北へ続く道は予想通り行き止まりであったが、その直前に西へ続く道が発見された。そちらの道を進んだ『ウルスラグナ』の行く手を阻むは、今度こそ完璧な行き止まり。が、それは一行の落胆を呼び起こしはしなかった。どうせ地図を描かなければいけないということもあるが、一番の理由は、その場にあった奇妙なオブジェである。
細やかな細工を施され、黄金の輝きを放つ、正立方体の箱だった。大きさとしては、人が一人膝を抱えればすっぽり入るくらいか。ほんの数時間前に置き去りにされたのか、その輝きを損なう付着物はない。だが、この箱が作られた本当の時間は、おそらくは千年単位の昔。
箱は『浮いていた』のである。
「……ユースケ?」
「悪い、知らないよ」
いかに前時代人・阿部井祐介といえど、当時は子供、知らないことも覚えていないこともある。
そんなわけで、『ウルスラグナ』は今その目でしかと分かることだけで、推測せざるを得ない。
箱の真下の地面に、同じ色の輝きを放つ、台座のようなものが設置されている。浮いているのは、たぶん、それの働きだ。が、その仕組みがどうなっているのか。フィプトが小首を傾げていることからすれば、やはり、現代の錬金術で可能なことではないようだ。
「あぶないわよ、兄様」
オルセルタが警告の声をあげた。エルナクハが、浮きながらゆっくりと回転する箱に、手を伸ばしたのである。しかし彼女が懸念するような危険は起きなかった。パラディンの手が触れると、箱の動きが止まっただけである。
「んー、やっぱり仕組みはわかんねーなー。……お、なんか開きそう」
エルナクハが箱を開けると、中身は空――否、隅の方に何かがある。小さな瓶であった。中に薬液のような何かが入ったそれの周囲には、羊皮紙が巻き付き、細い紐で縛られている。
薬液をアベイに任せ、エルナクハは羊皮紙を広げてみた。
――これなる薬は、戦う力を失った者を再起させる、貴重な薬である。使いどころは慎重に考えられたし――
「いわゆる『蘇生薬』だな」
中身を少しだけ試薬に掛けて、簡単に検査していたアベイが、味を確かめて納得げに頷いた。
「――おそらく、入り口の衛士の仕業だ」
後ろから手紙を覗き込んだナジクが指摘する。
「筆跡が、地図の書き込みと同じだ」
「外側が前時代モノなのに、中身は現代か?」
「単に箱を利用しているだけだろう」
「あ、そりゃそうか」
疑問をナジクに喝破され、エルナクハは頭を掻く。
「それにしても、粋なことするなぁ」
どうせくれるなら、樹海に踏み込む時にくれてもいいんじゃないのか、とも思わなくもない。しかし、公宮側にも思うところがあるのだろう。何にせよ、備えあれば憂いなし、ありがたいことである。
「さて、次行ってみよー!」
「元気だなぁ」
改めて号令を掛けるギルドマスターに、試薬一式を片付けながら、アベイが苦笑気味につぶやいた。
南の方へ向かう道は、思いの外、すんなりと進むことができた。
樹海の何たるかに慣れ始めてきたフィプトを含め、『ウルスラグナ』の戦い方も、少しずつこなれてきている。針ネズミや森マイマイの相手も、若干のケガを負いながらも、そつなく切り抜けることができるようになってきていた。そして。
「あら、久しぶりぃ」
オルセルタが長年離れていた友人に向けるような声を掛ける相手は、人間ですらない。ごく短い毛ゆえに、どことなくつるりとした印象を与える小動物――『外』の『それ』とは似てもにつかないのに、土の中から出てくるという生態が知られているために、『ひっかきモグラ』と呼ばれている魔物であった。針ネズミやマイマイとは違って、エトリアにも同種の魔物がいたものだ。
「同じ『世界樹』、同種のヤツがいてもおかしくはないけどなあ」
アベイが感心したようにうなる声を聞きつつ、エルナクハとオルセルタは剣を構え、ナジクは矢をつがえた。だが、錬金籠手の起動操作を行おうとするフィプトには、ギルドマスターからの制止の声が飛ぶ。
「こんなヤツに術式はいらねぇ! 温存しておいてくれや!」
