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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・12

 『ウルスラグナ』一同を出迎えた衛士は、その兜を脱ぎ、受け取った地図を、穴を開けそうに鋭い視線で検分していたが、やがて、晴れやかな笑みを浮かべた。その表情は衛士が再び兜を装着するその瞬間まで消えることがなかった。声の調子からすると、兜の中でも笑みは消えていなかったかもしれない。
「よかった、任務は無事達成したようだな。これで君たちは、晴れて、このハイ・ラガード公国の民と認められるだろう」
 おおっと、と言いたげに、衛士は肩をすくめる。
「まあ、フィプト先生はもともとハイ・ラガードの民だったわけですが」
「しかし、小生は冒険者ではなかった」と、穏やかな笑みでフィプトは応じた。
「小生は、逆に、この試練を越えて、冒険者と認められたわけですね」
「おうよ!」
 衛士が何かを答える前に、エルナクハが錬金術師の肩を強く叩き、腕を回す。
「センセイは名実共に『ウルスラグナ』のアルケミストだ。これからも頼むぜ、フィプトセンセイ!」
「無論です、義兄さん」
 少し照れたような表情で、聖騎士の義弟となった錬金術師は返事をした。
「さて、君たちはこれで、正式な迷宮探索者だ」
 己がいた場所から立ち退きながら、衛士は言葉を続けた。
「このまま先へ進んでも、君たちを咎める者はいない。だが、久々の探索で疲れただろう。私としては、一度街に戻り、心身を癒すついでに、公宮へ報告に上がるのをお勧めする。それにギルド長も、新たに正式な探索者となった者達の報告を待ちかねているだろう」
「ああ、そうだな」
 もとより衛士に言われなくても、そうするつもりでいた。権力者や協力者に、報告を行うのは、それが義務でなかったとしても、悪いことではない。一応は組織の中堅にいた身、エルナクハはそういうことをいたく実感していたのだ。
 たとえば、エトリアでは、一人前の冒険者と認められた時に、執政院からの紹介で、シリカ商店という冒険者御用達の店からアリアドネの糸を購入する許可を得ることができた。ここハイ・ラガードでも、世界樹探索者にのみ使用が許されるものを得られるかもしれない。そういった便宜を図ってもらえるかもしれない機会をむざむざ逃す理由はない。
 いずれにしても、一休みだけはしたいものだ。オルセルタを薬泉院に連れて行って、できれば傷が残ったりしないように処置してもらいたいし、センノルレの顔も見たい。それと……ゆっくりしたらアベイにも訊きたいことがある。「『テレビ』って何だ?」と。
「さて、私の役目は終わりだな。今のところ、次に試練に挑む者がいる連絡は受けていないし、交代までゆっくりさせてもらおう」
 衛士は、『ウルスラグナ』が戻ってきた道に近付くと、立てかけてあった看板のようなものを撤去させる。冒険者達も戻ってきた時はその存在に気が付いていたが、なにしろ裏側から見ていたので主旨も判らず、それよりも衛士に報告しなければと逸っていて、そのまま忘れ去っていたのだった。よくよく見ると、どうやら以下のようなことが書いてあるらしい――『新規登録冒険者、入国試験に挑戦中。他の方々の立ち入りはご遠慮願います』。その看板を片付けると、衛士は傍にあった座りやすそうな岩に腰を下ろし、『ウルスラグナ』に向かって手を振った。
「これからも、生命を落とさないように頑張れよ」
「おう!」
 満面の笑みを浮かべて手を振ったエルナクハは、仲間達を出口の方に送り込んでいたが、傍らにナジクが音もなく近付いてきたことに気が付いた。どうした、と問うたエルナクハは、レンジャーの顔が険しいことに不審を抱く。ナジクはエルナクハの耳元に口を近づけ、そっと、ささやいた。
