浮かべる表情なので、ギルド長は気にせず話を始めた。
 一方、『ウルスラグナ』からすれば、その茶は、大いなる疑問を抱かせる元となっていたのだ。すなわち――今この場でも兜を脱がないギルド長は、どうやって茶を飲むのだろう?
 それぞれの脳内にそれぞれの仮説ができあがりつつあったが、ギルド長の話が始まったので、全員、姿勢を正して聞き入ったのであった。
「世界樹の迷宮の正面、大きなレリーフのある扉が開かれるようになったのは、四ヶ月ほど前のことだった。――ふん、そんなこと知っていると言いたげな顔だな。大方、フィプト・オルロード師――お前が教えたな?」
「ご明察の通りで」フィプトがぺこりと頭を下げた。
「よもや、その先までは告げていないだろうな」
「私とてハイ・ラガード国民の端くれです、布令を無視する理由はありませんよ。もっとも、大したことは知らない、というのも実情ですが」
 フイプトの話を聞き、「ふん」と、短い言葉を吐くと――先程のもそうだが、声調からすると、単純に間を取っただけで、嫌悪を示しているわけではないようだ――改めて『ウルスラグナ』全員を見回した。
「話を進める前に、ひとつ問おう。お前たち、世界樹様は一本の大樹だと思うか?」
「そうじゃない、って、言いたいみたい」
 いきなりティレンが核心を突いた。これにはさすがのギルド長も苦笑いを誘われたようだった。
「なかなかに聡い少年だな。だが私は意見を訊きたいのだ。一本の大樹ではないとしたら、世界樹様はどのような姿なのか、とな」
「……おれには、無理」
 ティレンは訥々と答え、きょろきょろと仲間達を見回した。彼はまだ世界樹を外から眺めただけなのだ、答えようがない。その救いを求めるような視線を汲み取って、口を開いたのは、ナジクであった。
「一にして全、全にして一――だ」
「錬金術師のような物言いだな」
「最も簡単に言い表せる言葉が、これだった。それだけだ」
 錬金術師、という単語に誘発されたわけではなかろうが、フィプトが軽く手を上げる。ギルド長がそちらに顔を向けることで発言を促すと、金髪のアルケミストは、新しい元素の性質を見付けた研究員のような表情で、口を開いた。
「小生は、世界樹様が、一本の大樹であると思っていました。しかし、この度冒険者となる機会を与えて頂き、迷宮へと足を踏み入れ、思っていたのと違うということを思い知りました」
 ……一瞥しただけの世界樹は、一本の大樹以外の何物でもない。しかし、本当は『一本の大樹』でありながら、そうではなかった。草花が世界樹の幹を苗床として繁茂し、彩りを添えていた。それだけではない、樹皮に根を張った木の苗が、世界樹の幹のあちこちで見事な成長を遂げていた。世界樹という『一本の大樹』の枝だと思われていたもののうちの幾ばくかは、『別の樹』だったのである。
 ギルド長に軽々しく告げるわけにはいかないが、この世界樹が前時代の『世界樹計画』によって生み出されたものだとしたら(ほぼ決定だろうが)、樹齢は数千年に達するはずだ。樹木によっては、その程度の年月を平気で生き抜くが、世界樹の場合はどうなのか。『世界樹計画』がとうに終わっているためなのか(その確認はこの世界の誰にも不可能だが)、世界樹の幹には、あちらこちらに虚穴が開いていた。そのほとんどは、世界樹の厚い樹皮を貫くことはなく、ただの虚穴で終わっていたが、中には樹皮を貫通しているものも見受けられた。人間が簡単にくぐり抜けられそうなものさえも。だが、『ウルスラグナ』が見付けられた限りでは、覗いてみただけでも内部で木々に邪魔されて通れないとわかるものばかりであった。
 世界樹の表面に根付いた樹の中には、中の迷宮に惹かれるかのように、虚穴から世界樹内部に潜り込んでいるものもあった。それも、よく見ないと世界樹の一部にしか見えないほどに、古く硬くなった樹も存在していた。それはまるで、世界樹に空いた虚穴を修復しているかのようにも見えた。
 仮に、世界樹そのものが年月に破れて崩壊しても、そのころには、根付いた木々や草がびっしりと絡み、外側を形作り続けるだろう。それは一見すれば、世界樹が存在し続けているようにも見えるかもしれない。故に世界樹は一にして全、全にして一、それ自体が名前通りに、ひとつの世界だったのである。
「そうだ、ある意味では、世界樹様の樹皮に生えるもの、迷宮の中にあるもの、そのすべてが『世界樹様』ともいえる」と、ギルド長は話を続けた。
「迷宮の大地も、下の階の樹冠に、外から内部に成長した樹の枝が絡み合ってできていたりもする。そこまで密になっていて、どうして下の階にもまんべんなく太陽光が降り注ぐのかは、未だに謎だがな」
 『ウルスラグナ』一同は顔を見合わせた。エトリア樹海で立てた、迷宮の奥に日光が届く理由の仮説を思い出したからだ。あの不可思議な水晶のツルは、(実際には探索者達のすぐ傍にあるのだとしても)未だ発見されてはいないようだ。
「まあ、その件はさらなる探索の成果待ちだ」
 もちろん『ウルスラグナ』の内心など測りようがないギルド長は、軽く首を振ると、改めて口を開いた。
「ともかくも、今の話を踏まえて続きを聞け。四ヶ月前に開かれた、この迷宮だが――」
 その続きは、『ウルスラグナ』をうろたえさせるには充分な衝撃を孕んでいたのだった。
「――実のところ、その探索は、数年前から始まっていた」
「な……なんだと……?」
 驚いていないのはフィプトぐらいのものである。その悟った顔を見て、エルナクハは先程の会話の応酬を思い出した。どうやらこれは、ハイ・ラガード国民の秘中の秘らしい。つまり、自分達は試練を越えて国民となり、その『秘密』を知る資格を得たというわけか。
 エルナクハがそう思っていることを理解してか、ギルド長はさらに続けた。
「当時は、エトリアの『世界樹の迷宮』の探索が、多少下火になったとはいえ、まだまだ世界の耳目を集めていた頃だ。私もまだ騎士団の末席を占めていた未熟者だった。そんな折、世界樹様に開いている虚穴の一つが、人間が通れるほどに大きく開いているのが、大公宮に報告された。それが、ハイ・ラガードの樹海探索のはじまりだ」

NEXT→

←テキストページに戻る