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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層『古跡の樹海』――栄えし獣たちの樹海・2

 話はそれより一時間ほど遡る。
 世界樹を抱き込むように建造された公国ハイ・ラガードの行政区に、『ウルスラグナ』一同の姿はあった。
 見た目から察せられるように、ハイ・ラガードの構造は他に類を見ないものであった。
 数階建ての建物がいくつも肩を寄せ、その中に居住区や工業区、いくつかの小さな商店が存在する。それぞれの建物は、何らかの形で、建物外に出なくても行き来出るように繋がっていた。環状に連なった巨大な集合住宅である、といえば、説明になるだろうか。
 その『集合住宅』に取り囲まれるように、中央市街があり、比較的大きな商店が繁栄を競っている。その商業区の内側、世界樹の傍に、行政区や貴族街があった。なお、中央通りは街門に通じ、橋を越え、南へ、他国へと繋がる。
 これら主幹区域を守る街壁の外側にも、後々に拡張された建物がある。フィプト・オルロードの私塾も、元は市街拡張工事の作業員の宿泊所であり、街壁の外側にあった。世界樹の迷宮入り口に通じる道も、存在する。
 『ウルスラグナ』も後々に実感することだったが、ハイ・ラガードでは貧富の差はあるにしても、それが国の荒廃の直接の原因になることはなさそうだった。うまく言い表せる言葉を探すとすると、『清貧』とでもいうのか。それぞれがそれぞれの手に納まる程度の幸せで満足し、仮に何かの足りなさゆえに転げ落ちそうになれば、瞬く間に数本の助けの手が差し伸べられる。
 とはいえ、それは等しく被統治者であればこそ。統治者との間には、深刻な敵対関係ではないにせよ、ある程度は隔たりがあるようだった。こればかりは、どれだけ立派な統治がされた国であってもあり得ることだ。
「うふふ、絶景ですわえ」
 仲間達から離れたところで、建物の隙間から、北方に広がる低地帯を眺め、焔華が笑んだ。
 彼女の歩みを助ける足下の友は、麦藁で編まれた『草鞋』である(「ホントは稲藁で編むんですけどな」と焔華はぼやいたものだ)。その履き物が見た目より丈夫なのは、ここまでの付き合いでわかっているのだが、他の仲間達からすれば、やはりどうにも心もとない。だが、事実、焔華は、ここまでの旅を、この履き物一種で進みきったのである。とはいえ、もしも北方の低地帯を歩いていこうとするのなら、焔華の履き物はどこまで保つのだろう。いや、一見丈夫そうに見える革靴でさえ、保つかどうか。
 実際に行った者がいない、いや、いたとしても戻ってこないがゆえ、真実は明らかではないが、遠い北方には凍った大地が、そして『氷の大陸』が広がるのだという。朝食後の歓談の時、何となく北方低地帯の話になり、『氷の大陸』の真偽について『ウルスラグナ』一同がアベイに聞いた際の答は、「少なくとも昔はあった。シロクマやペンギンがいた」というものだった。シロクマというのは『白いクマ』だというのが想像付くが、ペンギンというのが何なのかはよくわからない。鳥類らしいが、アベイが描いて見せてくれた絵ではツバメの出来損ないにしか見えない。それが海を泳いで魚を食うらしい。
 焔華がしきりに北方を気にしているのは、その珍妙な鳥のことが気に入ったらしく、今の世界にもいるなら見てみたいと思っているからだろう。
「今は『新たな道』なのでしょう?」
 センノルレが軽く叱責めいた言葉を放つと、
「そうでしたわ」
 ブシドーの娘は肩をすくめ、藤色の袴をひるがえし、身軽に戻ってきた。
「それじゃあ、行くぜ」
 ギルドマスターの促しに、全員が正面を見据える。