そのとおり、錬金術が必要となるほどの強敵ではない。二本の剣閃と一本の射線は、瞬く間にモグラの名を持つ魔物を片付けた。とはいえ、樹海の魔物との戦いを無傷で切り抜けられるほどの技量を、冒険者達は未だ取り戻していない。それまでの怪我や疲労も蓄積し、さすがに辛そうな前衛の仲間達を、メディックが治療するのを見ながら、フィプトは気が気でならなかった。
温存しろ、と言われた錬金術だが、今の戦いでも使うべきだったのではないか。
「……どうしたよ、センセイ?」
ふとエルナクハが顔を上げて口を開く。フィプトは慌てて首を振った。
「ああ、いえ、なんでもありません」
「そか」
その傍らには、モグラから鋭い爪や柔らかい皮を剥ぎ取ったナジクの姿がある。ついでに、とばかりに肉も剥ぎ取って、細い金串に刺している。
「……食べるんですか?」
おそるおそる、フィプトは問うた。意外そうな顔をしたナジクが答えるには、
「あんたは腹は減ってないのか?」
「あ、いえ、確かに空いてますが……」
「大丈夫、毒はなさそうだ」とアベイが割り込んだ。「……味まではわからないけどよ」
そういえば、と思う。出掛ける前に飯を腹に入れたはずだが、それからまださほどの時間が経っていないというのに、胃はくるくると鳴いて己の空腹を訴えている。そんなことを認識しているその瞬間にも、ぎゅう、と派手な鳴き声を上げた。
「樹海探索はお腹が空くものね」
オルセルタが、からかうようにくすくすと笑う。
「しかし、ここで食べるんですか?」
フィプトは居心地悪げに周囲を見渡した。現在地は、森の小径の体裁こそ取っているが、両脇には人間の踏み込めぬほどに茂る木々が迫ってきており、小休止ならともかく、食事というほどの休憩には向いていないように思われた。魔物の襲撃に対処ができたとしても、どことなく心理的な圧迫感がある。他に場所がないなら仕方がないが、せめて、もう少し見晴らしのいいところはないものか。
だが、フィプトなどより遙かに樹海探索の経験の長い『ウルスラグナ』、何も考えていなかったわけではない。
「さすがに、食うのにはもう少し広いとこを捜すさ。でもな……」
その時に『ウルスラグナ』がいた場所は、あくまでも地図と磁軸計から判断してではあるが、直線距離なら西に二十分強ほど歩けば出口に辿り着けるくらいの場所であった。
これまで辿ってきた道を辿るように東へ戻れば、少し拓けた場所に出る。
しかし、西に目を転じれば、遠目に奇妙な建造物がある。
扉、であった。
エトリア迷宮を探索していた時も、その、明らかに『ヒト』の手の加わった建造物は、あちらこちらに散見していたものだった。自然物の中にあって、あまりにも違和感がありすぎる、その人工物。果たして何者が作ったのか、それは、少なくとも『ウルスラグナ』にとっては未だに判らないことだった。ただ、作成者の候補は絞られる。エトリア樹海をその住処としていたモリビトか、あるいは、樹海の支配者であった『世界樹の王』か……。
そんなエトリア樹海とは違って、ハイ・ラガード樹海においては、扉の存在は不自然ではない。なにしろ、別の人工物があちらこちらに散見しているのだ。加えて扉があったところで何が変なのだろうか。おそらくは、周囲の人工物を作った者達が、扉をも作ったのであろう。もっとも、その正体が判らない以上、結局は、エトリア同様、『誰が作ったのか判らない』ことに変わりはないが。
「あの扉の向こう、ひょっとしたら出口への近道かもしれねぇ。もしそうならよ、入り口の広いところで、魔物の心配をしないで、ゆっくりメシを食える。行ってみる価値あるんじゃねぇかな」
「……もしそうだったら、さっさと私塾に帰って、そこでご飯食べた方がいいと思うけど」と呆れ顔でオルセルタ。
「なに、大自然の中でバーベキューってのも、オツなもんだ」澄まし顔でそう応えるエルナクハ。
「おいおい、『まっすぐ私塾に帰る』んじゃないのか?」
と混ぜ返すアベイを横目に、
「ルバース君の父上殿、きっと呆れるでしょうね……」
試練を管理する衛士の顔を思い出し、フィプトは、引きつった笑いを浮かべながら、嘆息した。
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