これはいったい、どうしたことだ。
絶命した少女の周囲には、治療士達がいる。『尋問』の助手として、キタザキが手ずから選んだ弟子達だ。自分達が尋問室に顔を出すまでは始めるな、との言い含めを破るような人員ではない。執政院の被害者と仲がよかった者もいるが、『治療』に当たってはそんな私情を挟まないように育てたつもりだったし、そうできると見込んだ者を連れてきたはずだった。
しかし状況は、そんなキタザキの期待をことごとく裏切っている。椅子の傍の卓上に未使用状態で準備されているはずの薬や注射器は、使用され、取り返しの付かない事態を招いてしまっている。
治療士達は消沈していた。その中で唯一の例外は、拘束された少女の傍でしゃがみ込み、すすり泣いている、女性の治療士だった。注射器はその手に握られており、中には若干の薬剤が残っている。状況的に、自白剤を注射したのは彼女だ。それも、おそらくは許容以上の量を使用してしまった。
薬剤の許容量については、施薬院でも徹底的に叩き込む事柄だったはず。間違えれば人は簡単に死にかねない。まさに実例が目の前にある。
何があった、と厳しく問うキタザキに、すすり泣く女性をなだめていた男性治療師が応えた。
「早く真実を引き出さなくちゃ、って、自白剤の投与を始めてしまったんです……ユドラさんが、先生が来る前に少しだけ、少しの量で聞けるところだけ、って始めてしまって。申し訳ありません先生。その時点で止めるべきでした……」
むぅ、とキタザキは唸った。それは自身の言いつけを破られた不快でも咎めでもなかった。むしろ困惑のように、傍に立つドゥアトには見えた。
一息吐いて自らを落ち着かせた後、キタザキは問いかけを再開させた。
「……それで、アヴェジナが注射器を持っているのは何故だ? ユドラから続きをするように渡されたのか?」
アヴェジナというのは注射器を持ってすすり泣く治療師の名である。会わせる顔がない、とでも言いたげに面を伏せたまま、ゆっくりと首を否定の形に振る。
「姉さまは、もうやめる、とおっしゃいました」
嗚咽の合間に聞こえる話をまとめると、以下の通りである。
最初に自白剤の投与を行った治療師ユドラは、注射器を元あった場所に戻し、悔しそうな笑みを浮かべながら、つぶやいた。
「これ以上はダメね。さすがにただじゃすまない。……だけど悔しいなぁ、わたしのあの人も、こいつらのせいで死んだのに。少しだけでも、自分の手で情報を引き出せたらって思ったんだけど」
捕囚の口からは、事案の真実に繋がりそうな自白は、なにひとつ出てこなかったのだ。
ふふ、と悲しげな笑声を上げたユドラは、ふと何かに気付いたように、注射器を再び取り上げ、女性治療士――アヴェジナに手渡した。
「ああ、ごめん、あなた。注射器から薬を抜いておいてくれる? 忘れてたわ」
当人は小走りで部屋の入り口に近付き、扉に手をかける。どこへ行くのか、と全員がユドラに注目したが、
「お手洗いよ」
との言葉に、視線を戻した。生理現象はどんなときにも引き起こされるものである。
一方、注射器を託されたアヴェジナだったが、ユドラの言う通りに動くことはなかった。薬の残った注射器をじっと見つめ、凍ったように動きを止めていた。周りでなんとなく見守っていた他の治療師達が見かね、手を伸ばしたが。
アヴェジナは小さく頷いたが早いか、治療師達の手をかいくぐり、椅子に拘束された少女の腕を取り、注射器の針をぶっすりと刺してしまったのだ。
メディックらしからぬ行動である。キタザキの言いつけを破ったことを差し引いてもだ。注射をそのように雑に行うとは。ユドラの刺した痕を参考にしたのかもしれないが、血管も確認せずに躊躇なく実行した。非難の言葉と制止の行動が(遅きに失したとしても)周囲から起こりかけたが、それも完全な実行には至らなかった。捕囚に変化が見られたからである。
全員、期待してしまったのだ。アヴェジナのやり方はよくないにしても、今度こそ、執政院を蹂躙し、友人知人の幾人かを奪った者から、その真意、その目的、その背景を得られると。最初に実行して何も得られなかったユドラの無念も報われる、と。
……今回も、何も得られなかった。
捕囚の少女は、急激に顔を歪め、苦悶と悲嘆が混ざった表情で、意味の分からない言葉を幾ばくか吐いた後、くぐもった音を喉から幾度か響かせ、天井を向いて痙攣しながら泡を吹いたのである。
さすがに治療師達も救命に動いたが、時既に遅かった――。
語り終えたアヴェジナと、合間に補足を入れたメディック達は、頭を垂れてキタザキの言葉を待つしかなかった。
メディック失格? 当然である。主治医の指示を守らず、勝手な行動で被施術者の死を招いたのだから。
傍らで話を聞いていたドゥアトにとっては、果たしてキタザキが彼らに対してどのような裁定を下すのか、蚊帳の外の話である。彼らメディックの是非の判断は彼女には分からない。
だが、キタザキの言葉は、そんなドゥアトにも、そして治療士達にも、予想外の問いかけだったのだ。
「ひとつ確認したい。――ユドラ、というのは、皆の中の誰かのあだ名かね?」
湧き上がるのは、治療士達の困惑に満ちた短い声。
その反応で、ドゥアトは状況を完全に理解した。
――敵に謀られた。情報提供者となり得た者を始末されたのだ、と。
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