 目の前に佇む建物は、このハイ・ラガードを治める大公の居住、大公宮である。名だたる大国の支配者の居住に比べれば格段に規模が小さく、ともすれば大国の大商人の居住にさえ劣る。しかし、それは、単純に規模だけを見た話である。全体的な見た目や、各所に施された装飾は、大国のものに勝るとも劣らない。派手派手しくはなく、奇抜でもないが、全体的な調和が美しい、白亜の建物であった。
 なにより、その存在感は、圧倒的なものだろう。
 仮に他国の使節がハイ・ラガードを訪れたとしよう。正面から街に入り、中央広場の目抜き通りを真っ直ぐに通過し、貴族街に、そして行政区に入る。その目の前に見えるのは、ハイ・ラガードの支柱としてそそり立ち、街と空を抱き締めんかのように枝を広げる世界樹、そして、その神木の木陰で翼を広げて休む白鳥のようにある、大公宮の姿。いかなる武装を施した城塞も、どれだけ金銀貴石を使って飾り立てた宮廷も、視界を否応なく侵すこの衝撃には敵うまい。
 この街の設計をしたヤツは、なかなかの策士だ、とエルナクハは思った。
 今日この日は、『皇帝ノ月一日』、ハイ・ラガード建国の日、いわば新年だという。ギルド長の話では、祝い事は他国の暦に合わせて行うため、この日は新年といっても華やぎないものになるとのことだが、とんでもない。確かに、夜通し騒ぐ若者がいたわけでもない、派手な花火が打ち上げられるわけでもない。しかし、行く道の両側の建物には花のリースやタペストリーが吊り下げられ、『勇者を引き寄せる』と謳われるハイ・ラガードの風に、可憐な花びらが舞い散る。昨日訪れた時は無骨なだけだった冒険者ギルドも、樹海探索者を登録するために立ち寄った時によく見れば、門の両側に花鉢が飾られていた。そして、大公宮も例外ではない。
 幾千もの葉が、ざわざわと鳴り響く。その葉の重なりの隙間を、どれほど素早い鳥ですらも敵わぬほどに器用にすり抜け、地に落ちて揺らめく朝の木漏れ日。その中を、『ウルスラグナ』は、ハルバートを突き立てる衛士が向かい合わせに護る門へと近付いていった。

 もう何百人もの冒険者の訪問を受けているのだろう、手慣れた様子の衛士や侍従長の誘導に応じて、『ウルスラグナ』は大公宮の奥へと足を進める。
 通された先は謁見の間であったが、大公宮全体と同様、大国の城のそれに比べれば、決して大きいとは言えない。それでも、両脇に羅列する柱を従えた様は大層に立派なものであり、他国の使者が訪れた際に大公が現れるのであろう、正面の大扉は、金箔を貼られ、窓から差し込む朝日にきらきらと輝いていた。
 扉の上には、ハイ・ラガードの紋章のレリーフが飾られている。ギルド長の鎧にも記されていたこの紋章、果たして何を元としたものなのか。数字の『8』に似ていながら、最頂点が繋がっていないその形に、エルナクハが最初に想起したのは、『ウロボロス』であった。己が身体を捩り、自らの尾をくわえようとする、知識の蛇。その身が繋がっていれば『永遠』を意味する存在。だが――仮に想起したとおりだとしたら、繋がっていないのは、どういうことか。
 考えるのは、後だ。
 エルナクハは目の前に立つ人物に意識を向けた。
 生きてきた年月がそのまま皺となって皮膚に刻まれたような、老人であった。髪はすっかりと白く脱色し、しかも頭頂部分には残っていない。立つのに杖に頼る様は、足腰も弱りつつあることを思わせる。それでも、上質の服に身を包む様と、なにより目に宿る智慧の光は、その老人が只物ではないことを如実に表していた。
 『ウルスラグナ』が自らの名を名乗ると、老人は、うむうむ、と頷き、光を失っていない目で一同を見渡した。
「なるほど、聞きしに勝る風格、さすがは樹海の英雄よ。まことに感服の限りじゃ」
 じゃが、と間を置き、老人は続ける。
「竜殺しの英雄すら、凡俗に唯一の弱点を突かれて地に沈むことがある。ゆめゆめ油断めさるな」