「あの衛士がいた場所、階段の前だった」
 ナジクの言う『階段』は、巨大な扉と迷宮一階を繋ぐ、緩やかな階段のことである。迷宮側から見ると下りとなっている。
「そうだな、それが?」
「もし、僕たちが迷宮の地図を完成させていなかったら、あの衛士は階段前から退いてくれただろうか?」
「――地図を完成させなければ街に帰してくれなかっただろう、っていうのか?」
 エルナクハは眉をひそめたが、ナジクの推測は間違っていないだろう、とも思った。自分達が受けた試練は『迷宮の地図を完成させること』。それに、『迷宮の奥から生還すること』という試練が掛け合わされていた。どちらか片方でも果たされなければ、自分達は迷宮を後にすることはできなかっただろう。……いや、後者が果たされなければ、別の形で迷宮を後にすることになっただろうが。
「エル、僕は、もしも、オルが倒れた時にネクタルがなくて、どうにか入り口に辿り着いても衛士が街に帰してくれなかったら――」
「おい」
「あの衛士の生命を奪ってでも、街に戻ろうとしただろう」
「おい!」
 エルナクハは、囁き声ながらも気迫のこもった言葉でナジクの口を封じると、仲間達の様子を見た。
 ナジクの言葉は皆には聞こえていなかったようだ。街に戻れる、という嬉しさが成せるのか、疲れているはずなのに弾むような足どりで、エルナクハ達に先行している。エルナクハは内心で胸をなで下ろすと、レンジャーの青年を睨み付けた。
「物騒だな、おい。大公宮を――いや、この街を、探索開始早々敵に回す気か?」
「エル、お前は、妹より衛士が大事か?」
「なんでそんな話になるんだ!」
 断じながらも、エルナクハはナジクが言いたいことを理解した。それは、万が一があったら何よりも仲間達を優先させる、という意思の宣言だ。だが、いわゆる『仲間を大事に』ではない、オルセルタがエルナクハの窮状を見かねて、なりふり構わず敵の目前に飛び出したようなものでもない、狂信的なものになりかけているように、エルナクハには感じられたのだった。
「てーか落ち着けよナジク。別にあの衛士を殺さなくてもオルタは助けられただろ。オレは衛士の生命とオルタの生命は簡単にゃ選べねぇけど、オルタの生命と今回の勅命の遂行なら、オルタの生命を選ぶのに迷わねぇ」
 黒い騎士は、意識して軽々しく言葉を放つ。
「あの衛士サンにちょっと泣きつきゃ簡単なことさ。まあ、世界樹の探索は諦めることになるけど、オルタの生命には代えられねぇ」
 次の瞬間には、エルナクハは緑の目をすっと細め、剣呑な光を視線に宿してナジクを射った。
「第一、ナジクよぉ、あのネクタルを『箱』に入れてくれてたのはあの衛士サンなんだろ? 言ってみりゃ衛士サンこそオルタの生命の恩人だ。たとえばの話でも、その恩人を『殺してでも』なんて言うのは、オレとしちゃ許し難いなぁ」
 ネクタルを用意したのは衛士個人ではなく大公宮なのだろうが、そのあたりは置いといて。
 エルナクハの言い分はナジクにも通じたようだった。レンジャーの青年は、「あ」と声を漏らすと、ちらりと衛士の方に視線をやり、「申し訳ない」と言うように目を伏せた。
 パラディンは改めて明るい声を投げかける。
「まぁ、とにかく衛士サンが置いといてくれたネクタルのおかげでオルタは大事なかったし、ちゃんと試練も突破できたから、オマエがしてるような心配はもういらねぇだろ。もっと気を楽にしようぜナジク。あんまり気を張ってちゃ、これからの探索、辛いだけだぜ」
「あ、ああ、そうだな……変なことを言って悪かった」
 金髪のレンジャーが、ぎこちないながらも同意の頷きを返すのを見ながら、それでもエルナクハは振り払いようのない不安を感じていた。
