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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・6

 右手の籠手に組み込んだ、重酸石の水溶液と、『至高神の塩』と呼ばれる触媒を反応させ、化合物を籠手の噴出口から森マイマイに浴びせかける。さながら人工の雪を浴びせかけているように見えるが、そうではない。化合物は噴出口から吹き出た時点でもまだ反応を続けており、その際に周囲の熱を大量に奪っていく。やがて、周囲の水分や、森マイマイ自体が有する水分までもが、冷却され、凍結を始め、生命体に冷気による大きなダメージを与えるのであった。
 分泌する体液で殻を硬化させ(それはいくらかの時間が過ぎれば剥げ落ちるのだが)、前衛の戦士達を手こずらせていた森マイマイだったが、その錬金術がとどめとなって、地に伏した。ちなみに針ネズミは早い段階ですでに倒されている。
「この殻も何か役に立つかしら?」
 探索作業用のたがねと槌で、ごつごつと殻を叩き割りつつ、オルセルタが口を開いた。戦闘中は、体液で硬化しなくても充分に硬い殻だったが、どうも、表面に走る細かい溝に力を集中させると、さほどの労力もいらずに簡単に砕けるようだった。さすがに戦闘中にはできない芸当である。
 ほんの小さな殻のかけらを、楽しげに殻を砕いていくオルセルタから先に受け取り、観察していたフィプトが、驚きをその瞳に宿して告げる。
「面白いもんですね、樹海のカタツムリは真珠層を作るんですね」
「真珠? アワビに珠しこんで作らせる、あの真珠か?」
「そうですよ。ほら、そのアワビの貝殻の裏みたいに」
 フィプトは殻のかけらをひっくり返して見せた。殻の裏には、確かに不思議な虹の色を浮かべる真珠の輝きがある。
「まあ、当然、丸くはありませんし、質の方も及びませんでしょうが、真珠には違いない」
「不思議なもんだよな。でも、よ」
 エルナクハは殻を受け取り、自分で裏表を何度も返しながら笑んだ。
「センセイ、『緋緋色金』って知ってるか?」
「伝説に謳われる金属の一つと聞き及んでます。幾多の錬金術師が再現を目指すも、果たせなかった、と」
「そっか」
 エルナクハはさらに楽しげに笑む。
「エトリア樹海の深いとこにはな、センセイ、骨がその『緋緋色金』でできた生きモノが棲んでやがったぜ」
「骨が、『緋緋色金』で、ですって!?」
 とても信じがたい、と言わんばかりにフィプトは声を荒らげたが、目の前のパラディンに嘘を言う理由などないと思い直したか、態度を元のように沈静させる。しかし、やはり、好奇心が精神を逸らせたのか、身を乗り出し、憧憬を思わせるまなざしをエルナクハに向けた。錬金術師の言いたいことを悟って、エルナクハは苦笑気味に先回りをした。
「話は帰ってからにしてくれよな。それに、ノルの方がアンタ好みの話をできそうだ。あと言っておくけどよ、エトリアの『緋緋色金』が伝説のモノと同じって証拠はないぜ。ソイツを素材にした武具は確かに凄い力を持ってたけどな」
「伝説のものと同じじゃないとしても、凄いもんですね……」
「ああ、それを考えりゃ、カタツムリが殻の内側に真珠作ってるくらい、アリだよな」
「ええ、アリですね」
 エルナクハの言葉に、フィプトはおかしげに笑った。
「それにしても、生き物といえど、その身には必ず微量の金属を有しているというのは、錬金術の常識ではありますが……」
「メディックの常識でもあるな」とアベイが口を挟む。
「鉄とか足りなくなると、貧血を起こすからな。だから、メディックは、女の人にはよく、レバーがダメならせめて鉄鍋で料理したメシを食えとか、勧めたりすんだ」
「ええ、アルケミストとメディックのルーツは同じですからね」
 フィプトは嬉しそうに同意し、自分の話を続ける。
「ですが、その話の生きモノのように、組織がまるごと金属という例は、『外』では聞いたこともない。『世界樹の迷宮』に住まう生き物は、本当に不思議なもんですね」
「なに、不思議なものは、これからも見られる」
 涼やかな声に振り返ると、周辺の斥候を引き受けていたナジクが戻ってくるところだった。
「目的があれば、多少の苦は乗り越えることができる」
「はは、そうだといいんですけどね」
 苦笑いに似た形に顔を歪め、フィプトは自重するかのように応えた。
「樹海の中の珍しいものをたくさん見てみたい。その気持ちに偽りはありませんけど……樹海を恐れるばかりの小生が、皆様の探索に、どこまでお付き合いできるかどうか」
「その恐ろしい樹海の中で、楽しそうに語らっていたあんたなら、大丈夫だ」
 ぶっきらぼうにも見える表情で、レンジャーは滔々と言葉を続けた。
「それが証拠に、フィプト、あんたは、今も震えているのか?」
「は……い?」
 指摘を受けて、フィプトはさも意外そうに、己が身を眺め回した。掌に集中するまなざしは、その場所が震えているのかどうかを見極めようとはするかのよう。否、実際に、フィプトはそうしていたのだ。
 何故だろう、樹海を恐ろしいと感じるのは今も変わらない。だが、不思議なことに、自分自身は先程までには怯えを感じていないことに気が付く。ここまで生きてきた自分の想像を超える戦いと、生命が消えゆく確かな感覚、それらを思い起こしたのなら、震えて動けなくなってもおかしくないというのに、今は妙に落ち着いている。
「小生、は……」
 躊躇いがちに顔を上げるフィプトに向けられているのは、それぞれに笑みを浮かべる仲間達の視線。
「あの、小生は、冒険者として――」
「そろそろ、先に進もうぜ」
 フィプトが言いたいことに答える気はない、とばかりに、エルナクハが言葉を遮り、立ち上がる。
「オルタ! そろそろいい感じに砕けたか?」
「うん、こんなところだと思うわ」
 雑貨袋の中に形よく砕けた殻をしまいながら、オルセルタが返事をする。エルナクハは妹の言葉に満足げに頷き、他の仲間達を見回した。
「先がどれだけ長いか、まだわかんねぇんだ。とっとと『オシゴト』済ませて、帰って、留守番ズを安心させてやらないと」
「ナックは旨い飯と旨い酒をかっくらいたいだけだろ?」
「ユースケ、何言うんだオマエは。このオレには、私塾で待っている妻と子がいるんだ。オレ、この『オシゴト』が終わったら、まっすぐ私塾に帰るんだ」
「わかった。本音がそっちなのはちゃんと理解したから、死亡フラグみたいな言い方はやめれ」
 じゃれ合うような言の葉の応酬を繰り返しながら歩きだす、パラディンとメディック。その後をダークハンターの少女が追い、そんな彼らの周囲を警戒するかのように、レンジャーが往く。
「センセイ! 早く来いよ! アンタの力はまだまだ必要なんだからな!」
「……はい!」
 しかと頷くと、アルケミストは、昨日顔を合わせたばかりの仲間達の後を追う。
 その足どりに、もはや、不安を感じさせる様子はない。
 それは、ごく短い間に様々な経験をしたために、自分と共にある仲間達の力量を、そして何より自分自身の力量を、完全に信じることができたからかもしれない。あるいは、エルナクハが企んだように、フィプト自身が一度だけでも戦いを経験することで、いわゆる『肝が据わった』状態になったからかもしれない。その両方かもしれないし、もしかしたら別の理由かもしれない。ともかくもフィプトは『樹海の洗礼』に抗しきり、真に冒険者として起つ資格を得ていたのであった。

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