 それは、この国に足を踏み入れてから、痛いほどに思い知った事実。『ウルスラグナ』一同は、唇を噛みしめながら、その言葉をしかと心に刻む。
 漂い始めた重苦しい空気を払うかのように、老人は再び声を上げた。
「そうそう、申し遅れた。この老体は、大公さまに仕え、この国の政を司る按察大臣である」
「アンサツ……って、何?」
 聞き慣れない言葉に、ティレンが近場のナジクに囁き問うた。問われた方は静かに頷き、こちらも囁く声で返す。
「大まかには、住人の管理、食糧供給、街道、上下水道などの公共施設の維持管理、祝祭事の企画開催……そんなところを引き受ける大臣だな」
「つまり、何でも屋さん大臣ってことだ!」
 納得した旨を屈託なく告げるティレンの声は、いささか大きすぎて、傍にいたナジクは当然ながら、他の冒険者達も、そして大臣さえも吹き出した。そんな中、当のティレンだけは悠然と大臣に向き直り、こんなことを宣う。
「おじいちゃん、オシゴト大変。何でも屋さん、頑張って」
「う……うむ……」
 大臣はどう答えたものか困ったことだろう。このようなことを面と向かって言われるのは想定外だっただろうから。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」と、ぺこぺこと頭を下げるのはオルセルタ。しかし、そんなダークハンターを押しのけて、一歩前に進み出たのは、その兄であるパラディンであった。
「いや、まったくご苦労なことだよな。身体には気を付けて頑張ってくれよ、何でも屋さん大臣サンよ!」
 ティレンを庇うように抱え込み、その肩をぽんぽんと叩きながら、不遜な口を叩く。
 彼とても、さすがに大臣の御前ともなれば、一応は畏まっていたのだ――今の今までは。それを自ら華々しくぶち壊すような傲慢さに、仲間達は、特にオルセルタは慌てた。相手は数多の冒険者を相手にしてきた身で、多少の無礼には慣れているかもしれないが、だからといって今のはあんまりだ。
 しかし大臣は、ぽかんと開けた口を、そのまま大笑いに転じたのであった。
「ふははは、さすがは樹海の英雄。この老体への労りの言葉、感謝この上ない。仰るとおり、この身はハイ・ラガードの何でも屋として大公さまにお仕えしておる。何でも屋ゆえに、そなたたち冒険者の管理も命じられておるのだよ」
「本当に大変なこった。以後、よろしく頼むぜ、大臣さんよ」
 ギルドマスターの言葉に、「うむ」と応じる大臣を見て、『ウルスラグナ』一同は、とりあえず事態は収まったと見なして胸をなで下ろす。
 そうしてから、改めて気が付いた。
 ギルドマスターはギルドの仲間の失言を庇ったということである。
 ……それが、結果的に不問にされたとはいえ、さらなる暴言で、というのは、どうかと思うのだが。

 もちろん、話がここで終わるわけではない。
「ところで、そなたらは、『世界樹の迷宮』に挑むための条件を存じておいでか?」
 大臣の言葉に、『ウルスラグナ』一同は、この国を訪れてからのことを思い起こした。
 確か、ギルドの登録をする時に、ギルド長が言っていたはずだ。『世界樹の迷宮の探索は、この国の民にしか許されていない』と。冒険者ギルドでの登録は、そのまま公国民としての登記にも使われるという話であった。
「さよう」と大臣は大きく頷いた。
「じゃが、公国民としての正式な登録は、この大公宮から出題する試練を乗り越えてもらってからの話じゃ」
「なるほど、そういうことか……」
 エルナクハは得心した。つまりは『ふるい落とし』。富と名誉を求める冒険者の過去は問わないが、だからといって有象無象を無制限に受け入れるわけにはいかない。最低限、『国益』に沿いうる人材でなくてはならないというわけだ。この場合に求められるのは、最低限、迷宮の最下層より生還しうる実力。どれだけ他の場所で腕を誇っても、『ここ』の迷宮を制する力がない者は、去るしかない。この国から、否、最悪の場合は、この世から。