 かつてエトリアでナジクがフォレスト・セルという魔物に魅入られ、それを仲間達が助け出した頃から、彼の様子がそれまでとは違うことに、『ウルスラグナ』の誰もが気付いていた。外から見て判る変化は、物静かながら心の裡に苛烈な意思を秘めていた彼が、レンジャーの十八番とばかりに、自分の存在を影に溶け込ませよう、とするようになったことだった。
 だが、ここまでの様子を見るに、それだけではない。
 ナジクは、仲間を守るためなら何をも犠牲にしようとしている。
 おそらくは、自分の生命でさえも。
 オルセルタを助けようとしたときのナジクの様子を思い出す。彼はレンジャーとしての特性を発揮して、実に見事にオルセルタを助けてくれた。だが――彼が行動を起こし始めた瞬間は、らしからぬ突撃に見えた。ただ『そう見えた』だけなら問題ないし、ただひたすら、妹を助けてくれたことを感謝するだけなのだが。
 もしもレンジャーとしての能力を発揮しきれない場所だったとしても、ナジクは、あのような『突撃』をしたのではないか。
 今は、そんな不安がぬぐい去れない。
 仲間だろ、と、エルナクハは心の裡でつぶやいた。
 もしも、エトリアでの一件をきっかけにして、自分がそのようにしてでも仲間達の役に立たなければと思っているのなら、あまりにもお門違いだ。仲間を――否、友を助けるのは、友の責務、というより、本懐だろう。そして、道を過ちかけた友を引き戻すのも、そうだ。それを気に病み、自らを大事にしないような行動で『恩』を返そうとしているのなら――。
 エルナクハは首を振った。そんなはずは、という思いと、そうかもしれない、という危惧とに挟まれながら。
「……あんまりせっぱ詰まるなナジク。今日は久々の樹海で大変だっただけなんだ」
 表向きは朗らかに告げながら、ぽんぽんと相手の肩を叩く。
「明日からは、大変な状況になっても帰してもらえない、ってことはないはずだぜ。ま、先に進みすぎた自業自得で帰れねぇ、ってのはあるかもしれねぇけどよ。だからまた明日から、気楽に行こう。な。――まあ、油断はしちゃなんねぇけど」
 オマエの力もまだまだ借りなきゃならねぇよ、と、聖騎士はニンマリと笑ってみせた。
「心得た」
 ナジクもまた、笑みを浮かべながら頷く。その笑みがどことなく寂しげに見えたのは、エルナクハの錯覚ではあるまい。エルナクハの危惧を判っていながら、それでも自分はそうすることをやめるわけにはいかない、と思っているのだろうか。
 まいったね、とエルナクハは再び内心でつぶやいた。
 彼の心の傷がどこまで深いのか。この度の探索にどこまで影響するのか――いや、ナジクとて、自分の行動が自分以外の仲間に悪影響を与えるような行動は取らないだろうが、ことはそういう問題ではない。
 神サン、コイツを助けてやってくれねぇか。
 己が奉じる大地母神に訴えるも、返事はない。人間の心の問題は、最終的には人間自身で解決しなければならないゆえに。そもそもバルシリットの大地母神は、人間の問題のために割ける力を、すでに失っているのだ。
 伸ばした手はナジクに届くのか、それよりも、彼の心の深淵に届くほど長い手を持つ者がいるのか。
 いるとしたら、たぶんティレンだろう、とエルナクハは見越した。しかしティレンは幼すぎる。よもすれば、ナジクの心の深淵に諸共に引きずり込まれてしまうかもしれない。難しい問題だ。
 とりあえずは皆で気を回す、というより、これまでどおりに変わりなく接していく必要があるだろうか。
 難しいモンダイは苦手なんだけどなぁ。エルナクハはこりこりと後頭部を掻いた。樹海外でまで問題になることはなさそうなのが救いだ。
 いまのところは、ひとまず街に戻り、今日の疲れを癒すことが先決だろう。
 うん、と黒い騎士は頷くことで自己解決を図ると、緩やかな階段を下りていく仲間達の後を追ったのであった。

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