|
そして、実に忙しい一夜が明けた。
ドゥアトとキタザキは、朝日を拝んでからようやく眠りに就くことになったが、エトリア執政院自体の苦闘は続く。
形はどうあれ襲撃を食い止めきった後から、情報室は迅速に人員を街の各所に派遣し、被害の度合いを調査していた。
不幸中の幸いとして、執政院以外には致命的被害はなかった。最大の人的被害は、ベルダの広場で襲撃者達から逃げようとした酔っ払いが転んで足を骨折した程度である。襲撃者側としても、目的地である執政院内部に、さほど時間を掛けずに侵入できたため、いちいち非戦闘員にかかずらう必要性を感じなかったのだろう。
代償として、執政院の被害は甚大であった。
死者は十三名に上った。さらに、重傷者も多数おり、もはや兵士としては動けないと見込まれる者も多かった。
執政院上層部に最も衝撃を与えたのは、言うまでもなく、死者の中に聖騎士ファリーツェの名があったことだった。彼に好意を抱いていた者達が嘆いたのはもちろん、「大口を叩いた挙げ句にくたばりおったか」と口汚く罵る者でさえ、その目は恐怖に泳ぎ、その拳は硬く引きつって振戦えていた。『なまじな魔物が束でかかっても揺らがない鉄壁の盾』の勇名は、彼らをしてもその瓦解を受け入れがたいものだったのだ。
このような罵声を口にしかねない者として、かの聖騎士と反りの合わない防衛室長の名が真っ先に浮かぶところだったが、当の本人は訃報を知った時、「……そうか」と口数少なく反応したのみだった。彼自身は襲撃者の毒刃を左足に受け、それを切断することで辛うじて命を拾っていた。
さらに特筆すべき点として、身体的にはさしたる損傷がないはずだが、兵士として戦う気力を失った者の多さがある。
さもありなん、エトリアの兵士は樹海探索には多少の慣れがあっても、人間を殺す気で戦える者は多くない。
そういうことができる者であっても、あのような、樹海の深奥から染み出してきたような怪異とその所業を目の当たりにして、どれだけ正気でいられるというのか。
かの怪異については、市井への流布の禁止が迅速に通達された。とはいえ誰かに語りたくても一笑に付される話ではあった。すでに証拠は消え失せ、目撃者達ですら、あれは何かの見間違いではないか、と思い始めつつあった、いや、思いこもうとしていた。いずれは、せいぜい偶の悪夢に現れ、目覚めの鐘代わりの悲鳴を上げさせる程度の思い出に変わりゆくだろう――その怪異に出くわした時と似た状況から極力離れていさえすれば、だが。無意識にそう悟っているのか、戦闘後に駆けこんだ兵舎の机で、あるいは担ぎ込まれた医務室のベッドの上で、いそいそとペンを取り、羊皮紙に退職届を書き始めた兵士の、どれだけ多かったことか。
かようにも多大な犠牲を払って、襲撃者の目標である若長オレルスの生命ないし身柄は守り切られた。
であれば、エトリアのために自身の部下の犠牲を厭わぬ、と決定したオレルスには、自身とエトリアをさらに守り抜く義務がある。
そのためにまず知るべきことがある――結局のところ、執政院を襲撃しようと考えた黒幕は何者だったのか。
エトリアは各国に大使や情報室員、それらに先だった親書を差し向け、自分達に起きた惨劇を説明し、それらの反応から糸口を掴む準備をしているが、その成果が得られるのはもう少し先になろう。前時代ならぬ現代では、情報のやり取りにも数ヶ月はざらにかかる。
今のところ、エトリアは臍を噛みながら、各所の反応を待つしかなかった。
その間に、街の人々にも何が起きたのか――語れないことはうまく除いて――説明がいる。情報室は発表の草稿をまとめるためにも、てんやわんやであった。
情報室に連動して、財務室も、総務室も、多忙を期していた。死者の遺族への挨拶や補償もしなくてはならず、傷病者にも金銭的・精神的双方の見舞いが必要である。
人事室も右往左往の大騒ぎであった。本来は防衛室が中心となって行う、軍務関係の人事業務を、代理として担っているためだった。死者の穴埋めとなる人事異動と、現在手薄となっている街の防衛戦力配分の采配――のはずだったが、ここにきて、兵士達の退職届が大量に集まり、混乱をきたし始めていた。
そして、医務室。
夜を徹して動いていたキタザキや医療者、『尋問』班達が眠りに就いた後、明け方から動くことを見越して眠っていた者達が、引き継ぎを経て業務に従事した。彼らの仕事は傷病者の手当もそうだが、夜勤の者達が清め化粧を施した後の死者達を、棺に収め、遺族達の対面に適うように準備することだった。ちなみに敵の死者も、味方のよりは簡素なものだが棺に収めることとなっている。
そこで彼らは困惑した。なぜかファリーツェだけすでに納棺が済んでいる。しかも、その棺には、味方用の棺にはある対面用の窓がない。
だが、そんなことに長々かかずらうほど、彼らは暇ではない。悲しいことだがそれだけ遺体の損傷が激しかったのだろう、だから早々に安置を済ませたのだ、と結論付け、それ以上の疑問は記憶の奥底に投げ捨てた。
故に、限られた者しか真実を知らない。――その棺には、人一人程度の重さと釣り合う石しか入っていないのだ。
|