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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・3

 『ウルスラグナ』は樹海探索のベテランではある。だからとて、初めて踏み入り、まだ右も左もわからぬ地を、敢えて道を覚えにくいように引率されている状況では、自分の位置がわからなくなっても致し方あるまい。現在位置だけは確認できる『磁軸計』さえも、今は衛士に預けられ、見ることもできない。
 仕方なく、周囲をきょろきょろと観察するにとどめる。
 迷宮を孕む世界樹自体が巨大なことは確かだが、一本の樹の中に広大な迷宮がすっぽりと収まっている様は、圧倒的な非現実感と、確かな現実感という、相反する感覚をもって一同の心を浸食した。
 遙か頭上からは、並び立つ木々が広げる枝葉の間から、揺らめく木漏れ日が斑に地面を照らす。
 エトリア樹海でもそうだったが、『世界樹の迷宮』と呼ばれる迷宮は――まだ二例しか確認されていないため、未発見の『世界樹の迷宮』までもがそうなのかはわからないが――階層構造であり、つまりは自分達がいる空間の上や下にも、樹海迷宮が存在するということになる。言い方を変えれば、最下階でない限りは、自分達が踏みしめる地面は下の階の樹海の樹冠であり、最上階でない限りは、自分達の頭上には上階の迷宮を支えるべき地面があるわけで、だったら木漏れ日がどこから来るのかという疑問があった。『地面』の隙間から透過してくる、というにも程がある。
 もっとも、この疑問には、『ウルスラグナ』は仮説ながら答を出していた。
 エトリア樹海の第五階層、『遺都シンジュク』と呼ばれたところでは、遺跡の方々で、結晶化した植物の蔓とおぼしきものが見つかっていた。ところが『水晶のツル』と呼ばれるようになったそれの正体は、あくまでも執政院の役人が――つまりは、所詮は現代人が推測したに過ぎないものであり、前時代人の目から見れば、さらなる事実が明らかになる。かつて『遺都シンジュク』と呼ばれた地が『新宿』であったころに生きていた少年・阿部井祐介――アベイ・キタザキは、雲のように霞む記憶の彼方を必死で探り、たぶんだけど、との前置き付きながら、結論を出したものだ。
「これ、たぶん、『光ファイバー』だ」
「光、ファイバー?」
 光で、繊維。個々の単語の意味はわかるが、複合されると何が何やらというあんばいになる。
「つまりだな、ガラスを、こうやって細い棒――ってより、もう紐だな、そういうふうに作る。くわしいことは俺にはわかんないけど、とにかくこいつは、ホースに水を通すように、光を運ぶ。例えば、屋内に太陽の光を引き込んできたりもできる」
 アベイの説明が確かだとしたら、『世界樹の迷宮』には、その『光ファイバー』、つまりは『水晶のツル』が張り巡らされ、方々に光を供給している、と考えられる。どこか地表の、人間の手が届かないところに、蔓の端が顔を出していて、日の光を集めて『世界樹の迷宮』に送り届けているのかもしれない。
 少なくとも「『水晶のツル』が光を運ぶ」ということが事実なのは確かで、短く切られた蔓の片側に強い光を当てると、もう片方の断面が強く輝くのを、冒険者達は目の当たりにした。
 あるいは――こういうのもありかな、とアベイは続けた。
「これは『光ファイバー』に似てるけど、本当に植物なのかもな。階層構造になって、日の光が届かなくなった迷宮の中、光を欲した植物が進化して、地表から日の光をかき集めて迷宮に届けるように、ガラス質の蔓を得た……と」
 なにしろ『世界樹の迷宮』、人間の想像も付かない生命の進化もありうるかもしれない。
 いずれにしても、枯レ森と遺都に夜が来ない説明が不足しているものの、迷宮内に日の光が届くことがあり得ることは確かだ(あくまでも仮説だが)。ハイ・ラガード樹海も同じような仕組みで迷宮内に光を調達しているのなら、いずれどこかで、エトリアで見かけたような『水晶のツル』を発見することもあるかもしれない。
 そのような発見を夢見るのも、まずは、試練を乗り越えてからだ。
「……この辺りでいいだろう」
 ふと、前を歩いていた衛士が足を止めた。周囲から迫ってくるような圧倒的な森のただ中に、探索班として選抜された五人――エルナクハ、オルセルタ、アベイ、ナジク、フィプト――は、親を失った孤児のように佇む。もちろん、何をしていいのかわからない幼子ではなく、己が初めて体験した出来事の中にありながら、これからどうしたらいいのか、と自分なりに思考をめぐらせる自立者のそれである。
 もはや今まで通ってきた道など覚えていない。だが、少なくとも、道は、妙な仕掛けを通ったりすることなく、出口に繋がっている。
「君たちの任務は、ここから街までの道程を地図に描きながら帰ってくることだ」
 衛士は、『ウルスラグナ』から預かっていた磁軸計を返してきながら、言葉を続けた。
「地図の書き方については、私が口を差し挟むことではあるまい。君たちの描きやすいように描いてくれればいい――もっとも、地図として使えないようでは困るがな。羊皮紙はきちんと持ってきているだろう?」