「試験を受ける覚悟はあるのじゃな? 冒険者たちよ」
「覚悟がなけりゃ、ここには立ってねぇ」
 生命の危険を承知してなお、『ウルスラグナ』はここにある。たった一つの生命を奪わないで下さい、と、安全な場所で神サマにお祈りでも捧げつつ、愛する妻子を護りながら子孫を栄えさせる、それが生き物の常套かもしれない。それでもエルナクハ達は人間で、度し難き大馬鹿者の冒険者であった。だからこそ、ここにある。
 そんな大馬鹿者達を、大臣は、子を、あるいは孫を見守るような目で見据え、大きく頷いた。
「それでこそ冒険者、そなたらが育ち、樹海の脅威を凌駕するほどに強くなること、それこそが、我らにとっても好ましい」
 近くの衛兵に「勅命書をこれへ」と告げる大臣。その言葉に従い、衛兵は柱の影の小さな扉から謁見室を出ていく。彼が戻る間の繋ぎのように、大臣は滔々と言葉を紡いだ。
「この老体は、ほれ、『何でも屋大臣』ゆえな、そなたたちが挑むであろう迷宮の調査も、大公さまの命により、統括しておる」
 『何でも屋』と告げる言葉は、先程のティレンやエルナクハの物言いをからかうようであったが、しかし、続く言葉に差し掛かった時には、大臣の声音は真剣なものに戻っていた。
「さて、そなたたちも噂には訊いておろう。この国には伝承があり、それは迷宮の先に『空飛ぶ城』があると告げておる。最終的な目的は、その城の発見じゃが――あるいは単なる伝承、迷宮の先には何もないのかもしれん」
「それは、とってもつまらないわねぇ」
 と口を出したのはマルメリである。その姿から、彼女が伝承の追い人であることを悟ったのか、大臣は再びからかうような言葉に戻った。
「つまらぬか、ふふ、つまらぬか。まったくよの。この世に夢の一つもなくば、何をよすがとして人は生きるものかのう? そのような泡沫うたかたを追うのが、そなたたち吟遊詩人、そして、生命知らずの冒険者達。違うかな? と、ここで現実的な話に戻らせてもらうが……」
 先程出ていった衛士が戻ってくるのを見定め、大臣は話を締めにかかった。
「伝説に聞こゆる城、その実在を証明した暁には、そなたらには賞金を与えよう。もしも望むなら、この国の貴族の地位も約束する」
「太っ腹だな、大臣のジイサン」
「大公さまは、それだけの価値があるとお考えなのじゃよ、この伝承にはの」
 確かにそうかもしれない、と『ウルスラグナ』は思う。もしも『ウルスラグナ』の考えが正しければ、迷宮の果てに眠る城は、失われた前時代の遺物。エトリア樹海が閉ざされた今、おそらくは唯一の、何千年も昔の文明をそのまま伝える、貴重な存在である。それは、この世界の成り立ちに疑問を持ち、興味がある者になら、金には換えられない価値のあるものだろう。この際、大公自身にそのような興味がなくても構わない。おそらく、どこかしらが調査を打診し、見返りになにがしかをハイ・ラガードにもたらすことになるだろう。それもまた、価値のかたちのひとつだ。
 大臣は戻ってきた衛士から何かを受け取った。それは、絹を織った赤いリボンと暗赤の封蝋で封じられた、一枚の丸められた羊皮紙である。『勅命書』であるらしいそれを、大臣は『ウルスラグナ』の目前に突きつけた。
「……さて、ではそなたらに試練を出す。樹海の探索を始めたくば、まずはこの『勅命書』を受けとるがよい」
 対する『ウルスラグナ』の行動は、たったひとつの他にありようもなかった。
 ギルドマスターの黒い腕が、何の躊躇もなく、『勅命書』に伸ばされた。

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