 『ウルスラグナ』一同は、しかと頷いた。
 磁軸計と共に――つまりはギルド登録を行った時に、樹海の地図を書きやすいように、うっすらとガイド線を記された、特製の羊皮紙も、数枚支給されている。無事に樹海を進み、紙が足りなくなれば、またもらうことができる。もちろん、自前で紙を用意しても構わないのだが、大抵の冒険者は、支給された羊皮紙を使っていた。
 衛士は羊皮紙を一枚要求し、『ウルスラグナ』が応じて差し出したそれに、さらさらと何かを書き加えた後、再び返してきた。
「では、これで私の役目はおしまいだな。私は一足先に戻って、街への入り口で待っていよう。君たちが無事に戻ってくることを祈っている」
 衛士はそう言い終わると、踵を返し、今来た道を戻っていこうとする。が、何かを思い出したか、くるりと振り向いて、下草を踏みしめながら、『ウルスラグナ』の傍に帰ってきた。
「――時に、君たちは、メディカは必要ではないか?」
「メディカ?」
 メディカが何かは、言われるまでもなくわかっている。が、衛士がその言葉を出してきた意図が掴めない。冒険者達は顔を見合わせ、続いて衛士に注目した。
「くれるのか?」
「いやいや、ただでとは言わない。売るだけだ」
 問うて返ってきた値段は、シトトでの売値よりちょっとだけ高い程度であった。ぼったくり、と言うほどではない。しかし『ウルスラグナ』一同は首を横に振った。すでにメディカは準備しているし、今手持ちにある金は追加のメディカを揃えるには足りない。
 にもかかわらず、衛士は残念そうな顔はせず、逆に頼もしい者達を見るような目をしたのである。
「多少のブランクがあるとはいえ、さすがは『エトリアの英雄』、用意がいい。冒険者の中には、メディカさえ準備せずに、世界樹様に挑もうとする者もいるのでね」
「誰だ、そんな馬鹿は」
 と呆れた声を出したのはアベイだった。メディックである彼としては、回復役が余程頼りになるならまだしも、薬も持たずに危地に挑もうとする者達の考えが理解できないのだ。その言葉を受けるように、衛士は(顔はフルフェイスの下なので定かではないが、おそらくは)苦笑いをして、『ウルスラグナ』からすれば意外な答を口にしたのである。
「大概は、冒険者になったばかりの、尻に殻が付いたままのヒヨッコどもだが……意外に、エトリアの樹海を経験したという連中にも、そういった者が多いんだ」
「なによ、それ……」
 肩をすくめてオルセルタが天を仰いだ。
 想像するに、エトリア樹海を経験した者達(もちろん全員ではない、一部の者達だろうが)は、自分達が樹海に潜らなかった時間が、予想以上に自分達の力を削いでいることを、念頭に置いていないのだ。エトリア樹海にいた時には、はじまりの階の敵性生物など片手で狩れるようになっていたから、回復役はともかく薬などいらない、と思っている。だが、その考えが甘かったと、生命と引き替えに思い知った者は、どれだけいただろうか。
「ともかく、君たちがそんな者たちじゃなくて、安心した」
 フルフェイスの下から漏れる声は、朗らかそうであった。
「これで、先生の身の危険も、少しは減るだろう」
「……先生?」
 冒険者達はその言いように小首を傾げる。今の探索班の中で、『先生』と呼ばれ得る者は一人しかいない。だが、その者、フィプト・オルロードでさえ、一体何のことか、と訝しげな表情を浮かべていた。
 そんな錬金術師の前で、衛士はフルフェイスを取って見せた。その下から現れたのは、平服を着て街にいれば、さしたる目を引かないような、平々凡々な中年男性の顔。しかし、
「ああ! ルバース君の父上殿でしたか!」
 フィプトの反応から判断するに、私塾の生徒の父親だったようである。
「いつも愚息が世話になっております、フィプト先生。まさかあなた様が世界樹様に挑まれるとは、思いもしませんでしたよ」
 フルフェイスを元に戻す間際に見えた表情は、本当に心配そうで、フィプトという男が講師としてどれだけ信頼されているのかが、よく判るものであった。
「……どうか、ご無事でお戻り下さい、先生。愚息に教えて頂きたいことが、まだ山のようにあるんですから」
「無論です、父上殿。どれだけ知識を得ても、この世にいなければ何の役にも立ちません」
「なに、『紫陽花の騎士』の名において、センセイは無事に街に帰してやるよ」
 会話に割り込んで豪語する黒い騎士の姿に、安心したのか、あるいは却って不安になったか、もはやフルフェイスの下の表情は読み取れない。それでも表面的には、
「よろしく、頼む」
 と衛士は深々と頷いた。
「言うまでもないだろうが、樹海は辛く危険なところだ。十分注意して進むんだな」
 続いてそう告げると、衛士は鎧を重々しく鳴らしながら、『ウルスラグナ』に背を向け、今度こそ、茫洋とした翠玉の光の中へと去っていったのだった。
 獣避けの鈴の音が、こだまするように、衛士の影を追って消えていった。

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